恋人の寝息は、ひそやかで安定している。うすい唇をほんのすこしひらいて眠っている。私は死について考えていたことを忘れ、恋人の寝顔に見入ってしまう。恋人の体はあたたかく、恋人は生きている。生きていて、ここにいるのだ。照明をしぼっているので寝室は暗く、オードシャルロットの匂いがする。私は恋人によってこの世につなぎとめられていると感じる。それは奇妙な感覚だ。恋人がすべてであると感じるのではなくて、恋人といるときの私がすべてだと感じる。私はそれを、淋しいと思うべきなのか満ちたりていると思うべきなのかわからなくて混乱する。正しいと思うべきなのか正しくないと思うべきなのかもわからないので、しまいには考えるのをやめてしまう。恋人の顔に指先で触れる。それはあたたかく、本質的に水分を含んでいるが、表面はざらりとする。男の肌だ。(──本文より)
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