慶応四年一月。鳥羽伏見の戦いには敗れたものの、十五代将軍・徳川慶喜は薩長に対し徹底抗戦を主張。幕軍は意気軒昂であった。幕府がオランダに依頼して建造された〈開陽丸〉の艦将・榎本釜次郎武揚も、「ここからが海軍の出番」と自負していた。しかし、家臣たちの前で徹底抗戦を宣言したその夜、慶喜は大坂に停泊していた旗艦開陽丸で江戸へ逃げてしまう。失望した榎本武揚は、海軍時代から榎本の右腕だった副艦将・澤太郎左衛門と、大坂城から持ち出した十八万両を持って、開陽丸ごと徳川海軍を脱走。北へと向かう──。
慶応四年一月。鳥羽伏見の戦いには敗れたものの、十五代将軍・徳川慶喜は薩長に対し徹底抗戦を主張。幕軍は意気軒昂であった。幕府がオランダに依頼して建造された〈開陽丸〉の艦将・榎本釜次郎武揚も、「ここからが海軍の出番」と自負していた。しかし、家臣たちの前で徹底抗戦を宣言したその夜、慶喜は大坂に停泊していた旗艦開陽丸で江戸へ逃げてしまう。失望した榎本武揚は、海軍時代から榎本の右腕だった副艦将・澤太郎左衛門と、大坂城から持ち出した十八万両を持って、開陽丸ごと徳川海軍を脱走。北へと向かう──。