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田丸雅智

芸能人ショートショート・コレクション

これはフィクション!? ノンフィクション!?
ショートショート作家・田丸雅智が出会った芸能人の摩訶不思議な物語!

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『声の渚で――大原さやか』
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 ベッドの中で「月の音色」から流れてくる心地良い声に身を委ねながら、ぼくは瞼の裏に広がる空想世界の中を駆ける。あらゆる因果から解き放たれて、のびやかな気持ちに包まれる――。
 ネットラジオ「月の音色」は、声優・大原さやかさんによる朗読番組だ。拙作を初めて朗読化してくださったのは大原さんで、その番組が「月の音色」だった。
 以来、大原さんとはプライベートでお付き合いさせていただいていて、ぼくは大原さんを「さあやさん」と、大原さんはぼくのことを「マルマル」などと呼ぶほど親しくさせてもらっている。けれど、いや、だからこそか、さあやさんからは、まだサインをいただけていない。切りだすタイミングを逃してしまい、いまではご一緒したイベントで「月の音色」のロゴ入りサイン色紙をもらっているファンの方々を横目で見て、いいなぁなどと思っている。
 さあやさんのお仕事は声優からナレーションまで多岐にわたり、特にナレーションでは関東圏に住む人ならばほとんど誰もが声を耳にしているはずだ。
 京王電鉄や江ノ電などの電車のアナウンスとして。あるいは銀行のATMや、携帯電話の音声ガイダンスとして。
その声は、人々の日常生活に自然と溶けこんでいるのである。
「ナレーションは耳に入らなくちゃダメですし、逆に耳に障ってもダメなので、奥が深いんです」
 さあやさんから、そう聞いたことがある。
 もちろんナレーションだけではなく、声優のお仕事も簡単ではない。声帯だけ良ければいいわけでは決してなく、心と身体のすべてをかけて挑まなければ命の宿った良い声は生まれないのだと伺った。
 さあやさんの声は、包みこんでくれる声だなぁと、ぼくは聞くたびに思う。自分がまだお腹の中にいたときに聞いていたはずの、母親の声のような。遺伝子レベルで組み込まれている、安心感を引きだしてくれる声のような。
 その声を聞いていると、ぼくはなんだか波打ち際で寝転がっているような感覚になる。声の波は身体の髄まで浸透していき、母なる海のごとき懐の深さで優しく包みこんでくれる。
 いつか、さあやさんに聞いてみたことがある。どうして朗読をはじめるようになったのか、と。
「本という大好きなものを広めるために、朗読を通して少しでも貢献したいんです」
 さあやさんは小さい頃からずっと本に親しんできて、本に育てられたようなものだという。そんな中で声のお仕事をするようになり、余計に朗読で本の素晴らしさを伝えたいと思うようになっていった。
あれも読みたい、これも読みたい。朗読番組の実現を夢見ながら、好きな作品を自分の中で蓄積しつづけてきた。
そしてついに念願叶い、朗読番組「月の音色」がはじまった。
「朗読はライフワークなんです」
 いきいきと目を輝かせながら、さあやさんは言う。
「だから『月の音色』は、わたしの支えでもあって」
 さあやさんは、こんなことを語ってくれた。
 朗読ならば力量次第で、老若男女、どんな人物でも演じることができてしまう。それどころかだ。ネコだって、宇宙人だって、声だけで何でも表現することができる。
朗読は無限の可能性を秘めている――。
朗読番組をはじめてから余計にそう思うようになり、またいっそう、読むのが楽しくなったのだという。
 ぼくはお話を伺ったとき、自分の活動にも通じるものがあるなぁと思ったのを覚えている。創作も、同じようにすべてが自由だ。そこには常識も物理法則も存在しない。足枷は、自分の中の固定観念ただひとつ。それを断ち切ることができたなら、極上の世界が待っている。
「だからこそ、わたし、朗読のときのBGMとか『間』とかにもこだわりが強くて。自分できちんと納得できたものだけを、みなさんにお届けしたいんです」
 でも、と、さあやさんは笑みを浮かべる。
「わたしの番組を聞いてると、いつの間にか眠ってしまう人も多いみたいで」
「……ちょっと分かる気がします」
 ぼくは思わず頷いた。
「えっ、マルマルも?」
「波の音みたいなお声を聞いてると、だんだん静かな気持ちになっていくといいますか……」
 ベッドに寝転がりながら「月の音色」を聞いていると、その、声の波打ち際ともいうべき状況に浸りながら、いつしか眠りについてしまっていることがある。単調とはまた違う、規則的に静かに繰り返される声の波……。
「波の音!? それじゃあ」
 不意に、さあやさんが弾けるような声をあげた。
「アレも、マルマルのところに届きましたか!?」
「アレ……?」
 瞬間、さあやさんは「あっ」と身体を引っこめた。
「ってことは……」
まだ届いてはいないんですね、と、つづけて言う。
「それなら、届いてからのお楽しみということで……」
 ぼくは聞かずにはいられなかった。
「なんですか!? 教えてくださいよ!」
ふふ、と、さあやさんは静かに微笑む。
 ちょっとだけ教えてあげると――。
「さっきマルマルが言ってくれた、波っていうのがヒントかな。わたしの声、本当に波みたいな性質を持ってるんです」
「波……?」
「自覚したのはこのお仕事をするようになってからなんですけど、それが分かってから楽しみが増えちゃって。夜な夜な心をこめてつくっては、届けばいいなって声に乗せて送りだしてるんです」
「送りだす? 何をです?」
 それは秘密だと、さあやさんはまた微笑んだ。
「ときどき『月の音色』のリスナーさんからも、さあやさん届きました、なんてメッセージをいただくんです。そういう意味ではリスナープレゼントみたいなものかもしれませんね」
「はあ……」
「ふふ、いつか届くのを楽しみにしててくださいっ!」
 ますます謎めき、ぼくは首を傾げるばかりだった。
が、粘ってみても秘密は秘密で押し通されそうだと諦めて、話題を変えることにした。
波といえば、と、ぼくは言う。
「さあやさんの声にはリラックス効果がありそうですし、なんだか胎教にもよさそうですねぇ」
「あ、それいい!」
 さあやさんは手を叩いて声をあげる。
「胎教は、まだやったことないです!」
「これは後で聞いた話なんですけど、ぼくも生まれる前から母親に読み聞かせをよくしてもらってきたらしいんです。それが良かったのかどうかは分かりませんけど、さあやさんの朗読って、クラシック音楽みたいでもありますよね」
 それに、と、ぼくはつづける。
「子供の寝かせつけにもよさそうですね」
 まだ活字が読めない子供にとって、朗読は物語に親しむ最良の方法だろう。そこにさあやさんの声が加われば、想像力を育みつつも穏やかな眠りへと自然に誘ってくれるという、一石二鳥の効果が生まれるのではないだろうか。
「ちなみに、さあやさんってゆっくり過ごすの、お好きですか?」
 何となく感じ取り、ぼくは尋ねる。
「よくお分かりで! じつはそうなんです」
 京都が大好きで、と、さあやさんは言う。
「京都検定2級を持ってるくらい好きなんですけど、京都のお寺で庭をぼんやり眺めたりしてると、気づいたら何時間も経っちゃってたなんてこともよくあります」
「何時間も!?」
「マルマルはないんですか?」
「ぼくはせっかちなので……」
 苦笑しつつ、そうか、と思う。
「あ、でも、ぼくは海が大好きなので、たしかに海だったらいつまででも眺めていられるかもしれません」
「たぶん、同じ感覚だと思いますよ!」
 それにしても、と、ぼくは思う。
さあやさんは、たしか着物や和菓子もお好きだと言っていた。
お寺での話にしても、分かるなぁ、と内心で呟く。発する声に、ご趣味が、お人柄が、とても滲みでているのだから。
――心と身体のすべてをかけて挑まなければ命の宿った良い声は生まれない。
さあやさんは、そう語られていた。
逆に言えば、そうして生みだされた声というのは、その人物のすべてが反映されてしまうということだ。すなわち、小手先だけでは通用しない、生き方自体が深く問われる仕事である。
 凄いなぁ……。
 分野は違えど同じプロの道を歩む者として、ぼくは感服するばかりだった。
 さあやさんは、朗読自体をもっと広めたいのだという明確な意思を持たれている。「音(オン)due(デュ).」というユニットを組んで、音楽の生演奏を添えた朗読ライブを精力的に開催されていたりするのはそのためだ。
ライブで拙作を読んでくれることもあって、さあやさんの朗読を聞いて、ぼくの本を手に取ってくれたという方もたくさんいる。
さあやさんの朗読を、ぼくはまた新しい物語を紡ぐための糧にする。紡いだ物語をまた、さあやさんが音の波へと変えてくれる――。
 ベッドに潜りこんで「月の音色」を聞くうちに、ぼくはぼんやりしはじめる。
寝室は、さあやさんの声の波で満たされている。寄せては返すようなその声は心地よく、次第に意識の輪郭はぼやけだす。
寝落ちしたら、途中から聞き返さないとだな。
そんなことを考えながら、波の音は遠ざかる――。
 目が覚めると、カーテンの隙間から朝陽が差しこんでいた。
 ああ、やっぱり寝落ちした。
 今度お会いしたときに報告すると、からかわれるかな。思いつつ、ぼくは身体をゆっくり起こす。
 そのときだった。枕元でキラリと光るものが目に入った。
拾いあげると、それは小さな瓶だった。
中に何かが入っている。不審に思いながらも、ぼくは慎重にコルクを抜いてそれを取りだす。くるくるに巻かれた和紙を広げると、こんなことが書かれてあった。
いつも聴いてくれてありがとう。さあや
 しばらく困惑していたけれど、不意にさあやさんの言葉がよぎった。
 ――夜な夜な心をこめてつくっては、届けばいいなって声に乗せて送りだしてるんですよ。
 声の波……送りだす……いつの間にか届いた小瓶……。
 もしかして、と、ぼくは思う。
想いをこめた手紙を瓶に詰め、海へと送りだすように――さあやさんは感謝の気持ちを綴った手紙を瓶に入れ、自らの発する声の波に運んでもらっているとでもいうのだろうか……?
 いやまさか、そんなことをどうやって……。
 自分で勝手に想像しては打ち消しを繰り返すうちに、ぼくは「あっ」と声をあげた。ベッドのそばの床の上にも何かが落ちているのに気づいたのだ。
 声の波に運ばれて、小瓶と一緒に打ち上げられたとでもいうのだろうか。
床の上には、「月の音色」のロゴが入ったサイン色紙が落ちていた。

(了)
				

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田丸雅智

ショートショート作家 田丸雅智(たまる・まさとも)

1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』(光文社文庫)に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。15年からは自らが発起人となり立ちあがった「ショートショート大賞」において審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、新世代ショートショートの旗手として幅広く活動している。著書に代表作『海色の壜』、『E高生の奇妙な日常』など多数。
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