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田丸雅智

芸能人ショートショート・コレクション

これはフィクション!? ノンフィクション!?
ショートショート作家・田丸雅智が出会った芸能人の摩訶不思議な物語!

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『量子的な女――中嶋朋子』
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「わたし、どっちに座ればいいかなー?」
 四人掛けのテーブル席の前で、女優の中嶋朋子さんは言った。
「どっちでもいいんじゃない?」
 向かいに座る中嶋さんのダンナさんの言葉に、ぼくも頷く。
「同じく、どちらでも大丈夫ですよ。そちら側でも、ぼくの横でも」
 中嶋さんは座席を交互に見比べながら、「じゃあ、こっちで」と、ダンナさんの隣に腰掛けた。居酒屋の個室で、ぼくは中嶋夫妻と向き合う形となった。
 中嶋さんご家族とのお付き合いがはじまったのは、中嶋さんとのラジオ共演がきっかけだった。「北の国から」の蛍ちゃん役の中嶋さんと共演できるということで、当時は「北の国から」の熱狂的ファンである我が両親から、ひどく羨ましがられたものだった。
その番組収録で、中嶋さんとの話は弾みに弾んだ。それで、ぜひ今度一緒にごはんでも、となったのだが、その場にダンナさんと息子さんも来てくださって、四人でワイワイ、刺激的な時間を過ごしたのだ。
あの日から、まだそんなに月日は経ってない。にもかかわらず、あまりにみなさんと波長が合うので、いまでは何年もお付き合いしてきたかのような感覚になっている。中嶋さんご家族も同じ思いを抱いてくださっているようで、ぼくは嬉しさと同時にご縁というものの不思議さを感じずにはいられないのだった。
「今日はお二人だけなんですね」
 いつもなら息子さんもいるのだが、今日はその姿が見当たらなかった。
「それが、塾なの」
聞いて残念がっていると、中嶋さんは、もしかすると途中から合流するかもしれないと言った。
中嶋さんはレモンサワー、ダンナさんは生ビール、ぼくはハイボールをそれぞれ頼むと、さっそくジョッキを重ね、飲みはじめた。
久しぶりにお会いするので、話したいことはたくさんあった。
最近読んだ本のことや、オススメの展示。仕事やプライベートの近況報告。
中嶋夫妻は好奇心旺盛、何にでも興味のある方々なので、ぼくの話に熱心に耳を傾けてくださった。中嶋夫妻は中嶋夫妻で、文学談義から宇宙論まで、いろんな話をしてくれた。
 そんな中、話題が途切れたところで、ぼくは中嶋さんに向かって言った。
「でも、中嶋さんは、本当に不思議な方ですよねぇ」
「えーっ? 不思議って?」
 きょとんとする中嶋さんに、ぼくは思うところをお伝えした。
「いやあ、いい意味で定まっていないというか、ひとつに留まっていないというか……いろんなことに興味をお持ちですし、お会いするたびに、どこかこう、毎回ちがって見えるんです。そういうところが、不思議だなぁと」
「なるほどー」
「曖昧な表現しかできませんが……なんだか雲をつかんでるような感じもあるんです。中嶋さんの本当の姿って何なんだろうなぁって、ときどき考えたりするんですよ」
「へぇぇ、おもしろーい!」
 中嶋さんは少女のような純粋な瞳をしている。
「わたしの本当の姿かぁ、そうだなー、まあ、あってないようなものだからなー」
 ぼくは、その言葉が引っ掛かった。
「あってないような……?」
「そうなの、そういう表現が一番近いんじゃないかなぁ」
 真意を理解しかねて、ぼくは首を傾げた。
と、ダンナさんが口を開いた。
「それがね、田丸さん、うちの朋子さんはちょっと変わった体質なんですよ」
 はあ、と、ぼくは呟く。
「朋子さんは量子的な人でしてねぇ」
「リョウシテキ……って、何ですか?」
 ぽかんとすると、ダンナさんは意外そうな顔をした。
「あれ? “かしこ”の田丸さんなら知ってるんじゃないですか?」
 ダンナさんは、よくぼくのことを“かしこい”という言葉をもじって“かしこ”と呼ぶ。もちろんそれは揶揄ではなくて愛情のこもった呼び名だから、こちらもかえって気がラクで嬉しくもあるのだが、いまの論点はそこではなかった。
「あの、ぼくなら知ってるっていいますと……?」
「工学系の学科出身でしたよね? だったら、詳しいでしょう? 量子論のことは」
「あっ、なるほど」
 ぼくは、ようやく合点した。
「リョウシというのは、その量子のことだったんですね。それじゃあ量子的というのは、量子みたいってことですか?」
「さすが“かしこ”、呑みこみが早い」
 ダンナさんは言う。
「そうなんです、朋子さんは量子みたいな人なんですよ。だから、存在自体が確率的で。田丸さんが朋子さんに定まってないような印象を覚えるのも、そのせいでしょうね」
「存在自体が確率的……」
 呟いて、ぼくは口を噤んだ。いくら工学系出身でも、卒業してから、もう何年も経っている。専門的な知識を思いだすのには時間がかかった。
 たしか……と、ぼくは思う。
量子論の世界では、原子は粒子であると同時に波でもあるという奇妙な状態になっていて、それが確率うんぬんの話と関係していたはずだった。
なんとも想像しづらいが、量子論では原子は観測するまで絶対に一カ所に定まることはなく、通常は、ある決まった範囲内に波のような状態で確率的に存在しているということらしい。つまりはその原子を観測していないとき――誰も原子を見ていなければ、それはひとつの粒子ではなく波のようにぼんやりあたりに広がっている状態になっていて、「こっちで原子が見つかる確率がいくつ」「あっちで見つかる確率がいくつ」といった具合で見つかる位置も確率でしか記述することができないのだ。一方で、ひとたび人が観測すれば途端に原子は収束されて、粒子として一カ所にぴったり落ち着くのだという。
これは何も原子の位置だけの話に限ったものではなく、ほかのあらゆる物体の状態においても当てはまるのだという解釈を聞いた覚えがあった。
ぼくは「シュレディンガーの猫」の話を思いだす。ある仕掛けの施された箱の中に閉じこめられた猫は、蓋を開けてたしかめるその瞬間までは、中で生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。猫の生死は、観測してたしかめるまで「かもしれない」という可能性でしか語れないというのである。いわば開ける前の箱の中には生きた猫と死んだ猫、それぞれが1/2の確率で同時に存在しているというわけで、ふつうの感覚からするとめちゃくちゃな話だと当時は思ったものだった。
しかし、それが量子論の世界なのだ。
そしてダンナさんによれば、中嶋さんは量子のような人だという。となると、中嶋さんは実体であると同時に波でもあって、どこにどんな状態でいるのかは、観測するまで確率でしか分からないということになる……。
「そうそう、理屈で言うと、まさしくそれです」
 ダンナさんは嬉しそうに頷いた。
「それじゃあ、中嶋さんは誰かが見てないときは実体のない波なんですか……?」
 困惑して中嶋さんのほうに顔を向けると、同じように頷いた。
「わたしも難しいことは分からないけど、そうみたい」
「ははあ……」
「夫がいろいろ調べてくれたの。それによると、どうやらわたしが育った環境が影響してるんじゃないかって結論になってねぇ」
 中嶋さんは語りはじめた。
「わたし『北の国から』で、小さいころから富良野で過ごすことが多かったの。7歳から22年間だったかなぁ。
富良野って、どこまで行っても自然が主役の土地なのよ。だから、狙った風景のシーンを撮るためには、自然の気分がこっちに向いてくれることを祈って、ひたすら待機するしかないの。よくあったのが雪待ちで」
「雪待ち?」
「撮影のために雪が止むのを待ったり、追い求める理想の雪があるときにはそれが降るのを待ったり。雪待ちだけで何日も撮影できないなんてことも、ざらにあったの。ほかにもいろいろ、時々刻々と移り変わる自然と一緒に生きる日々が、わたしの若いころだった」
 壮大な話に、めまいを覚えた。
「とにかく自然のゆらぎに翻弄されつづけた22年間だったなぁ。それでわたし、自分の心の在り方がすっかり形成されちゃって。この世界には、自分の思いどおりになることなんて、ほとんどないんだなぁって。時間とともに変わっていかないものなんてないし、何かが100%ひとつに決まるなんてこともないんだなぁって。そんな悟りにも似た感覚がいつしか心に沁みついたの。仏教でいう色即是空にも近いのかなー。それで、定まるってことが、虫ピンで押さえつけられるみたいに窮屈に感じるようになって、常に自由な状態でいたいなって強く思うようになっていったの」
「その在り方が、心の中の話だけで終わらなかったのが朋子さんの場合なんですよ」
 ダンナさんが言葉を継いだ。
「精神力学じゃあ心と身体は深く関係してるって言われてるらしいですけど、心の変化と一緒に朋子さんの体質のほうも徐々に変わって、ひとつの実体だけでは収まらない身体になっていったんです。いちど学者先生に相談してみたんですけど、そのときにはもう、朋子さんの身体はすっかり量子化されちゃってて」
「……つまりは観測することで初めて実体へと収束する、確率的人になった、と?」
 二人は同時に頷いた。
「じゃあ、いまこうしてぼくの目の前に中嶋さんが中嶋さんとしていらっしゃるのは、ぼくという観測者が中嶋さんのことを観測してるから、なんですか?」
 混乱しそうになりながら聞くと、またしても、二人は大きく頷いた。
「ならですよ? ぼくが観測を止めた瞬間に、中嶋さんはいつどこに行ってしまうか分からなくなるんでしょうか……」
 いやそれは、と、中嶋さんが口を開いた。
「わたしの状態は、何とか関数で理論的には予測できるらしくって。それによると、確率的にはゼロじゃないけど、わたしがまったくちがうところに行っちゃう可能性は限りなくゼロに近いんだって」
「……それって、波動関数ですか?」
 ぼくは、Ψとか?とかiとかが入り乱れた式を思い浮かべた。
「そうそう、それそれ」
 波動関数はシュレディンガー方程式を解くと得られるもので、物体の状態を確率として予測できるという代物だ。ぼくは少し、理系魂をくすぐられた。中嶋さん特有の波動関数を数式として導くのは、実際問題ほとんど不可能に近いだろう。でも、叶うならば式を見てみたいものだなぁ。中嶋さんの佇まいのように、さぞ素敵な式に違いない……。
「じつは、わたしが量子的だってことは、女優のお仕事ともつながってる話なの」
 中嶋さんはつづける。
「わたし、役作りって言われるものを全然しないタイプで」
「ええっ! そうなんですか!?」
「まあ、しないっていうか……「これ」っていう特定のものに役をホールドしちゃわないで、感じるまま、流動的に、その場の空気に合わせてチューニングするって感覚なのよ」
 少し考えたあと、ぼくは叫ぶように言った。
「なるほどぉ!」
 中嶋さんの言葉の意味するところを悟ったのだ。
「要は、逆に言えば中嶋さんはその場の空気をつくっている周囲の人たちに観測されることで、初めてひとつの状態――役に収束していくということですね!? だから自分で役作りをする必要がない、というか、そんなことはそもそも不可能なんだ。なぜなら中嶋さんは自分で自分をどうにかすることはできなくて、あくまで周りの人たちの観測によってしか実体化され得ないんですから!」
「そういうこと!」
 ダンナさんも興奮気味に参戦する。
「だからぼくは、朋子さんの芝居があると何度だって足を運ぶんですよ。たとえ同じ舞台でも、共演者やお客さんたち――観測する人たちの変化によって、毎回、朋子さんの状態も変わるんですから。今日はどんなふうに変わってるのかなって、それを定点観測しに行くのが楽しみなんです」
 目を輝かせるダンナさんに、なんて素敵なご夫婦だろうと、ぼくは思った。
 ちなみに、と、ダンナさんは言った。
「日常の朋子さんも、同じようにぼくが観測するたびに状態を変えるんで、おもしろいですよ。これは夫の役得ですね」
 にやりとして、つづけた。
「ただ、ぼくが見てないときに朋子さんがどんなことになってるのか、それが永遠に分からないのは、もやもやしますけどね。なにしろ観測しちゃったら、どうあがいたって必ずひとつの状態に収束しますから。ぼくが家を空けてるあいだや寝てるあいだ、朋子さんがどんな形をとってるのか、どんなふうに見えるのか、それは誰にも分からないんです」
 笑うダンナさんを見ながら、待てよ、と、ぼくは思った。この話は何も、中嶋さんに限った話じゃないのではなかろうか……。
自分の周りにいる人たちのことを考えてみる。
 みんな、ぼくと会っているときは、無論、ひとつの姿で目の前に実在している。でも、目を離しているとき、あるいは自分と別れたあと、みんなの姿はどうなっているのだろうか。
何しろ、量子的な人は観測した瞬間にひとつの状態に決定されてしまうのだ。もし仮に友達が量子的なやつだったとしても、いまのぼくにそれを判断する術はない。ならばすでに自分の友達の中にも、量子的な人間が紛れこんでいるのかもしれない……。
もしかすると、じつは少なくない数の人が、いや、よもや大多数の人が本当は量子的な人間で、ぼくの知らないところではみんな波みたいな存在になっているのかもしれないぞ。そしてみんなはぼくが観測したときにだけ、実体として姿を現すのかもしれない……。
 ぼくは酒を飲むのもやめて、ひとり腕を組んで考えこんだ。
 なるほど、自分自身にしてみたって、例外とは言えなさそうだ。
ときどき、ひと気のない夜道をひとりで歩いたりしていると、なんだかぼんやりしてきて、まるで自分の輪郭がなくなって周囲に溶けこんでいるかのように感じることがある。まさしくあの瞬間こそ、自分も量子論でいう波の状態、確率的な存在になってしまっているときなのでは……。
「田丸さん、大丈夫?」
 中嶋さんの言葉で、ハッとなった。
「す、すみません、ちょっといろいろ考えるところがありまして……」
 中嶋さんは、そんなぼくに同情してくれた。
「そうよね、急に言われてもって感じよねぇ」
 ぼくはまた少しひとりで考えに耽り、やがて言った。
「でも、お話を伺って、なんだか中嶋さんの本質の一端が垣間見られたような気がします。存在自体が確率的だということの意味も、頭ではなんとなく理解できました。もちろん実感レベルでは、まだまだ分かってないんでしょうが……とりあえずは」
「それなら、よかった」
 二人は穏やかに微笑んでいる。
 頭の中がだいぶ整理されたところで、ぼくは気分一新、酒を注文しようとメニューを探した。
が、テーブルを見渡したけれど、メニューがどうも見当たらなかった。
おかしいな、さっき注文したときにでも隣の椅子に置いたかなと、何気なく横の空席に目をやった。
そのときだった。
「わ!」
 あまりの驚きで、大声をあげてしまった。
そこは空席などではなかった。気づかぬうちに、中嶋さんの息子さんが座っていたのだ。
「え!? ちょっと待ってください! ええっ!? いつの間に!?」
 突如どこからともなく現れた息子さんに、ぼくはパニックに陥った。
 中嶋さんはおかしそうに笑いながら言った。
「あーこういうこと、たまにあるのよ。じつはうちの息子も、わたしの血を引いたからか育った環境のせいなのか、どうやら量子的な子になっちゃったらしいの」
 ぼくは目を見開いた。
説明を聞いてもまだ事情が分からず、おろおろするばかりだった。
すると、中嶋さんが助け舟を出してくれた。
「えっとね、推測するに……おそらく息子は塾が終わってここに駆けつけた。なのに、誰も自分のほうを見てくれなかった。だから、ずっと波の状態のまま、ひたすら観測されるのを待ちつづけてたんじゃないかしら」
 ぼくは、ただただ言葉を失くした。
「ありがとうございます」
そう言って、息子さんはぺこりと軽く頭を下げた。
「田丸さんのおかげで、ようやく収束できました」

(了)
				

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田丸雅智

ショートショート作家 田丸雅智(たまる・まさとも)

1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』(光文社文庫)に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。15年からは自らが発起人となり立ちあがった「ショートショート大賞」において審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、新世代ショートショートの旗手として幅広く活動している。著書に代表作『海色の壜』、『E高生の奇妙な日常』など多数。
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