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特集:天野純希の世界

『島津義弘伝』刊行記念!

猛将・島津義弘とは、どんな武将だったのか?

中山義秀文学賞を受賞した気鋭の作家、天野純希は、島津義弘をどう描いたのか?その作品世界を覗いてみよう。

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島津四兄弟クロニクルいよいよ完結!

天野純希が薩摩、大隅、日向の九州三州を平定し、戦国最強と謳われた島津四兄弟を題材にするのは、本作が初めてではない。

まず筆頭に挙げられるのは、『破天の剣』(小社刊)である。島津貴久の四男として生まれた家久を主人公に据え、兄弟の中で自分ひとり母親が違うという出自に悩みつつ、「軍法戦術に妙を得たり」と評される軍略で大友宗麟、龍造寺隆信といった九州の名だたる大名を相手に善戦し、天下人・豊臣秀吉も恐れをなすほどの存在になった人物である。島津家久というと関ヶ原の合戦後、徳川家康の一字を受けて家久を名乗った島津家第十八代当主・忠恒を連想するせいか、日本史の中では影に隠れていた印象があるが、天野は実に鮮やかな筆致でこの人物の人間像を描き、第十九回中山義秀文学賞を受賞したことは記憶に新しい。

そして、『破天の剣』から四年後にあたる『衝天の剣 島津義弘伝(上)』(以下、『衝天の剣』)が二〇一六年七月に登場し、十一月にはその完結編となる『回天の剣 島津義弘伝(下)』(以下、『回天の剣』)が刊行される。ともに、島津四兄弟の次男・義弘を主人公にした作品だ。

「鬼島津」と呼ばれた義弘の人間像

『衝天の剣』は、秀吉の九州征伐の五年後からはじまる。家久の活躍により九州制覇を目前にしながらも、二十万余の大軍に攻められて敗退を重ね、領地を削られた挙げ句に度重なる軍役や普請役により、多くの家臣が貧窮に喘いでいる。

そんな情勢の中、義弘は秀吉から二度に及ぶ朝鮮への出兵を命じられる。世に言う文禄・慶長の役である。

歴史上、これが失敗に終わったことは誰もが知るところだが、その中で義弘はわずかな軍勢で果敢に闘い、朝鮮軍から「鬼石曼子」と呼ばれ、恐れられる存在になる。曼子は饅頭のことで、島津は石でできた饅頭のように、噛み砕くことができないという意味である。義弘が日本で「鬼島津」の異名をとった所以である。

また、このとき義弘が朝鮮から多くの陶工を故郷に連れ帰って「薩摩焼」を広めたことも歴史上名高いが、『衝天の剣』での天野の筆は単に史実をなぞるに留まらず、義弘を理想的なリーダーとして描いているのも興味深い。

「無理強いして日本へ連れ去ったところで、そのような者の焼いた器が、美しい物になるはずがあるまい」として、陶工たちに島津家の庇護を約束する義弘には、武人の枠を超えた人間の幅が感じられるのである。『衝天の剣』によって、島津義弘という武将の人間像は、読者の脳裏に圧倒的な存在感を残したと言える。

クライマックスは関ヶ原

さて、『衝天の剣』に続く、本作『回天の剣』で描かれるのは、慶長五(一六〇〇)年九月十五日、関ヶ原で行われた合戦をクライマックスにした物語だ。石田三成の西軍と徳川家康の東軍とが争った、天下分け目の合戦である。

このとき、義弘が背負った運命は過酷なものだった。

関ヶ原の戦いは、全国のほとんどの大名がまき込まれた大規模な合戦だった。島津家当主で長兄の龍伯(旧名・義久)は、秀吉を憎むあまり、関東で二百五十万石を領する大大名である徳川家康に与する外交戦略をとっていた。

当然、義弘も兄の方針に逆らわず、東軍につこうとするのだが、家康に敬遠されて石田三成の西軍につくことになる。このとき、義弘が率いる兵はわずか七百。増援を願うも、あくまで徳川の勢力に与しようとする龍伯はこれに消極的で、「家を挙げての増援は出さぬ。あくまで、それぞれの判断で上方へ向かわせるのだ」としか応じない。

最終的に義弘は、わずか千五百の兵を率いて関ヶ原の猛火に身を投じることになる。

「ただ今より、我ら千五百は一本の剣となる。一人一人が刃と心得よ。刃が欠けるほど、切れ味は鈍る。内府(家康)が首を刎ねるまで、一人たりとも欠けることは許さん」

この義弘の決死の思いは関ヶ原で炸裂し、全軍一丸となって敵大軍の中央突破を果たすという死闘につながるのだが、その迫力ある描写は本作を読んで直に確かめてほしい。

雌雄を決した石田三成と徳川家康

どのように描かれているかについても見ていこう。

まずは西軍の石田三成。秀吉から「寺小姓では一生見ることのない景色を、わしが見せてやろう」と誘われ、天下人となった主の参謀の一人に成り上がった三成だったが、秀吉の死後、家康の台頭で立つべき舞台を追われてしまう。そして、徳川家並びに親徳川派の大名を排除し、毛利、宇喜多、上杉を中心とした新たな体制を作るという策略を打ったことが天下分け目の合戦の火蓋を切るきっかけとなる。

三成は性格が傲慢で、諸大名に対して横柄に接していたため、人望がなかったという通説があるが、『回天の剣』では義弘とともに参戦した甥の豊久に「私は少しばかり、あの御仁を見誤っていたのかもしれん」と言わしめるほどの器量を発揮する。歴史上の人物に新たな角度から光を当て、これまで見落とされてきた人物像を感じることは、時代小説を読む醍醐味である。

東軍の徳川家康についても、同じことが言える。

本作の冒頭にあたる第五章「庄内の乱」における家康の「思えば自分は、常に圧倒的な強者に怯えながら生きてきた」という独白には、ハッと驚かされるものがある。

物心ついた頃から織田、今川の間を人質としてたらい回しにされ、ほとんど身一つで戦国の荒波に放り出された家康は、秀吉の世には律儀一辺倒に徹し、ひたすら公儀に恭順の意を示し続ける一大名に成り下がっていた。

そして、秀吉の死後、思いがけずに巡ってきた天下人へのチャンス。

「手を伸ばさなければ生き残ることができないなら、何としても手繰り寄せるしかない」と語られる家康の心中からは、関ヶ原への道行きが薄氷を踏む思いの決意だったことが伝わってくる。

こうした優れた人間描写が、戦場での大スペクタクルを盛り上げる重要な要素になっていることは言うまでもない。

現代人の心を揺らす島津義弘の生き様

『破天の剣』の主人公の島津家久は、歴史上マイナーな武将で、だからこそ作者の天野純希はこの武将に興味を惹かれたという。

一方、『衝天の剣』および『回天の剣』の主人公の義弘は、歴史好きの間ではよく知られた人物である。にもかかわらず、天野が義弘を主人公にして作品を書かずにはいられなかった理由は、どこにあるのだろうか?

それは、天野の作風が、功成り名を遂げた人物のサクセスストーリーより、時代に翻弄されながらも懸命に生きる不屈の人物を好んで取り上げてきたからではないか。

そう考えてみると、義弘という人物の魅力があらためて浮かび上がってくるような気がする。

『衝天の剣』の第三章「鬼石曼子」には、義弘が五千に届かぬ将兵らとおよそ百余艘の朝鮮水軍に激突するシーンが描かれている。

そのとき、錦江湾の船戦で、相手を完膚なきまでに打ち破った末弟の家久に思いを走らせた義弘は、こう独白する。

「自分に、あれほどの才はない。戦いながら、学んでいくしかなかった」

あえて困難に身を投じて運命に立ち向かう義弘の姿は、変化の激しい時代を生きる現代人の心をも大きく揺さぶるはずだ。義弘の物語は、多くの人に生きる指針を与えてくれるに違いない。

新刊紹介

島津義弘伝(上)衝天の剣・(下)回天の剣

規格外の戦略と勇猛果敢な薩摩魂で、戦国最強と謳われた島津四兄弟。その中でも次男・義弘は、ひときわ光彩を放つ武力を持っていた。だが歴史の変転は四兄弟を次々と翻弄していく。九州制覇目前に立ちはだかる天下人・豊臣秀吉、予想もしていなかった明国への出兵。そして秀吉の死後の天下分け目の戦い「関ヶ原」──。丸十字紋の威信と誇りをかけ、時代を生き抜いていく猛将・島津義弘の戦国記、ついに刊行!(本体各1500円+税)

特集:吉村喜彦の世界

『バー・リバーサイド』刊行記念

著者エッセイ

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川は流れて、どこどこ行くの

吉村喜彦

生まれたところが、河原町という川辺の町だった。

学生時代は京都の鴨川べりに住み、その後、広島の天満川と太田川の中州に住んだ。いまは、多摩川の河川敷すぐそばで暮らしている。

根っからの河原乞食なのである。

川の水がさらさら流れているところでないと、なんだか落ちつかないのである。

角川春樹さんから「東京の街を舞台にバーの話を書きませんか」とオーダーいただいたとき、まず思いついたのは、東京・二子玉川のまちだった。

戦前、母方の祖父は二子玉川で材木商を営み、川に浮かべた屋形船で鮎を食べ、川辺の料亭で飲んだくれては、タヌキにだまされ、風呂と思って肥つぼに入ったそうだ。母からは戦前の花火大会の話や、いまは廃線となった砧線の電車が、たった1両で田園地帯をごとごと走っていたと聞いたこともあった。

ぼく自身が結婚するまえの、春の夕暮れどき。祖父や母の愛した二子玉川に住もうと、部屋を探していると、川辺をツバメが群れ飛び、蝙蝠がひらひら舞っているのが見えた。

バカルディというラム酒のラベルには「蝙蝠」のマークがついていて、ラッキー・バットと呼ばれていたことが頭に浮かんだ。

マーテルというコニャックには「ツバメ」のマークがついていて、これまた幸福の象徴といわれていた。

酒好きのぼくは「二子玉川はおまえにとって幸せの土地だよ」と神さまがおっしゃってくださっているような気がして、あっという間に部屋を決め、それ以来、26年あまり夫婦二人で多摩川の川べりに住んでいる。

女房は子どもの頃からずっと重いアトピーを患い、調子が良くなったり悪くなったりを繰り返しているけれど、調子の悪いときにかぎって、窓辺をツバメが、ぷっくりした可愛いお腹を見せながら、ゆっくりと滑るように飛んでいったりする。夫婦げんかをした黄昏どきには、蝙蝠がラム酒に酔っ払ったように、川辺をふらふら飛んで、おもわずぼくと女房を笑わせてくれる。

楽しいときもしんどいときも、多摩川が、あるときは優しく、あるときは激しく、なんだかぼくらの血液みたいに流れつづけている。

そんなこんなで、『バー・リバーサイド』の主人公は、多摩川と動物たち植物たち、そして、なにより川の神さまだと思っている。

ちなみに、蝙蝠の語源は、「川守り」なのだそうだ。

吉村喜彦(よしむら・のぶひこ)
サントリー宣伝部勤務を経て、作家に。小説の著書に『こぼん』『ビア・ボーイ』『ウイスキー・ボーイ』があるほか、ノンフィクションの著書も多数。現在、NHK─FM「音楽遊覧飛行〜食と音楽で巡る地球の旅」の構成・選曲・ナビゲーターもつとめる。
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