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伊藤祐靖の世界

『陸軍中野学校外伝 蒋介石暗殺命令を受けた男』刊行記念

伊藤祐靖インタビュー

自衛隊に特殊部隊を作ったとして知られる伊藤祐靖氏。日本の防衛環境の内情を熟知した著者には、かつて陸軍中野学校の俊英として知られた父親がいた。今まで語られることのなかったその父親の知られざる足跡と歴史の闇を初めて描いたのが本書『陸軍中野学校外伝 蒋介石暗殺命令を受けた男』だ。ウクライナ戦争の突然の勃発など、日本の隣国を巡る国際環境が厳しさを増してくる中、その執筆に至るまでの経緯と著者の本書へ込めた思いについて伺った。

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―― 本作品を書こうと思ったきっかけは?

伊藤祐靖(以下、伊藤)> 父を主人公にした小説は、ずっと書こうと思っていました。その理由は父が「変だから」です(笑)。昭和二年に生まれた父は、戦前、戦中、戦後を通して昭和という激動の時代を生きました。父の昔話はよく聞いていましたが、いつも当時を語る他の人たちとは違うことを言っていました。例えば特攻隊の遺書です。まだ十六歳の青年が、両親への感謝を込めた文章を美しい筆跡でしたためているのを読めば、多くの人は涙せずにいられないでしょう。ところが「あれほど立派な遺書を書けるなら、みなさぞ優秀だったのでしょうね」と父に問うと、「そんなわけないだろ」と一蹴するんですよ。父によれば、特攻隊には遺書のフォーマットがあった。満足に字が書けない隊員の遺書は、達筆な仲間が代筆することもあったそうです。しかも特攻隊は品行方正な人物だけでなく、コンビニの前でたむろしているようなどうしようもない連中もいた。私はそれを聞いて「やっぱり」と思いました。

戦争中の話は美談が多いですが、ひねくれ者の私は心の片隅で「本当にそうなのか?」とずっと疑問でした。私は昔の人がみな優秀だったとも、敗戦から数十年で日本人ががらりと変わったとも思えない。昔も不真面目でぶっとんだ人間がいたはずですが、そうした話はなかなか出てきませんよね。父の話には美談はなく、だからこそ腑に落ちるリアルさがありました。あの時代にも父のように常識から外れた変な人間がいたという話を書くことで、現実のにおいを伝えたいと思いました。

―― 二作目となる本作品は、現代を舞台にした前作の『邦人奪還』と異なり、均が生きた昭和の時代を描いています。作品で力を入れたところは?

伊藤> いくつかありますが、まずは戦前の庶民の生活ですね。世界恐慌と満州事変を経て、父が物心ついた頃から世の中から物資がどんどんなくなっていったと聞いています。衣食住に関わる、庶民にとってごく当たり前だったものが、戦争継続のために次々と代用品になっていく。代用品の数々には、日本人特有の創意工夫が発揮されるんですけどね。庶民が時代の大きなうねりに流されていく様子を、父が育った東京のひとつの家庭の風景を通じて書きました。

もうひとつは「父らしさ」です。愛国心を叩き込む学校や軍隊で、父はどうだったのか。小説にはにわかに信じがたい話がたくさん出てきますが、そこには父なりの譲れない論理がありました。目的のためならインチキも厭わない父は、小さい頃から周りと違う自分に気づいていたと思います。今以上にみんなと同じことがよしとされる当時の価値観の中では、生きづらさを感じることもあったでしょう。そんな父は、諜報将校の養成機関として知られる陸軍中野学校で花開きます。敗戦で多くの資料が消された中野学校は謎のベールに包まれた組織として語られます。中野学校といえば、市川雷蔵主演の映画シリーズがありますよね。フィリピンのルバング島でたった独りになっても、二十九年間に渡って情報収集や諜報活動を続けていた小野田少尉も中野学校の卒業生です。全国から優秀な者を選抜し、国内外で暗躍するスパイを育てた機関はさぞすごいところだろうと思う方が多いと思いますが、父は常々「あんなところ大したことない」と言っていました。初日に「軍人らしさを捨てろ」と言われる中野学校は、多くの学生にとってそれまで必死で身に付けた常識を今度は捨て去る努力を求められる場でした。ところが小さい頃から常識という枠を窮屈に感じていた父の、平時には決して評価されなかった「父らしさ」は、まさに中野学校が求める能力でした。両者の出会いは、時代が生み出した偶然の一瞬といえます。

―― 主人公の均は帝国陸軍、伊藤さんは海上自衛隊。国を守る使命を持つ者として共通する部分、違う部分とは?

伊藤> 共通しているのは、お互い「命懸け」という言葉が嫌いなところです。一般的に命懸けで何かに挑むのはすごいことだと受け取られますが、こういう職では目的のために命を懸けるのは当然で、それをわざわざ口にすることはありません。テレビなどで「命懸け」という言葉を耳にするたび、父は「そんなの普通だろ」と言っていました。

違う部分は、国を創る意志です。私が所属していた海上自衛隊の特殊部隊、特別警備隊は非正規戦が主な任務でしたが、どんな時もシビリアンコントロールが念頭にありました。自衛官である限り、我々は国家目的を実現するために行動します。その国家目的を決めるのは国民に選ばれた政治家であり、その命令に自衛官は従います。部隊が独自の意志で行動することはありません。国に動かされる私と違い、戦後官僚になった父は国を創ることを考え、その仕事に携わりました。似た経歴を有していても、この意識の違いは大きいと思っています。

―― 本作品を通して読者に感じてほしいこと、伝えたいことは?

伊藤> 暗さと重苦しさで塗りつぶされるあの時代にも父のような変わった人物がいたことを、当時の空気感と共に味わってもらえたらと思います。父は中野学校を「くだらなかった」と評していました。授業は当たり前のことばかり、新たに学ぶことはなく、逆に自分が教えてやったと豪語していました。諜報の世界は常識に縛られない発想や行動が武器になりますが、父の変人ぶりは中野学校の想定を超えるものだったのかもしれません。一見インチキにしかみえない行動も、俯瞰すると目的への最短距離なんですよね。私もインチキには自信がありますが(笑)、未だに父を超えることはできていません。

蒋介石暗殺の命を受けた父は十八歳で敗戦を迎え、「負けてよかった」と語りました。御国のために自分の命を使うことを選んだ父が、なぜ負けてよかったと思ったのか。私は父の言葉にしばらく納得できませんでしたが、実はここにも父なりの価値観が貫かれていた。たとえ戦争に負けても、他国に占領されても、父は日本という国がある限り存在し続けるものを守り、それを後世に伝える国家の土台を創ろうとしました。世の中が大きく変わっていく中で、変わらないものとはいったいなんなのか。父が守ろうとしたそれは、目に見えない何かだったのだろうと思っています。この作品を読んでくださったみなさんにも、ぜひそれを想像してみてほしいですね。

●作品紹介

『陸軍中野学校外伝 蒋介石暗殺命令を受けた男』 伊藤祐靖
昭和2(1927)年、元士族の家に生まれた伊藤均はかなり変わった子供だった。化学者を夢見た均は、8歳で爆弾(ニトログリセリン)を自製し、近所の橋を爆破。10歳でライフルの扱いに習熟し、13歳でヒグマ撃ちの単独行を成功させる。軍人を嫌悪しながらも陸軍予科士官学校に入った後は、その特異な才を見抜かれ、通称・陸軍中野学校に入隊する。そこで才能を一気に開花させ、中野学校の教官を驚かせ続けた均は、?介石暗殺命令を受けるが、実行することなく終戦。行き場を失った均の才能は、日本の戦後復興に向けられる……。規格外の男の影響を受けた息子は、後に海上自衛隊に特殊部隊を創隊する。
定価1980円(税込)
伊藤祐靖(いとう・すけやす)
元海上自衛隊特別警備隊先任小隊長。昭和39(1964)年東京都生まれ。日本体育大学卒業後、海上自衛隊入隊。防大指導官、「たちかぜ」砲術長等を歴任。イージス艦「みょうこう」航海長時に遭遇した能登沖不審船事件を契機に、自衛隊初の特殊部隊である特別警備隊の創隊に関わる。平成19(2007)年、退官。拠点を海外に移し、各国の警察、軍隊などで訓練指導を行う。著書に『国のために死ねるか』『自衛隊失格』『邦人奪還』などがある。
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