特集:今野敏の世界
『明鏡 東京湾臨海署安積班』刊行記念
対談
今野敏×岩井圭也
不動の人気を誇る「安積班」シリーズの最新刊『明鏡 東京湾臨海署安積班』が刊行された。著者の今野敏氏が、その記念対談に指名したのは「横浜ネイバーズ」シリーズが話題の岩井圭也氏。こちらも新刊が間もなく刊行されるが実は今野氏、このシリーズの愛読者なのだという。互いの作品へのリスペクトや二つのシリーズの共通点、そして、小説論へと広がりを見せた今回の対談。世代を超えた作家同士の、濃密な時間となった。
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―――岩井さんを対談のお相手に指名された理由を伺えますか。
今野敏(以下、今野)> 最近すごいでしょ。テレビを見れば岩井圭也の作品ばかりだし。飛ぶ鳥を落とす勢いの売れっ子なんで、ちょっと話してみたいなと(笑)。
岩井圭也(以下、岩井)> いやいやいや……。でも、ありがとうございます。何度かお会いしていますが、対談は初めてですよね。
今野> ですね。うちの飲み会に来ていただいたことはあるけど。
岩井> お声を掛けていただいて有難いです。同年代の作家に会うことはわりとあるんですが、先輩とご一緒するという機会は滅多にないですから。
今野> 我々が若手の頃は銀座に行けば会えたんですよ、先輩に。文壇バーも盛んで出版社が連れてってくれることも多かった。でも今はそういう時代じゃないから、積極的に飲み会の場を作ろうと思ってるんです。そうでもしないと、作家同士ってコミュニケーションを取る機会がないからね。
岩井> 本当に貴重です。先輩からしか聞けない話もいっぱいあって、それが執筆に生かされたり、やる気に繋がったり。今野さんからももちろん影響を受けていて、有名な話ですけど、旅先でパソコンを買って書いたという。
今野> グアムに行ったとき、過充電でパソコンが壊れちゃって。で、締め切りがあったから、すぐ買いに行って。
岩井> 初期設定から全部やって書き始めたと聞き、プロの執念を感じました。僕も見習って移動中の新幹線でも書くようにしています(笑)。
今野> 私の場合、パソコン買うのが趣味だったりもするんでね。新しいものを見るとついポチってやりたくなる。
岩井> そうした絶えない興味が小説にも表れていますよね。新しいものを常に取り入れていることが『明鏡』を拝読しても感じます。
今野> 「横浜ネイバーズ」シリーズもそうでしょ。いろんなテーマを新しい事象で書いている。でも、どこか懐かしいんだよね。なんでだろうと思って。そうか、中華街が単なる舞台ではなく、ふるさとになっているからだと。それがとてもいいなと思う。
岩井> ありがとうございます。
今野> あとね、若者の群像劇なんだけど、俺みたいな年寄りでも読めるんです。人情噺だから。
岩井> そうなんです。実はめちゃめちゃ古風なんです、やってること。
今野> なんだけど、古く見えないような道具立てと書き方ですよね。ああいう話って普遍的だから、古いも新しいもないんです。
岩井> 主人公の男の子がいて、その男の子を好きな幼馴染みの女の子がいて、ちょっとやんちゃな親友もいてという構図も普遍的ですし。
今野> ただね、その交流がベタベタしていない。これは岩井くんの持ち味だと思うけど、人間関係がさらっとしてますよね。適度な距離感でいいんですよ。
岩井> 僕自身の考え方も関係しているかもしれないですね。一番仲のいい友人といえるのは大学時代の剣道部の仲間です。今、彼らとは年に一回会えるかどうかですけど、会う頻度と人間関係の密度というのは必ずしも一致しなくて、もうちょっと奥深いところに本当の人間関係はあるんだろうと信念のように思っているところがあります。
今野> まさにネイバーズの関係性だ。読んでいても興味が湧きます。
岩井> 基本的に「横浜ネイバーズ」シリーズは短編集なので、その縦軸として人間関係の変化や成長を据えています。だから、登場人物たちが年を取る。ここは「安積班」シリーズとの大きな違いです。
今野> 年を取らせたいと思ったこともあるけど、安積さんが定年しちゃうからね。それもあって、サザエさん方式で行こうと決めたんです。
岩井> 年を取らないといろいろなものが省けるので、一行目からストーリーが始められますよね。すごく羨ましいです。ネイバーズでは毎回巻の初めでこれこれこうなってみたいな時間経過の説明をしています。
今野> 俺が読者だとしたら、その説明はいらないと思ったんです。それで余計なものは書かないスタイルにしました。
岩井> 短編になるとストーリーがさらに凝縮されるから、一つひとつの密度が本当にすごい。長く続けることで作られた安積班という強固な土台があるからとはいえ、それが十編詰まった『明鏡』には圧倒されます。
―――その言葉のとおりに、今作は「安積班」シリーズならではの短編の魅力が詰まっています。
今野> 短編ってどこかに焦点を当てなければいけなくて、できれば長編では描けない部分、例えば事件捜査以外にも目を向けたい。それができるんですね。
岩井> 「社交」はまさにそうです。部下の社交性がないことで警察社会に馴染めないんじゃないかと心配する係長が出てきますけど、これって一般企業の管理職が共感する話ですよ。それを、警察という一般人からは遠い世界でも当然存在しているよねと教えてくれる。「安積班」シリーズ以外ではなかなかないことです。
今野> キャラクターにスポットを当てやすいというのもありますよね。物語の幅を広げてくれるから。
岩井> そういう意味では、水野の存在って大きいと思いました。ドラマ化をきっかけに登場したキャラクターですが、今やキーパーソンですよ。
今野> 女性がいることの意味をドラマに教えてもらいました。山口という女性記者もいるといないとでは物語が少し変わってきますね。
岩井> 「願望」は女性記者だから成り立つ話ですよね。この作品、タイトルの意味が二重三重になっているところも含めて、すごく好きです。個人的には冒頭の「黄落」も外せません。剣道をやっていたので、僕は黒木が好きなんですよ。
今野> そう言ってもらえるのは、それぞれのキャラクターが育ってきたからですね。シリーズの面白さは登場人物が成長することです。これは書いておかないとってことがどんどん増えてきて、人格も出来上がっていく。
岩井> それを、シリーズを追うごとに万華鏡みたいに見せていく。醍醐味ですね。
今野> 長く続けるとそういう楽しさもありますね。だから変化球を投げたくなったり、あえて直球勝負しようとか、いろいろ工夫ができるんですね。
岩井> そんな話を聞くと、この先どんな景色を見せてくれるんだろうと益々楽しみになります。
今野> 将来のことはあまり考えないんですよ。ただ、作家もその時代に生きているわけで、いろんな関心を持っています。それが書き始めると自然と出てくるんですね。新しいものをという話があったけれど、新しいものを書いてやろうと思ったらもうアウトなんです。新しくならないですね。
岩井> 同感です。僕はネイバーズを時代を書き留めるような作品にしていきたいと思っているので、その時々の事象をすぐに取り入れられるように文庫書き下ろしにしました。
今野> 原稿を書いてから単行本になるのに一、二年掛かって、文庫になるのにさらに時間が掛かるから、読者が読む頃にはもう古くなってますよ。だから、原稿を書いている時に何を感じるか、考えているか。それしか頭にない。小説を書くって行為は、多分そういうことだと思います。
岩井> ジャズのセッションに近いというか、その時でなければ再現できないんだろうなと僕も思います。
―――お二人の執筆に対する姿勢には近しいものを感じます。
今野> 近いものはあると思います。さっき言った人と人との関わり方があまり暑苦しくない感じなどはどの作品にもあって、好きですよ。
岩井> それは僕も「安積班」シリーズに感じていました。あくまでも職場の同僚という距離感を保ちながら、でも、それぞれに信頼があって、絆があって。そこがやっぱりかっこいい。
今野> それとね、ネイバーズはチームで動くじゃないですか。集団で動くって話が私は好きなんです。
岩井> 実は思っていることがあります。『明鏡』にはSNSやトクリュウが通奏低音的にありますけど、僕が書いていることとも近いんですね。安積班は警察という組織で解決していくので正攻法の表とすれば、ネイバーズは町場のお兄ちゃんが知り合いの伝手を頼って解決する、いわば裏の方法。おこがましいですけど、「安積班」シリーズと「横浜ネイバーズ」シリーズで表裏の関係になれたらいいなと。同じ時代を、表と裏、それぞれの視点で書いているものとして読んでいただけたら、さらに楽しめるんじゃないかなって。
今野> 立場的にネイバーズの人々は被害者になりうる。そこが警察小説との表裏というか違うところで、面白いところですよ。
岩井> ただ、比べるまでもなく、「安積班」は四十年近く続くシリーズです。僕が「横浜ネイバーズ」を書き始めたのが三十五歳ですから、そこから四十年って考えると途方もない話で。それに、当たり前のことですけど、求められなきゃ続けられない。そういう意味でもほんとにすごいことをされているんだと実感します。
今野> でもね、私は吉川英治文学新人賞を取るまでに二十七年掛かったんです。その間は求められない作家だと思っていた。それでも続けてこられたのは、小説を書く以上に好きなことがなかったからです。書くのは辛いし嫌なんだけど、これ以上に楽しいことはないんだろうと改めて思うわけです。
岩井> そうなんです! だから、趣味はなんですかと聞かれて、小説ですって答えてしまう(笑)。デビューした時はフルタイムで働きながら小説を書いていましたが、小説が息抜きでした。今でもそうです。これでほんとにお金貰っちゃっていいんだろうかという気持ちがまだちょっとあります。
今野> そういう人しか続かないですよね。
岩井> 続けていけば、「心得」みたいな話が書けるようになりますか? 髪型だけで一本書き上げるなんて今の自分には到底無理だし、髪型の話に終始しながら矮小かといえばそんなことは全然なくて。読んだときは落ち込みました。
今野> 小説を書くって、結局細かいことの積み重ねなんだと思います。でっかい小説を書こうとしても、大味になってしまうんです。
岩井> 今の、グサッと来ました。やってます。
今野> いや、俺自身もそうなの。若い頃はそれで苦労したし。でっかい小説を書こうとしても、構えがでっかくなるだけで。それよりも、ネイバーズみたいに人間関係を丁寧に書いていったほうがいい。印象としてはでかくないけど、残るものは大きいですよ、読者にね。
岩井> コツコツ掘っていくしかないんですね。
今野> 短編に限らず、すべての長編にも言えることだと思います。結局足元を見るしかないですよね。
特集:ひらいめぐみの世界
『世界味見本帖』刊行記念
特別対談
ひらいめぐみ×生湯葉シホ
『おいしいが聞こえる』『転職ばっかりうまくなる』等のエッセイ集で次々に話題を集めるひらいめぐみさん。この度、世界料理をテーマにした『世界味見本帖』が刊行された。実はひらいさんは食べられないものが多く、冒険する気持ちでこわごわと世界料理を食べていたという。今回は、「食べられなかったもの」をテーマにしたエッセイ集『音を立ててゆで卵を割れなかった』を上梓した生湯葉シホさんとの特別対談を実施。「食べることと書くこと」について、存分に語りあう。
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――――お二人は以前も書店のイベントで対談されるなど、交流があったそうですね。お二人の出会いと互いの文章への印象について教えていただけますか。
ひらいめぐみ(以下、ひらい)> 最初はたぶん、居酒屋だった気が……。共通の知り合いが何人かいる飲み会でシホさんも来るよっていうのをお聞きして、そこにお邪魔したときに初めてお会いしました。文章については、私は一方的にファンで、ブログを書かれていたときからいつも楽しく拝読していました。
生湯葉シホ(以下、生湯葉)> そのときに私がめぐみさんの文章を読んでいたかは覚えていないんですけど、お会いしていくうちにすっごく面白いものを書く方だってわかってきて、のぞむくん(※ひらいさんのパートナー)と三人でご飯行ったりみんなで行ったり、って感じでしたね。最初に読んだ文章はたまごシールの話(※『おいしいが聞こえる』収録)だったと思うんですけど、着眼点がまずすごいし、受け狙いでとっぴなことをやっているのではなく、この人素でこうなんだ、っていう面白さがあって。文章から人柄がにじみ出てくるみたいってよく言うと思うんですけど、本当にその人がそこに立ってるみたいな、唐突な面白さのようなものを感じて、すごい書き手だなあって思った記憶があります。
ひらい> ありがとうございます。シホさんの文章のすごいところは、二日後とか一週間後とかに時間差で胃に落ちるところだと思います。映画とか小説とかって、触れたときが一番ピークだと思うんですよ。余韻っていうのは続くんですけど、一か月とか一年とか経つと、その感動が薄れちゃう。でもシホさんの文章は薄れない。文章の技術的なうまさはもちろんなんですけど、私がシホさんの文章に惹かれるなって思うのは、その時間差ですね。
生湯葉> ウェブで活動してると、その場でバズって流れて行っちゃうものって多いじゃないですか。時間差で落ちてきて手元に置いておきたいって言ってもらえるのは一番うれしいですね。
――――では、『世界味見本帖』について伺います。この本は、偏食気味のひらいさんが世界の料理をめぐるというユニークな本ですが、読まれてみて、生湯葉さんはどのような感想を持たれましたか?
生湯葉> めちゃくちゃ面白かったです。最高傑作だと思います。当然面白いものを書かれる方だとはわかってたんですけど、本当に面白くて。
ひらい> うれしい〜! あとで録音データを聞き返したい(笑)
生湯葉> いくらでもリアルタイムで言いますよ(笑)。めぐみさんは、新しいものを食べることに対して、アグレッシブな方ではないと思うんですよ。最初に企画をいただいたときからやるぞって感じだったんですか?
ひらい> お仕事じゃなかったら絶対やらないなと思ったので、逆にこの機会を断ってしまったら一生私は同じ店の同じメニューだけを食べ続ける人生だなと思って。それでO?Kした気がします。
生湯葉> 実際こわごわ食べられてる感じがしますよね。めぐみさんの食べものの描写って容赦なさを感じます。食べものに人格があったらこんな言い方は絶対にできない。とんでもないものに喩えたりするじゃないですか。食べものの話って、みんなその食べものの本質みたいなものを突いちゃうのが怖いから、うまいこと周辺情報ばっかり話していると私は思っているんですよ。たとえば仙草ゼリーだったら「ハーブの風味」とか「コーヒーゼリーっぽい感じ」とか。それを「枕投げの味」とはっきり言うのって、突然のことだから周りもぎょっとするし、たぶん食べもの本人もびっくりしてると思うんです。よく当たる占いとかってちょっと怖いじゃないですか、本質を言い当てられるのは。それを食べものに対してやってるんだなって。これ怖いし、すごく容赦ないなって。読んでて気持ちよかったですね。めぐみさんの鋭い視点が向くのが食べものであってくれてよかったなあって思いました。
ひらい> シホさんは、普段ご飯の選び方ってどうしてます? 決まったものを食べるとか、新しいものを毎回食べるとかだとどっちですか?
生湯葉> 私は、一作目のエッセイが食べられなかったものの話だから、かなり食に保守的なタイプだと思われるんですけど、知らないものを食べるのも大好きです。だから結構世界各国の料理とかも、たぶん私も好きで。
――――ひらいさんにとって、印象的だった回はありますか?
ひらい> それぞれ違う方向性のインパクトがあったんですけど、身近な素材なのにっていうので驚いたのが、マルタ料理でしたね。お米のピザみたいなのが出てきて。あとはコシャリっていうエジプト料理。お米と長いパスタを細かくしたものを混ぜた料理です。お米とかピザとかって、これはこうやって食べるものって思い込んでたので、お米をピザにしたらこんな味になるんだとか、お米とパスタって混ぜていいんだとか、自分の常識が覆されていく感じがありました。
生湯葉> シンプルに一番おいしかった料理は?
ひらい> 悩ましいな〜(笑)。ドイツのフラムクーヘンが一番かもしれないですね。
生湯葉> フラムクーヘンは私も読みながらめっちゃおいしそうって思いました。フラムクーヘンのくだりで、薄張りの氷を踏むときの高揚感に似ているっていう、あそこの描写がすっごく素敵で、食エッセイ史に残るような描写だなあと思いました。そこから子どもの頃のホットケーキの記憶に接続していくのも、当然自分は味わったことはないんですけど、口の中に触感が自動的に再現されるような感じがあって好きでしたね。
ひらい> 初めて感想を聞けてうれしい(笑)。
生湯葉> めっちゃ売れてほしいです。私は「口内花火大会」が好きで。
ひらい> シホさんはお酒を飲まれるのがお好きだからぜひ食べていただきたいです。
生湯葉> おいしかったわけではない?
ひらい> おいしいなのかな? 「おいしい」が、食べものの最上級の誉め言葉だと思ってたんですけど、「おいしい」じゃない誉め言葉がこの世にないってことに今回気づいて、それでいうと「おいしい」ではなかったんですけど、「また食べてみたいな」って気持ちはあります。
生湯葉> 確かに「おいしい」に代わる誉め言葉がないって本当にそうですよね。人間に対してはいろんなタイプの誉め言葉があるじゃないですか。優しいとか面白いとか。けれど食べものに関してはおいしいって言わないと、結局「おいしいの?」ってなるっていう。
ひらい> そうですね。おいしいの脅迫があるかもしれない。
――――もともとタイトル候補に「味の翻訳」というのもあったそうですね。「おいしい」を、ひらいさんの言葉で翻訳されている一冊という印象があります。
ひらい> でも「これはもう無理かも」みたいな回が何回かあって。なんて書いたらいいんだろう……みたいな。「おいしい」って便利なんで、「おいしい」って言っちゃうとそれで終わっちゃうし。色んな方の本を読んでインプットしようと思うんですけど、どこにも答えみたいなのが見つからなくて、結局自分で書いていくしかないんだっていう。
生湯葉> めぐみさんって食エッセイを読むこと自体もそんなに関心がないですか?
ひらい> ないですね。
生湯葉> わかる〜(笑)。
ひらい> 最初に文章を書き始めたのが、前に所属していたおやつの会社からだったので、読んだことないのに書けるのかなって思って、仕事のために初めて読んでみたりしたんですけど。全然興味が持てなくて、読んでないのに書いていいのかって思いながら、書くようになってしまって……。ありますか? 食エッセイに対する印象というか。
生湯葉> あります。やっぱり食エッセイっていかにおいしく表現するかっていうところに評価が集まりやすいですし、読み手の多くは、読んで自分が食べた気になりたい、おいしいのを読みたいっていうモチベーションな気がします。あとは知らない食べもののことを知りたいとか。どこか一元化されていく感じがあって、私はあんまり関心がなかったんですよね。でもめぐみさんの書き方って本当にS?Fの未知の文明とか科学を説明するみたいに描写するから、こういう書き方で書けたら面白いな、と思うし、食エッセイに関心がない方のほうがむしろ面白がるかもしれない。
ひらい> それはめっちゃうれしいなあ。S?Fみたいなご飯でしたね、言われてみれば。S?Fの棚にしれっと置いてもらいたいですね(笑)。
生湯葉> すごく聞いてみたかったのが、今の話みたいに、食エッセイってとても需要があるじゃないですか。しかもたぶん今、エッセイ売り場っていったら女性の食エッセイだらけなんですよ。そのなかで食エッセイっていうジャンルに入ることに対して、私はずっと違和感があるんですね。自分のエッセイでは食の話はそんなしてないって思っちゃうから。めぐみさんは、食について書く人ってイメージがちょっとだけあるのかなって。それに関してはどうですか?
ひらい> おいしいご飯を描写する人だと期待されて手に取ってくれた人がいたら期待に応えられないだろうな、という気まずさはあるかもしれません。最初に『おいしいが聞こえる』を作ったときも、おいしいご飯を描写する本として作ったわけじゃなかったので。表紙の佇まいや三好さん(※三好愛さん。『おいしいが聞こえる』装画を担当)のイラストの雰囲気から、食エッセイだ、読んでみよ〜! みたいな感じで、食エッセイ好きの方も手に取ってくださったと思うんです。でも、期待通りの食エッセイでないことを、面白がってくれているご感想も目にすることが多いんですよね。きっとシホさんの本ももし食エッセイの棚にあって手に取ったら、他のシホさんの文章をもっと読んでみたいってなるだろうし。そういうインパクトがあるほうが記憶に残るのかなと思うと、それはそれでいいことのような気がしてきました(笑)。
『世界味見本帖』刊行記念エッセイ
「おいしい」を超えた味
ひらいめぐみ
一年半ほど前、食に対してかなり保守的で、実は数えてみると苦手なものが三十個以上ある偏食気味なわたしに、「世界料理のエッセイを書きませんか?」と担当編集のSさんからご連絡をいただいたときは、正直なところ「自分に書けるんだろうか」と手応えのなさを感じていました。三十年以上、味がわかるものだけを好み、食べたいものだけを食べて生きてきた人間です。しかし、未知の料理を食べることに興味は持っていました。これを機に、食との向き合い方を変えてみたい。そんな思いで、今回の企画をお引き受けしました。
いざ引き受けてみてまっさきに驚いたのが、今まで自分がいかに「おいしい」に固執していたか、ということです。たとえば食べ慣れた食材でも、パクチーやセロリ、鰻、発酵食品など、わたしの中で正面から「おいしい」と感じるのではなく、「くせがある滋味深いあじわい」と分類しているものがあります。いろんな国の料理を食べているうちに、食材単位ではなく、一皿単位で、そういった「おいしい」という表現にあてはまらないあじわい深さがあるのだと気づかされました。生湯葉シホさんとの対談でもあったように、現代において、料理の誉め言葉には「おいしい」しかありません。だけど、実は「おいしい」だけが料理の最上級の評価ではないのです。薬草を使った台湾の仙草ゼリー。ペルー料理に出てきた紫とうもろこしのジュース。ウィスキーをそのままひき肉にかけるイギリスのスコッチハギス。それぞれの持つ個性や魅力は「おいしい」という言葉を超えた、未知の味でした。
わたしのように、「いつも同じものばかりを頼むけれど、ほんとうは食で冒険してみたい」と考えている方もきっといらっしゃるのではないかと思います。そんな方に、この本が未知の料理への扉をひらくきっかけになれば、とてもうれしいです。
小特集:神尾水無子『鴉揚羽の仕業』刊行記念
特別エッセイ
神尾水無子
わたしのドストライクゾーンは、見目麗しい総白髪(銀髪も可)のダンディな紳士。
江戸手妻を現代に伝承する藤山新太郎師匠に惹かれたのは、そのドストライクな容姿からだった(本当に乙粋で、すてきなの!)。
新太郎師匠は作中に登場する柳川一蝶斎が完成させた手妻浮かれの蝶=i師匠は蝶のたはむれ≠ニ題されている)を、それはそれは美しく演じておられる。初めて観た時は、まさに雷に撃たれた衝撃。江戸手妻とは、かくも美しいものなのか。
好みのルックス→江戸手妻へ、あっという間にわたしはハマった。加えて一本立ちした弟子の藤山大樹さん(好青年!)の目にも止まらぬ速さ、と華麗な手妻にも夢中になった。どちらもユーチューブで堪能できるが、ぜひナマの手妻を観てほしい。
彼らの舞台には何度も通ったが、演出がまた小粋。新太郎師匠の銀座博品館での手妻では、(現存する中で)日本最古の弁当屋、《日本橋弁松総本店》の、ザ・江戸っ子な仕出し弁当つきだったり、大樹さんの手妻は人形町《玉ひで》の親子丼つきなど、そこはかとなく、お大尽のお座敷遊びのような趣向を凝らしている。
そういえば神田明神文化交流館では、舞台の前に新太郎師匠がご自身の名を染め抜いた浴衣姿でのんびりと館内を歩いていて、その艶っぽさと色っぽさに卒倒しそうになった。
このように江戸手妻は、今も案外と身近なところで生きている。若い手妻師も育っている。何といっても国の無形文化財! 絶やしてはならぬ。
そんなこんなを経て、当然のように柳川一蝶斎を中心に、江戸手妻のお話を書きたくなった。主人公の一人には、まだまだ修業の足りない十四歳くらいの男子がいい。十四歳というのは、大人と子供の間をどうやって切り抜けるか、懸命にもがきまくる年頃だ。
ライバルもいたほうがいい。一蝶斎に負けぬ人気を誇った養老瀧五郎の弟子という設定はどうかな。花形の女手妻師もほしい。イケメンの手妻師に、ワケありの席亭はどうだ。
人物設定の大枠はするすると決まった。しかし、担当編集者さんがいつもと変わらぬ優しい笑みで言い放った。「ハードボイルドでいきましょう」
江戸手妻でハードボイルド……。おおいに悩んだ。だがここで蝶吉、揚羽、虎次、春太と席亭の右京がふんばってくれた。実在する浅草の大親分も名乗りを上げてくれた。遠山の金さんまで駆けつけた。尻ごみする作者をぐいぐいとひっぱった千両役者たちだ。
彼らは花道を駆け出したばかり。欧米のイリュージョンのような派手さはないが、江戸手妻にはゆかしさがある。江戸市民は時に感涙しながら、やんやの喝采を送ったという。
柳川一蝶斎一座に、ぜひみなさまの喝采を浴びせて下さい。