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根本聡一郎 の世界

出身地の東北を舞台にした物語を中心に執筆活動を行う根本聡一郎氏。『宇宙船の落ちた町』もまた、自身の郷里への思いが生んだ作品だ。そんな根本氏の対談相手となったのは田口幹人氏。同じく東北出身でカリスマ書店員として名を馳せた田口氏はこの作品をどう読んだのだろうか。東日本大震災でのボランティア活動など共通項も多い二人の話は作品の背景となった“あの時”にも及んだ。

[対談]根本聡一郎 × 田口幹人

生きづらさを感じる現代の分断社会を、東日本大震災を経験した作家・根本聡一郎はどのように描くのか。《落ちてきた宇宙船》という突飛な存在に託された願いとは?対談で創作の秘密に迫る。

根本聡一郎(以下、根本) > 僕は人の迷惑になるくらいツイッターをやっているんですが、そこで見たのが「さわや書店」さんのポップでした。すごい本屋があるなぁと。でもそれを書かれていたのが田口さんだというのは存じ上げなくて。今日はお会いできて、とても嬉しいです。

田口幹人(以下、田口) > 僕もお目にかかれるのを楽しみにしていました。同じ東北出身として『宇宙船の落ちた町』には共感する部分がたくさんありました。根本さんは福島県の出身なんですよね。

根本> いわき市です。とはいえ、僕が生まれ育った好間町というところは市内でもかなり山の中で、ど田舎です(笑)。通っていた小学校は全校生徒合わせて七十二人。クラス分けという概念を知ったのは中学に入ってからでしたね。

田口> 作品の冒頭で、主人公が自分の町について「何もない」と言ってますよね。「あってほしいものがなく、なくてもいいものだけがある状態」をそう言うと。これ、実際に田舎にいた人でないとできない表現だと思うんですよ。僕も人口六千人の町で生まれ育っているので、よくわかります。

根本> 本当にそう言うしかないんです。でも、僕はあの町、嫌いじゃないんですよ。

田口> 東日本大震災に遭った時は福島にいらっしゃったのですか?

根本> いえ、大学進学をきっかけに仙台で暮らすようになり、震災は二年の終わりでした。それから沿岸部で瓦礫を拾ったり、ネットメディアを使ったNPOの活動も始めたり。この頃って進路に影響する時期なので友人たちは東京に行っていましたが、僕はここでやるべきことがあると思い続けていたら、就活シーズンが終わってしまった。それまでは教師になるつもりだったんです。でも、さまざまな人に出会い、いろいろ経験していく中で考えが変わり、卒業後は本屋さんでアルバイトをしながら、小説を書くようになりました。

田口> えっ、書店ってどちらの?

根本> 今はもうなくなってしまったんですけど、仙台駅の三階にあった……。

田口> ブックスみやぎ?

根本> そうです、そうです。NPOに注力することになり、半年ほどで辞めることになってしまいましたが、とても良い経験をさせていただきました。

田口> 僕は盛岡で震災を迎えましたが、支店のあった釜石市の壊滅的な状況も目の当たりにしています。それでも、同じ東北とはいえ一括りにできないのが福島だと思っています。この“宇宙船が落ちた”とは、つまり、原発事故を指しているわけですよね。

根本> イコールではないのですが、着想はそこからです。福島で育った僕らの世代は子どもの頃に見ていた東京電力のCMがあるんです。発電所が擬人化されたアニメで、火力くんと水力くんが疲れているところに、原子力くんが颯爽と出てきて『ボクも力になるよ!』と言うんです。それで『よかったね♪』で終わる。事故が起きてからあのCMが福島県だけに流れていたこと、その意味に気づいて愕然として。それが一作目の小説を書くきっかけになりました。ただ今回は、人々の暮らしを書きたいと思ったところから始まっています。

田口> 宇宙船がどう影を落としたのか……。

根本> ええ。宇宙船が来る前にも生活があったわけで、その生活がどう変わるのか。そのグラデーションを描きたいなと。

田口> なるほど。主人公の佑太のアパートやおじいちゃんの暮らしに匂いを感じたのはそういうことなんですね。僕はね、そこに根本さんが原発にどう向き合い、どう整理していこうとしているのか、その葛藤を感じました。

根本> そうですね。原発に対しては一言では言い表せない思いがあります。僕は科学を専門に学んできた人間ではないので、その見地から語るつもりはありません。でも一つ言えることがあります。原発は人を分断してしまうということです。原発の立地した町なのか、そうでないのか。言い換えれば、認めたのか、否か。どの過程でも分断が生まれます。悲しいことに今回の事故によって福島にはさらなる分断も生まれましたが、たとえ事故がなかったとしても構造的に分断を生んでしまうと思っています。だからこそ、建設的な議論を積み重ねて、納得した上でなくす方向に持っていけたらと。難しいことだとは思っていますが……。

田口> 小説を読んでいてすごく感じたのが、どっちの立ち位置の人にも思いや意思があるということです。宇宙船が落ちたことによって住民の生活は変わった。出て行った人もいる一方で、残った人もいる。それは、福島にもそっくり当てはまることだけど、そうした人々の思いを知るというのは、すごく大事なことだと思うんですね。先ほど分断と言ったけど、今の世の中は完全なる分断の社会ですよね。白か黒かはっきりさせないといけないわけでもないのに、どちらかに属さなければいけないという不安がある。閉塞感があると言われるのも、そういうことなんだと僕は思っています。でも、分断されるところには“縁側”があるはずなんです。僕は作品の中に縁側の存在を見出したように思います。それが根本さんの一つの答えなのかなと。

根本> 縁側っていい言葉ですね。使いたかったな。僕の中では“境界”がテーマでした。小説の中でも、かつての炭鉱が自然に侵食され、人工物があったのかどうかもわからない状態になっている様子を描きましたが、境界がなくなってしまったところが悪い場所だとは思えない。むしろ、寄り合える場所なんだと思うんです。

田口> それぞれが抱える思いは複雑で、いや、そんな言葉で片づけられるものでもないんだけど、そうした思いが受け継がれることで、やがては互いのわだかまりも少しずつ溶けていくかもしれない。縁側がちょっと広くなってね。

根本> 自分が描いたものは理想に過ぎないというお声はきっとあると思います。だけど、理想を描くことをあきらめたくはないと思っています。

田口> この出来事をノンフィクションとして伝えるという方法もあると思いますが、それでは多くの人には伝わらないんですよね。フィルターが掛かってしまうから。だから小説、物語が必要なんです。物語というのは誰かの思う真実です。そして、そこから、その人が伝えようとしている真実を見つける作業が読書だと、僕は思っています。

根本> 田口さんは著書の中で「本を通じて起きたことに対しては、とても寛容になってもらえる」と書かれていますよね。本当にそうだと思います。原発という言葉を使った時点で、福島とあるだけで本を手に取らない人もいるでしょう。だから僕は宇宙船というモチーフに思いを託しました。

田口> あとね、どうしても伺っておきたいことがあるんです。アイドルは好きですか?

根本> えーっとですね、好きと言うにはおこがましいくらい知識がないのですが、アイドルに救われた友人たちを見ていると、いいものだなと(笑)。

田口> 握手会のシーンが出てきますね。実際に行かれたんですか?

根本> はい、AKB48の握手会に。アイドルの話を書くならやっぱり行かなきゃだめだろうと。初回限定のCDを買って手に入れた一枚を持って行ったんですが、周りは何枚も持っていて驚きました。

田口> 普通は何回も並びますからね。

根本> お詳しいですね。

田口> 僕は専門家ですから。この対談も、むしろこっちがメインでセッティングされたんじゃないかと思っています。作品に登場するマリア・シスターズは十二人で、姉妹という設定です。つまり、同じ母から生まれていると。そこがこの作品の中では一つのミスマッチにもなっている。

根本> はい。

田口> 常盤木りさが鍵でもあるんだけど、専門家として言わせてもらうと、アイドルというのはファンを裏切ってはいけないんです。表に出なければいいというものでもなくて、陰でやっていることも含めてアイドルなんです。そういう意味でも、りさはすごくいいと思います。やべー、惚れてしまうと思いながら読んでました(笑)。

根本> アイドルファンにとっての最高の理想を描けたらなと。

田口> いや、最高でした!

根本> 今回は宇宙人も出てきたり、かなり突飛な設定ではありますが、このアイドルパートはアイドルファンはもちろん、そうでない方にはもう一つの異世界と思って楽しんでもらえると嬉しいです。

●新刊紹介

『宇宙船の落ちた町』
本体700円+税
「宇多莉町には何もない」。田舎町で生まれ育った青砥佑太は、十四歳の夏、裏山で巨大な宇宙船の墜落を目撃する。十年後、宇宙船に乗っていた異星人は地球社会に溶け込んでいたが、佑太と宇宙人の関係性は「あるアイドルの握手会」から劇的に変わっていく。人が自身と異なる存在とどう向き合うかを描いた物語。
根本聡一郎(ねもと・そういちろう)
福島県いわき市出身、仙台在住。東北大学文学部卒業後、NPO活動と並行して小説を執筆。他著書に『プロパガンダゲーム』『ウィザードグラス』などがある。
田口幹人(たぐち・みきと)
2005年から19年までさわや書店勤務。全国的なヒット作を多く送り出す。現在、リーディングスタイルに勤務。著書に『まちの本屋 知を編み、血を継ぎ、地を耕す』など。

特集:篠原悠希 の世界

「金椛国春秋」シリーズがベストセラーとなり、中華ファンタジーの書き手として一躍注目が集まっている篠原悠希氏。そんな著者が次に手掛けたのが、清朝を舞台とした歴史時代小説だ。この素敵な物語が何故描かれ、どのように紡がれているのか、秘密を探った。


この小説を書くことになった経緯をまず教えてください。

篠原悠希(以下、篠原)> 「金椛国春秋」を読んでいらした角川春樹事務所の編集者と知り合い、そして角川春樹社長にお目にかかって、清朝を舞台にした歴史小説を書いて欲しいとリクエストされました。東洋に西洋の文化がなだれ込んできたのが清朝の時代ですが、なぜそれまで中国にデザートの文化がなかったのかと、スイーツを盛り込んだイースト・ミーツ・ウエストの話をというかなり具体的な注文で、凄くハードルが高いなと(笑)。清朝といっても二百七十年以上ありますので、通史を読み込み、どの時期にしよう、いちばん上り坂だった康熙帝の頃だろうかと模索しました。

康熙帝の孫の、乾隆帝の時代に決めた理由は?

篠原悠希(以下、篠原)> 後宮は「金椛国春秋」シリーズで書いていますから、そろそろ外に出てみたかったんです。後宮と違って男性も外国人も出入りしやすく、女の子もいる皇族、親王のお屋敷はどうだろうと。調べるうちに愛新覚羅永という皇子が面白そうな人だったので、フランス人の女の子・マリーと永との出会いから始めようと考え、永の父・乾隆帝の治世で清朝絶頂期の時代に決めました。永は十七人いた皇子の末っ子で、四十歳にもなって皇帝の許可を得ずに後宮の継母(皇后)に会いにいって減給されていたり、なかなかユニークです。今回作中に登場させた兄たちら周囲も個性的で、いろんな話が書けそうでした。中国で君主制が真っ盛りのときにフランスでは王権が崩壊している。フランス革命勃発時に永は二十代前半と、主人公と絡めるのにいいお年頃でもありました。西洋のお菓子を作る主人公に合う皇族を精査して、永がふるいに残りました。

一七九〇年十月、マリーを連れて帰国してすぐに、永は熱河山荘(モンゴル方面)に出かけてしまう。置き去りにされたマリーが、屋敷の厨房で働く場面から物語が始まります。

篠原悠希(以下、篠原)> 私にとっても読者にとっても、清朝の厨房に自分が放り込まれたような感じにしたかったですし、マリーが一人、異国で地歩を固めていくところから始めることにしました。マリーの過去や、フランスを出て永と旅をした一年間のことは、少しずつ明かされる謎として。永の家(慶貝勒府)の厨房を通して当時の中華料理を描けますし、愛新覚羅家の濃厚な人々”といいますか(笑)、屋敷の人々との出会いが一つひとつエピソードになり、皇族の秘密やしがらみをマリーが掬い取りながら、目にする世界が広がっていきます。皇室のスケジュールがきっちり決まっていて、それに沿ってエピソードを描いていくので書きやすかったですね。

お屋敷の料理の規模に驚きますし、美味しそうです。ガレットなど、異国でマリーが作る西洋のお菓子の数々をどう盛り込んでいかれましたか。

篠原悠希(以下、篠原)> 満漢全席が生まれたのは乾隆帝の時代で、官僚たちは宴席の料理にメンツを懸けていたので、当時の中国料理については文献が残っています。中でも『随園食単』(岩波文庫)、フランス菓子については、ルイ十五世に仕えてパリにパティスリーを創業したストレールをモデルにした『王のパティシエ』(白水社)。この二冊を食のバイブルとし、イエズス会士の書簡集や手に入る文献から時代背景をイメージしました。ただ、清朝でマリーにどんなお菓子を作らせるか、パンを焼くオーブンもないし、どうしよう、作れない(笑)。『王のパティシエ』のレシピを読み、食べてみたいなと思ったら自分で作って、作中で再現したいな、キャラクターたちに食べさせたいなと思うのですが、当時の中国でできるものは本当に少ししかない。ではまずバターの代用でラードを使ったガレットを……と、作っていきました。

新天地でも菓子職人を目指すマリーの目的意識が、物語を動かしていると思います。彼女をどう造形されましたか。

篠原悠希(以下、篠原)> 清朝が舞台、欧亜ハーフのフランス人の女の子がお菓子を作る、という設定は最初に決めました。私の場合はストーリーと共に生まれていく感じで、書き進めて変化を重ねながら、マリーという主人公が現れてきました。革命期のフランスから脱出して帰れるものなら帰りたいけれど、帰ってももう誰もいない。母親が中国人で言葉は話せても、全く異なる文化圏で働くのは大変です。皇帝に仕えたものの、とてもいられないと帰国した西洋の職人の史実も残されていて。

「懐かしい味だ」とガレットに目を細め、マリーをいたわる老宣教師アミヨーも印象的な人物ですね。当時の清朝はどんな場所だったと思われますか。

篠原悠希(以下、篠原)> 現代人から見ると、息苦しそうですよね。首都・北京は住む区画がきっちり分かれて満州族や旗人(支配階級)らが内城の中だけで暮らし、とてつもなく高い門を築いて一般人を完全に隔離して生活していました。また旗人も満州族、漢民族、蒙古族と身分が細かく定められて、マリーはカルチャーショックを受けることになります。永には男装を好んだはねっ返りの妹(固倫和孝公主)がいて、彼女は乾隆帝に重用されて財を築いたヘシェンの一族に嫁ぎます。今後、乾隆帝から永の兄・嘉慶帝へ時代が変わっていきますが、白蓮教徒の乱で紫禁城が襲撃されるとか、ヘシェンの事件など、もうドラマに困らない(笑)。お転婆な皇女とマリーとを早く会わせたいですし、いろんなドラマを次々書きたくてたまらないんです。

フランス生まれ、パリ育ちのマリーは、王妃マリー・アントワネットを敬愛しています。国民同士が殺し合ったフランス革命の状況を想像すると、とても恐ろしい。

篠原悠希(以下、篠原)> マリー・アントワネットの評価は今見直されていて、十四歳でフランスに来た彼女はハプスブルク家の誇りを持ち、自分の役割を果たそうとした。革命裁判で糾弾されても一つひとつ論破して、なかなか強い女性だったと思います。歴史を調べていると、どんな時代でも人々が生きようとしたことに驚きを覚えますし、そこでどうやって生きたのかを書きたくなる。だから今回、歴史小説を書かせていただけて本当に嬉しいです。半分以上フィクションですけれど、背景にある歴史の流れ、アジアと同時にヨーロッパの動きも分かるようなものを書きたかったので。

今と違う時代を読みながら共感も覚えます。身分制度や貧富の差が凄まじい中、それでもマリーのように一途に生きる人を魅力的だなと思ったり。フランスでは母が中国人であると差別され、清国に来れば西洋人と見なされる彼女のダブルアイデンティティーは、グローバル化する今の時代、どの人にも共通するテーマだと思います。

篠原悠希(以下、篠原)> ニュージーランド人と結婚してニュージーランドに住み、ハーフの娘たちを育てている経験上でもあるんですけれど、文化の衝突や、価値観の異なる者同士が出会う、ダブルアイデンティティーの物語を書き続けていますね。今回のようなライトな小説でも差別やアイデンティティーについて少しずつ触れて、今と違う時代があって、その流れの果てに私たちの生活がある、今に?がっていることを伝えたい。じゃあ私たちの生きている今はどんな時代なのか、分かりやすい形で伝えていきたいと思っています。価値観も流行も揺れ動いて、流動的な現代の文化に沿うよりは、時代を遡って、今では大問題になるようなことがカジュアルに行われていた時代の方が書いて楽しいといいますか(笑)。歴史は繰り返すので、私たちが克服してきたことがまたぶり返すかもしれない。だからこそ、封印せずに歴史を問い直して、もっと良くなっていきたいですよね。もっと分かりあおうよ、分からなかったら認めようよ、というテーマをずっと抱いて書いていると思います。

●新刊紹介

『親王殿下のパティシエール』
華人移民を母に持つフランス生まれのマリー・趙は、ひょんなことから清の皇帝・乾隆帝の第十七皇子・愛新覚羅永お抱えの?點厨師見習いとして北京で働くことに。男性厨師ばかりの清の御膳房で、“瑪麗”は皇子を取り巻く家庭や宮廷の駆け引きの中、パティシエールとして独り立ちできるのか!? 華やかな宮廷文化と満漢の美食が繰り広げる、中華ロマン物語。
本体640円+税
篠原悠希(しのはら・ゆうき)
島根県生まれ。神田外語学院卒業。プログラマー、介護職などを経て、現在ニュージーランド在住。2013年、第4回野性時代フロンティア文学賞を受賞し、受賞作を改稿、改題した『天涯の楽土』でデビュー。深い知識に裏打ちされた世界観と、その中で躍動的に生きる人物像が高く評価されている。著作に「金椛国春秋」シリーズ、「座敷わらしとシェアハウス」シリーズ、『狩猟家族』などがある。
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