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今月の特集

堂場瞬一 の世界

『垂れ込み 警視庁追跡捜査係』発売記念特集

「警視庁追跡捜査係」シリーズ第一作『交錯』が刊行されてから、今年で十年。未解決事件を追う、対照的な二人の刑事―「現場百回」をモットーとする昔気質の沖田と、冷静沈着を旨とし、調書や資料から事件を洗い出す、いわば書斎派≠フ西川―を軸に描かれてきた本シリーズの最新刊は『垂れ込み』。文字通り、沖田のもとにかかってきた、十五年前の上野の通り魔殺人犯に関する通報から始まる。


山岡と名乗るその男との面会は、一度はすっぽかされたものの、文字通り自分の足を使って彼の家を割り出し職場を知った沖田は、再度山岡とのアポを取るも、またもや山岡は現れず。こうなったら自宅を訪ねるしか、と思っていた矢先、多摩川の河川敷で他殺体が発見される。その被害者こそが、沖田が会おうとしていた山岡だった。何故、山岡は殺されたのか? 上野の通り魔犯を「知っている」と言っていた山岡の垂れ込みが、俄然信憑性を帯びてくる。山岡を殺したのは、誰なのか? そして、捜査が膠着している上野の通り魔事件の犯人とのかかわりは? 一方、西川は西川で、十年前の新宿の通り魔殺人犯を追っていた―。


被害者の山岡はどうして殺されたのか、その謎でラストまで一気に読んでしまいました。終盤に出てくる「本当に恐ろしい人間は、普通の人間として生きている」という沖田の言葉は、読後も深く響いてきます。

堂場瞬一(以下、堂場)> そう読んでもらえれば、作者としては狙い通りです。事件を解決して終わるというのが、すっきりとした警察小説だと思うんですが、最近は、現実の事件でも普通の人≠フ犯罪が増えていることもあり、ちょっと捻りを加えました。事件そのものの犯人は、サイコパスのようなキャラなので、そんなに説明しなくてもいい。この手の犯人の動機は、論理的な説明がなくても読者との約束の上では成立するのですが、今回は、その犯人を上回るような悪を設定したので、事件が解決しても、すっきりはしない。『暗い穴』から続いている気持ち悪い路線≠本作も踏襲している感じでしょうか。

『暗い穴』から路線が変わった?

堂場> きっかけは特にないんですが、『暗い穴』の前作の『刑事の絆』が「アナザーフェイス」シリーズ(文春文庫)とのコラボ企画だったんです。『刑事の絆』があまりにもストレートな熱血刑事ものだったので、その反動で(『暗い穴』は)ちょっとひねくれたものにしようかな、と。沖田と西川が普通の人間だからこそ、社会の捻れや闇をうまく浮かび上がらせることができるんじゃないか、というのもありました。特異な刑事と異常な犯人との対決にするとホラーになってしまう。あくまでも普通の刑事たちが普通に調べ上げてたどり着いた先が、社会の暗部を掬い取るような人だったというほうが、より暗い読後感になるのでは、という計算も若干あります。ただまぁ、それは後から考えたことで、『暗い穴』があんなダークな感じになるとは、僕自身も思っていませんでした。タイトル自体、ちょっと異質ですよね。スウェーデンの女性ミステリ作家が書きそうなタイトルで。

普通の人が怖い、というのは現実にも当てはまることなので、沖田と西川が健全であることは救いになっています。

堂場> 沖田と西川をぶっ飛んだキャラにしてしまうと、八〇年代の刑事ドラマみたいになってしまうんですね。警察小説というのは時代によって変わっていくわけで。今は、刑事のキャラを前面に押し出した作品が多いようにも思うのですが、このシリーズに関しては、普通の刑事が普通に調べていって……という路線がもう少し続くかな、と思います。

今回の犯人は、いわゆるサイコパスだったわけですが、ちょっと毛色が違いますね。

堂場> 犯人の中では、ゲーム感覚に近い感じなんですよね。それはそれでまた異常なことではあるんですが。サイコパスというのは、終いには歯止めが効かなくなって暴走してしまい、そこから綻びが生じることが多いのだけど、本書の犯人は違うんですよね。そこもまた怖さではあるんですが。

沖田と西川を普通≠フキャラにしようというのは、シリーズの最初から考えていたのですか?

堂場> 僕自身、かつては鬱屈したキャラを描いてたこともありました。ちょっと過去を引きずって、その過去が今に影響を及ぼしている、というような。そのほうがキャラに深みが出るかな、と思ったりもしていたのですが、現実にはそういう人はほとんどいないじゃないですか。なので、普通でいいな、と。性格的には、沖田にも西川にも若干極端なところがあったりするんですが、こと生活者としてとか、仕事をする人間としては、ごく普通の、健全な人物像でいいのかな、と。そういう(健全な)キャラで、どこまで描けるのか、自分の中で試している、というところもあります。

沖田と西川は、読者に近い存在だとも言えます。

堂場> もちろん、鬱屈したりぶっ飛んだりしたキャラで読ませる、というのもアリだと思うんです。過去に何かがあって、というのではなくて、いわゆる社会からはみ出してしまうような人間とか、ものすごい能力を持った人間とか、そういう主人公のキャラで読ませるタイプのもの。ただ、僕自身、歳を重ねていくごとに、その手のものは自分に合わないな、と感じてきたということがあります。今は、沖田と西川のような、生活に根ざしたキャラが描きやすいんですね。

そんなふうに感じ始めたのはいつ頃からですか?

堂場> このシリーズと、「アナザーフェイス」シリーズを書き始めたあたりでしょうか。「アナザーフェイス」シリーズの主人公である大友はシングルファーザーという、日本の警察小説ではあまりない状況設定なんですが、基本的には彼も普通の人間です。まぁ、大友の場合はちょっと特殊な能力の持ち主ではあるんですが、基本的には突出したキャラではありません。頑張って生活もして子育てもして、そのために仕事においては自分がやりたい部署からは外れているけれど、それで良し、と。ワークライフバランスをライフのほうへ振った人、というだけのことで。沖田と西川は私生活に多少の問題を抱えながらも、ワークのほうが軸になっているんですが、別に警察官じゃなくても、一般企業にもこういう人間はいくらでもいそうだよね、というキャラです。ただ、二人がそういう普通の人間であるが故に、じゃあ、どこで読ませるのか、ということがこのシリーズでは常に問題になるところではあるんです。

「アナザーフェイス」シリーズの話が出たのでお聞きしたいのですが、『刑事の絆』の時のコラボのような企画は今後も考えていらっしゃいますか?

堂場> この「追跡捜査係」シリーズと「アナザーフェイス」シリーズは、一応世界観を一緒にしているんです。架空の警視庁の、それぞれ違う部署にいる、という設定です。この二つだけではなく、今動いているシリーズは、全て世界観を一緒にしてあります。だからそこでまたコラボすることがあっても、おかしくはない。あと、これはもうオープンにしていいと思うので話しますが、二〇二一年は僕のデビュー二十周年にあたるので、「追跡捜査係」と今出ている「ラストライン」(文春文庫)と「警視庁犯罪被害者支援課」(講談社文庫)の三シリーズの、乗り入れコラボをします。

ビッグニュースが!

堂場> 前回、「追跡捜査係」と「アナザーフェイス」のコラボでは、前編・後編みたいなスタイルにしたのですが、今回はそれぞれの登場人物を完全に入れ込んだものにします。今、その執筆準備をしているところです。

ファンには堪らない企画ですが、堂場さんご自身は大変なのでは?

堂場> やや苦しい状況ではありますが(笑)、頑張ります。それぞれのシリーズの作品に、他のシリーズからゲストが入って、協力したり反発したりしながら物語が進んでいく。なので、全シリーズがそのまま全体でバディもの、みたいな感じになります。

『垂れ込み』もそうですが、このシリーズでは、個々のキャラの細部にまで、堂場さんの目が行き届いている、と感じます。

堂場> 沖田の恋人・響子や西川の妻は、準レギュラーキャラですよね。そういうキャラたちには血を通わせてあげたいし、ひょこっと出てきて、ひょっと消えてしまうというフラットな登場人物もいるのですが、彼らにも、爪痕くらいは残させてあげたいな、ということは毎回考えていますね。その他A、その他B、みたいな感じにはしたくないんです。出てくる人には全部、それなりに背景があるような書き方をしたい、と思っています。

登場人物たちがどうなっていくのか知りたいというのも、読者が堂場さんのシリーズを手に取る大きな理由だと思います。

堂場> 登場人物といえば、今回はラストにえぇっ!?というエピソードを入れたのですが、あれは実は次回作への伏線でもあるんです。ちょっと新しい人物を投入しようと考えていまして。

また新たなニュース!

堂場> そうやって少しずつ動かしていこう、と。沖田と西川、主役の二人は不動ですが、周りのキャラはどんどん変えていって、最後には全く別物になっていく、という着地点のことを考えているんです。

コラボ作品といい、登場人物の変化といい、読者は単独のシリーズというよりは、堂場さんの世界≠楽しんでいる気がします。

堂場> そうであれば嬉しいですね。作者としては、沼≠ノ引きずりこむ感じでもあります(笑)。ファンタジーだと、出版社の違うシリーズで世界観を同じにして物語をどんどん広げていく「世界の構築」というのは割とあるんですが、ミステリではあまりない。その意味では、書いている側としても面白いですね。

今後も、このシリーズからは目が離せません。

堂場> 登場人物たちをどんなふうに異動させて動かしていくか、そのことはいつも考えています。その意味では、僕自身が、彼らのいる架空の警視庁の、人事二課といった気分です。

●新刊紹介

『垂れ込み 警視庁追跡捜査係』
「十五年前の通り魔殺人事件の犯人を知っている」。未解決事件を扱う追跡捜査係に、山岡と名乗る男から垂れ込みが入った。たまたまその電話を受けた沖田は待ち合わせ場所に向かうが、男は現れなかった。情報提供者の男と絡み合う複数の事件……驚愕の真実を暴く、書き下ろし警察小説。
本体760円+税
堂場瞬一(どうば・しゅんいち)
1963年茨城県生まれ。2000年『8年』で小説すばる新人賞を受賞。警察小説・スポーツ小説など多彩なジャンルで活躍。20年3月?6月に、オリンピックに関連したスポーツ小説4冊を連続刊行予定。

特集:湊かなえ の世界

―『贖罪』がエドガー賞候補に選ばれるなど海外での評価も高まっています。

湊> ニューヨークでの授賞式に参加させていただきましたが、とてもいい刺激になりました。今の目標として掲げるなら、再びエドガー賞の授賞式に呼ばれることでしょうか。

では改めて、この『落日』執筆の経緯を教えてください。

湊> 作品を書くに当たり、テーマとなるような言葉を投げてくださいと担当編集者にお願いすることがあります。「島」という言葉をいただいたときは『望郷』が、「手紙」というワードからは『往復書簡』が生まれています。今回挙がったのは「映画」と「裁判」。では、この二つを絡めてどんな物語が書けるのか。思い至ったのが、裁判に映画というフィルターを掛けてみたらどう映るのだろうかということでした。そして実際に裁判を見学してみると、“真実と事実の違いはなんだろう”と深く考えさせられて。私の中に生まれたその思いを、この作品の一つのテーマにしようと決めました。

主人公は脚本家の千尋と映画監督の香。作家である湊さんと共通する部分もある立場の二人ですね。

湊> 作り手ということで自分に近いところにいる人物になりました。この作品でもう一つの柱にしたかったのが、“物語を作るとはどういうことか”です。執筆のきっかけに言葉をいただくとお話ししましたが、自らの「見たい」「知りたい」という思いがテーマになることもあります。似たような意味合いで何気なく使う言葉ですよね。でもよく考えてみると、この二つはまったく違うのではないかと思います。ベクトルの向きが真逆で、例えるなら、球の中から外に向かうのが「見たい」で、外から中心に向かうのが「知りたい」なんじゃないかと。でも、物語を表現するに当たってはそのどちらも必要で、私も大事にしなければならないと考えています。

それが主人公たちのキャラクターとして振り分けられているんですね。

湊> そうですね。見たい千尋と知りたい香。真逆のベクトルを持つ二人が触れ合うことで、気づきがあればいいなと思いながら書いてきました。

ほかにも湊さんの作り手としてのお考えなどが二人の姿に投影されているのでしょうか。

湊> 千尋の目線はまだ新人に近いものがあるので、私がデビューする前やシナリオコンクールに応募していた頃の気持ちを思い出しながら書いたところもあります。香は天才的な部分があるので、私自身の影響はあまりないかもしれません。むしろ、十年書き続けてきて現在感じていることは、千尋の師匠の大畠先生に言わせていますね。デビュー時の自分に何か伝えられることがあればという感じで(笑)。

なるほど。最後のほうで、香がこれからも映画を撮り続けようと語る部分にも、湊さんご自身の思いが重なっているように感じましたが……。

湊> ひとつ物語を書けば気づきがあり、新たな出会いもあったりと、未来につながるなにかを得ながら、今日まで書いてきました。実はこの『落日』は、私がデビューしてからちょうど十年となる二〇一八年に刊行される予定だったんです。それが遅れて昨年になってしまったのですが、ひとつの区切りとして書いたものであることに変わりありません。ですから、これからの十年に向けての決意表明みたいなものも込めたラストにしました。

本作もそうですが、そのデビュー以来多くの作品が一人称で書かれていますね。このスタイルを選ばれる理由はあるのでしょうか。

湊> 同じものを見ていても人によって見方、見え方は違うのだと思います。私の興味もここにあって、自分とは違う見え方、考え方があるなら、それはどういうものなのかを知りたい。そういう気持ちが、複数の視点を入れる書き方として一人称という形になっているのだと思います。章によって語る人が変われば、見えるものも変わる。それにより読者も最初はこうだと捉えていたものが、本を閉じたときにはまったく違うものに見えていたらいいなと思っています。

タイトルからもその思いを感じます。『落日』には「再生」の意味を込められていると伺いました。

湊> 日が沈むからこそ、また日は昇る。今日が終わることで明日も来る。そんな思いを込めています。「落日」を辞書でひくと二番目くらいに「没落」と出てくるのですが、この作品を通して違うイメージを持ってもらえたらいいなと思っています。また、作品に描いた夕日は馴染み深い土地で見たものでもあります。現在は洲本市に住んでいますが、淡路島で暮らし始めた当初いたのは北淡町という街でした。ここは夕日百選に選ばれるくらい、海に沈む夕日が美しいところなんです。家から見ることもできて、当たり前の光景のように感じていましたが、遊びに来た友人が日本でこんな夕日が見られるなんてと、とても感動して。身近にいるとその貴重さに気づけないものなんですね。そんな友人とのやりとりを思い出しながら書きました。

節目となる作品を書き上げた今、今後の作品の構想などあればお聞かせください。

湊> 今回は自分の創作に対する向き合い方や大切にしたいことなども物語に込めることができましたし、光というか、明るい方向を向いて終われたことも良かったと思っています。一冊入魂という感じで書き上げることもできました。今後は……。この作品にも出てきますが、私、「スター・ウォーズ」が好きなんですね。先日完結編を見たのですが、最後まで見届けられた幸せというものを?みしめることができました。新章を楽しみに何十年という歳月を過ごしてきたのは私だけではないでしょう。それだけ物語というのは、人生に寄り添えるものなんだなと思います。主人公の成長を読者が追いかけてくれるような作品を書いてみたい。そんな思いも生まれています。

『落日』
新人脚本家の甲斐千尋は、新進気鋭の映画監督長谷部香から、新作の相談を受けた。『笹塚町一家殺害事件』引きこもりの男性が高校生の妹を自宅で刺殺後、放火して両親も死に至らしめた。15年前に起きた、判決も確定しているこの事件を手がけたいという。笹塚町は千尋の生まれ故郷だった。この事件を、香は何故撮りたいのか。千尋はどう向き合うのか。“真実”とは、“救い”とは、そして、“表現する”ということは。絶望の深淵を見た人々の祈りと再生の物語。第162回直木賞候補作。
本体1600円+税
湊かなえ(みなと・かなえ)
1973年広島県生まれ。2007年「聖職者」で第29回小説推理新人賞を受賞。08年同作品を収録したデビュー作『告白』は本屋大賞を受賞。また14年には、アメリカ「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙のミステリーベスト10に、15年には全米図書館協会アレックス賞に選ばれた。12年「望郷、海の星」で日本推理作家協会賞短編部門、16年『ユートピア』で山本周五郎賞を受賞。18年『贖罪』がアメリカのエドガー賞〈ペーパーバック・オリジナル部門〉にノミネートされた。近著に『未来』『ブロードキャスト』がある。

小特集:今村翔吾『花唄の頃へ くらまし屋稼業』発売記念エッセイ

作家・今村翔吾誕生の秘密と今作のテーマについての著者エッセイ、「くらまし屋稼業」の世界を紹介する。


私が作家になりたいと思ったのは何時頃だったか。中学二年生くらいの時にはすでにぼんやりと考えており、少なくとも高校の卒業アルバムにある将来の夢の欄には小説家と書いていた。

だが十代、二十代は一度も書こうとはしなかった。私は文芸誌を読むような高校生だった。そこには憧れの歴史小説家たちのエッセイ、対談などが掲載されているのだが、どの先生も口を揃えて、

―小説の勉強をするよりも、人生経験を積むべき。

と、仰っていたからである。小説の勉強が無駄という訳ではない。ただそれよりも大切なことがあるといったような内容であった。そして私はまだその時ではないと本気で思っていた。

転機が来たのは三十歳の時。きっかけは色々ある。このような時は神様がそう導いてくれているのではないかというほど、様々なことが身の回りに起こるものである。いやもしかしたら、すでに作家を目指す気持ちになっており、どんなものでも「きっかけ」に見えたのかもしれない。

その中でも大きなきっかけは三つ。一つは教え子からの一言。これはよくエッセイに書いたり、インタビューで答えたり、講演で話したりもする。そこで残り二つのうちの一つを今日は書こうと思う。

ご存じの方もいらっしゃると思うが、私の前身はダンスインストラクターである。父がイベントやダンススクールを運営する会社を経営していた。内勤で企画運営なども行ったが、現場に出て複数の教室でのレッスンも担当していた。教える相手は主に小中高生。そんなに多くはないものの三、四歳の未就学児や、三十、四十代の自分より年上の生徒もいた。月曜から土曜まで日中は事務所で内勤を行い、夕方から各地の教室に出向いて教える。日曜日はイベントなどに出る。従業員なら完全にブラックであるが、長男で跡取りということもあり修業という側面もあるから仕方ない。全部が全部という訳ではないが中小企業ではよくあることである。

私は朝の八時や九時から、深夜の二、三時まで平気で執筆するので驚かれることがあるが、この修業時代に比べればマシと思ってしまう。昨今はその言葉自体が使われなくなりつつあるが、「根性」が付いたのは明らかにこの時代があったからだと思う。

家族経営の方は判るかもしれないが、やはり大変なことも多い。仕事と家族の境目がいつしか失われるし、親子といえども歳を取るごとに考え方の違いも顕著になってくる。私と父の場合は、一度喧嘩になろうものならば肉親だけに互いに甘えもあったのか、派手に言い争うことも多々あった。そんな時にふと、

―俺は何故、この仕事をしているのだろう。

と、思うことが増えてきた。

私は子どもの頃から父を好きだったし尊敬もしていた。家族であることに誇りも持っていた。だから父を助けたいと思って共に仕事をしていたのだと思う。だが一緒に働けば働くほど父を嫌いに、「家族」でなくなっていくように思えたのだ。そのようなことを考えた時、いつも見つめていた父の背の向こうに、初めて広大な景色が見えたような気がした。

二〇一四年の秋が過ぎ、冬の香りがし始めた頃、私は父に自らの人生を歩みたいことを告げた。父は当初は反対するつもりだったらしい。ただあることを言った時だけは、止めるのは無理だと思っていたという。

「小説家を目指す」

私の一言はまさしくそれであった。子どもの頃から本の虫であったこと、いつか小説家になりたいとぶれずに言い続けたことを父も知っている。それにもう一つ。

高校二年生の頃、学園祭で劇をやることになった。演目は「新選組」で、何とも渋いチョイスをしたものだと思う。その脚本を私が担当することになった。当時はパソコンも使えずに手書きでひたすら書く。時間も無かったので何日も夜遅くまで机に向かっていた。しかもテスト期間中である。普段ならば「勉強もせえよ」などという父であったが、その時だけは何も言わなかった。深夜にふらりとコンビニに出かけて戻ってくると、

―腹減ってるやろ。食べるか。

と、カップのにゅう麺に湯を注いでくれた。私はそのことを鮮明に覚えていたが、父もまた同じだったらしい。その時の私は生まれてから最も真剣で、目を輝かせているように見えたという。

「それを言うたら、しゃあないと思ってた」

父はそう言って苦笑して酒を呷った。

こうして私は父の下を離れ、小説家を目指すことになった。そこから昼間に仕事をし、夕方から深夜三時まで書くような日々を過ごし、約二年後にデビューすることになった。

今回、「くらまし屋稼業」シリーズの第六弾にあたる『花唄の頃へ』が刊行される。この作品では、

―人は何歳から大人か。

と、いうのが一つのテーマになっていく。再来年の三月までは成人は二十歳と定まっているが、選挙権は十八歳以上に下げられ、結婚も男性は十八歳、女性は十六歳以上と少々歪になっている。それぞれに法律が作られた時代が異なるとしても、今まで統合されていなかったのは、大人と子どもの境を明確に示せないところに理由があるように思う。私は人間という生き物に敢えてその境を求めるならば、身体ではなく、心の成長ではないかと思う。そしてそれには周囲と人、あるいは家族との関わりが大きく寄与していると思うのだ。本作ではその辺りが事件を生んでいくことになるので、是非とも楽しみにして頂きたい。

だとするならば私が真の意味で大人と言えるようになったのは、父の下を離れた三十歳の頃か。法律に照らし合わせれば些か歳を食っているが、存外、人における境はそれぐらいなのかもしれない。そして少なくとも、この父の下に生まれなければ、小説家の私はいなかっただろう。

毎日父といたのが、今では盆暮れに会う程度。十年近く仕事の話しかしてこなかったことが尾を引いているのか、まだ会話はどこかぎこちない。父も、私も、多忙な日々を過ごしているが、温泉でも一緒に行けたらいいなと、こうして筆を取りながらふと考えている。

●新刊紹介

『花唄の頃へ くらまし屋稼業』
旗本の次男、三男の悪仲間四人組の一人、三郎太が何者かに殺された。一刀流皆伝の剣の達人を誰が何の目的で!? 自らも狙われるかもしれないと怯えた三人は、各々身を守るために、裏の道を頼るが……。裏稼業の必殺仕事人たちが、己の掟に従い、命を賭けて戦う。人気シリーズ待望の第六弾。本体660円+税
今村翔吾(いまむら・しょうご)
1984年京都府生まれ。滋賀県在住。2016年「狐の城」で第23回九州さが大衆文学賞大賞・笹沢左保賞を受賞。デビュー作『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』(祥伝社文庫)で、2018年に歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞を受賞。小社刊「くらまし屋稼業」シリーズでも人気を博す。
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