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今月の特集

第13回角川春樹小説賞

『駆ける 少年騎馬遊撃隊』刊行記念対談
今村翔吾×稲田幸久

先輩 今村翔吾 × 後輩 稲田幸久

第13回角川春樹小説賞受賞作『駆ける 少年騎馬遊撃隊』。
著者の稲田幸久氏は本作でデビューを果たした。その門出を飾るべく駆け付けたのは今村翔吾氏。同賞の第10回受賞者であり、受賞作『童の神』は直木賞候補ともなった。
これからの活躍に期待が集まる稲田氏と今、最も勢いのある人気作家の今村氏。歴史小説の未来を担う若き二人が語り合った。


第13回角川春樹小説賞受賞、おめでとうございます。受賞作『駆ける 少年騎馬遊撃隊』でデビューもされましたが、今のお気持ちは?

稲田幸久(以下、稲田)> ありがとうございます。僕の人生を変えることになったこの作品が多くの方に読んでもらえることを願っています。

今村さんは第10回の受賞者。今日は先輩としてお話を伺いたいと思います。

今村翔吾(以下、今村)> 後輩の方と対談させてもらうのが初めてなので、すごく楽しみにしていました。何より、歴史を書く新たな仲間が増えた。そのことがめっちゃ嬉しいです。

稲田さんの受賞作を読まれていかがでしたか?

今村> 歴史小説のトレンドというか、今、読者が求めているものがぎゅっと詰まっている。そんな作品だと思いましたね。マイナーな武将を取り上げているのもそう。馬と人の関わりを描いたのも、一昔前の小説だったらディテールの一つでしかなかったと思いますが、そこを掘り下げてテーマに持ってくるというのが、すごくいいなと。臨場感もあって、面白く読ませてもらいました。それと、いい意味で男臭いなと。

稲田> ありがとうございます。書いている本人はトレンドとか意識していないんですが……。

今村> 計算してたらできないですよね。でも、時代にフィットした作家さんが出てくるのは必然なのかなと。だからこそ、選ばれたのだとも思います。

稲田> ほとんど勢いで書いたような作品ですが、頭の中ではこの後にはあの場面が待っているぞと次の展開を心待ちにしているようなところもあって、自分でも楽しみながら書いていました。

今村> プロットは立てるんですか?

稲田> はい。でも道筋から逸れてしまうことが度々あって、どうプロットの通りに戻すかで悩んだり。でも、そういった過程も楽しかったです。

今村> 作家あるあるですねと言いたいところなんですが、僕、プロットは立てないので。だから、戻したりできるんだと聞いてすごいなと。勉強されたりしたのですか?

稲田> どこかで学んだということはまったくなく。もともと本は好きで、中高時代は井上靖さんや吉川英治さんとか読んでいて……。

今村> 読んでそう! 文章が綺麗なんですよね。でも、ただ綺麗なだけではなく、新人とは思えない熱のこもった感じもあるし。その頃から作家になりたいと?

稲田> きっかけと言えるのは、十六歳の夏に初めて小説を書いたことですね。その夏休み、すごい暇だったんですよ。あまりにもすることがないから、じゃあ、小説を書いてみようと思い立って、ルーズリーフにガーッと。それが楽しかったんだと思います。その頃から将来小説家になれたらなと考えていました。ですので、二十年越しで夢が叶ったという感じです。

今村> それからずっと書いてはったんですか?

稲田> いえ、一作書いたら満足してしまったところもあって、二、三年はまったく。その後も書いたり書かなかったりを繰り返し、この小説も五年ぶりに書いたものでした。

何かきっかけがあったのですか?

稲田> 島根県雲南市に行く機会があったんですね。中国山地の上のほうなので空がすごく近いんです。草原には風がぴゅーって吹き抜けていて、とても気持ち良くて。その時に、馬が駆けていたらカッコイイだろうなと。しかもその馬には少年が乗っている。そんなイメージが湧きました。かつては広島県の安芸高田市で公務員をしていたのですが、毛利の居城であった吉田郡山城の戦いなど多少の知識はあったし、その毛利と尼子の戦いなら島根を舞台に書けるかもしれないと。

今村> 最初に本を受け取った時、大丈夫なんかなと思ってん。主人公の一人である尼子側の山中幸盛(鹿之助)、実は嫌いな武将の一人だったから(笑)。でも、途中で幸盛は尼子のために戦っているわけではないと見抜かれるじゃないですか。僕もそう思っていたんです。戦いたいだけなんやと。もちろんそれは小説家の捉え方でもあるんだけど、稲田さんが小説に落とし込んだ形に納得できました。

稲田> 僕も最初は、自分に酔っている、戦好きな武将だと思っていました。毛利のお膝元で育ってきたので、気持ちとしても毛利寄りでしたし。でも書いていくうちに、山中幸盛の気持ちが僕の中でどんどん貯まっていって、わかっていくというか。そうなってきて、尼子側もちゃんと書かなければいけないなと。ここに関してはプロットも無視して、小説の中でどんどん人が立っていったという感じがしています。

今村> 書く時に常に思っているのは、どっちが正義とかじゃなくて、それぞれに正義があるということ。稲田さんはそれをきちんと伝えている。うまいこと書いてはるなと思いますね。でね、気になるのは、なんでこの作品で春樹賞に応募したのかなと。 

稲田> それは今村先生に憧れていたからです。

今村> 嘘や、嘘や! そこまで言わんとええわ(笑)。

稲田> いえ、本当にすごいと思っていて。『童の神』は衝撃を受けました。まずテーマが壮大でしたし、歴史は勝った者が作っていくというようなことを見せながらも、その陰にあった差別のこと、鬼などの忌むべき存在のその息吹までをしっかり描いておられて。平安時代を舞台にされているのも、今までになかったですし。

今村> あの、へんな意味じゃないけど、僕に似ているところもあるなと思って読んでいました。

稲田> すみません、かなり影響を受けてます。

今村> 選評で「北方謙三の匂いがある」という意見があったそうですが、僕も北方先生をリスペクトしているので、必然的にそうなってくるのかなと。だけど、同じような影響を受けていたとしても、僕との違いは優しさだと思います。人の見方が優しいんですよ。だからといって、凄惨なシーンが書けないわけでもない。ですから、人に対して優しい見方ができるというのは作品の特徴にもなっていくと思いますね。

稲田> ありがとうございます。

今村> あと、目に見えないものを表現するのが上手だなと。風、好きでしょ?

稲田> はい、好きです。目に見えないということでは、今村先生の作品には効果音みたいなものを感じるんですね。例えば人物の登場シーン。「羽州ぼろ鳶組」シリーズの源吾もそうですが、ドーンという音が聞こえてくるんです。それって、映像としてどんなカメラアングルを持てば表現できるのかなと。

今村> 僕の場合、まず映像が頭の中に流れていて、その映像をみんなと共有できたらいいなと思っているので、その二つを繋ぐための文章として書いているというのがあります。アングルは意識したことないなぁ。言えるのは、小説を書くスキルとか構成力というのは後から勝手に追いついてくるということ。だから、持っている特徴を活かしていってほしい。次に書いてみたい武将とかいいひんのですか?

稲田> 今はまだこの作品を仕上げることで頭がいっぱいです。もともと、上月城の戦いをラストに持ってきたかったんですが、どんどん枚数が増えてしまって。実はこれ、構想の途中というか、前編なんです。小説賞に途中で出すのは失礼なことかと思いつつ……。

今村> いいんじゃないですか。だって、一冊にまとまってるもん。でも、続編があるんですね。確かに続きが読みたい作品ですよね。

稲田> すでに書き始めていますが、最後まで付き合えたらいいなと思っています。

今村> でも、あと一冊で行ける? すごく丁寧に書かれているので、この調子なら三部作くらいになりそうだけど。

稲田> そうなんです。すでにかなりの枚数になっているのですが、未だ幸盛は織田信長に出会っていません。その後には秀吉にも会わないといけないのに、どうしようかなと。

今村> やばいですね(笑)。でも、今はあっさりした味の人が多い気がするから、これくらい書いていくのもいいと思うけどな。それに島根が舞台の小説ってあまりないでしょ?

稲田> そうですね。僕としても地方で育ってきましたから、いずれは九州や四国などを舞台にした作品を書いてみたいとも考えています。そのためには勉強も必要だと思っているのですが、今村先生はどういう風に歴史の勉強をされているんですか?

今村> 正直にいえば、過去の遺産で闘っているところはあります。勉強する時間がなかなか取れないんです。だから、あくまでも僕のやり方ですが、見切りをつける勇気を持つ。資料当たろうと思えば、百冊でも二百冊でも出てきますよね。でも、ある程度読み込んで、自分なりに納得できたなら、たとえ五冊であろうと良しとする。その見極めは嗅覚かもしれません。でも多分、それもやっていくと身についていくものだと思います。

稲田> この作品は書き始めるまでの準備期間が一か月ほどでしたが、読んだのは五冊くらいだったんですね。少ないのかなと書いている間は不安もありました。

今村> わかります。でも、十冊の資料に勝るのが現地に行くことだったりもするし。

稲田> そのお考えは今回の実感にも合っています。

今村> 読んだらいいというもんじゃない。―なんか、偉そうなことしゃべってるな、後で北方先生とかに怒られそうや(笑)。

というより、後輩への愛情がだだ漏れだと推察します(笑)。

今村> いや、ホント! こんなご時世じゃなかったら、銀座か六本木に連れて行きたいですよ(笑)。僕も連れて行ってもらったから。

稲田> ぜひ、お願いしたいです。

今村> いじるよ。いじりたいわー! でも、売れてほしいです。現在は他の仕事をしながらの執筆だそうですが、目指すのは専業作家?

稲田> はい、なりたいです。

今村> なら、文庫書き下ろしもやろうや。単行本と文庫の二刀流。シリーズものでファンを掴んで、単行本で賞を狙って。何賞狙います? 直木賞?

稲田> 大きな目標の一つです。

今村> だよね。でもどうしよう。稲田さんが候補に挙がった時、まだ僕取れてなかったら戦うことになるのか。う〜ん、なかなかの脅威ですよ。

稲田> いやいや、まだまだです。あの、今日お会いしたらぜひ聞いてみたいと思っていたことがあるのですが、いいですか。作家という人生は、正直、どうですか?

今村> 直球やな(笑)。一、二年前だったら、迷いなく楽しいと言えたと思います。ただ、今は言葉を選んでしまうなぁ。新人の頃はドラクエの序盤に近いんかな。成長してくのがRPGのレベル上げに似ていて、レベル20くらいまではわりとすぐに行けるんだけど、20から21に上げるにはすごく経験値いるんやと気付いて。でも、デビューの時から追っかけてくれてる読者さんは、僕が今までと同じ速度でレベル上げしていくと思っている。そのためには今までと同じ努力ではだめで、それなりの時間も費やさないと。そういうプレッシャーのようなものを去年くらいから感じるようになりました。それでも、ここまで辿り着いたなら、石に齧りついてでもやり遂げたほうがいいと思います。振り返って見える景色が絶対に違うはずやから。今こそ人生最大の勝負所やと思って。

稲田> はい、頑張ります。その言葉しかありません。

今村> 根性ありそうですもんね。今村翔吾なんて蹴散らしてやるくらいの気持ちで。もちろん、まだまだ負けないという自負は僕にもありますんで。でも、その切磋琢磨が読者さんに対して、一番誠実な答えなのかもしれません。―うん、うまいことまとまった(笑)。

稲田> まずはライバルとして認めてもらえるよう一生懸命努力していきたいと思います。

構成=石井美由貴

●新刊紹介

『駆ける 少年騎馬遊撃隊』 稲田幸久
吉川元春に拾われ馬術の才を見出された少年・小六と尼子再興を願う猛将・山中幸盛(鹿之助)の二人を主人公に、ともに戦火で愛する人を失った二人の譲れぬ思いと成長を、堂々たる風格、それでいて清冽で瑞々しい表現で描く。選考委員全員絶賛の驚異の新人による島根を舞台とした心震える歴史エンターテインメント!
定価1980円(税込)
今村翔吾(いまむら・しょうご)
1984年京都府生まれ。滋賀県在住。第10回角川春樹小説賞を「童神」で受賞。同作は『童の神』と改題して出版され、第160回直木賞、第10回山田風太郎賞の候補作ともなった。『八本目の槍』で第41回吉川英治文学新人賞を受賞。『じんかん』が第163回直木賞候補作となり、第11回山田風太郎賞を受賞。最新作『塞王の楯』が集英社より発売中。
稲田幸久(いなだ・ゆきひさ)
1983年広島県生まれ。広島県在住。大阪教育大学大学院修了。広島県安芸高田市の職員として勤務後、退職。第13回角川春樹小説賞を「風雲月路」で受賞。『駆ける 少年騎馬遊撃隊』と改題して出版され、デビュー。

小特集:小林由香『チグリジアの雨』刊行記念

インタビュー&青木千恵による解説

『チグリジアの雨』
刊行記念インタビュー

この小説を執筆なさることになったきっかけを教えて下さい。

小林由香(以下、小林)> 十三年前、映画のシナリオコンクールで最終選考候補作に選出されましたが、入選には至らなかった作品がありました。長い歳月が流れ、もう一度、その作品に向き合いたいという気持ちが強くなりました。昨今のいじめの状況が、その作品に似ていたからです。スマホの普及など、アイテムは新しいものに進化していくのに、未だに十代の自死を防ぐことは難しい。歳を重ねた今、大切な想いを抱え、当時とは違う結末に向かって物語を修正し、創り上げたいという気持ちが芽生えました。

「チグリジア」という花にはたくさんの色があり、中心に虎や豹のような模様があることから「虎百合」や「タイガーリリー」などとも呼ばれているんですね。チグリジアのことをこの小説で初めて知りました。小林さんは元々この花のことはご存じだったのでしょうか? そして、この花の名前をタイトルに付けた理由も併せて教えて下さい。

小林> 怪我をして出血していれば、すぐに相手の痛みに気づくことができます。けれど、心の苦しみに気づくことは、非常に難しい。難しいなら、何か簡単に気づけるアイテムがあればいいのに、そう思うことがあります。どうせなら美しいものがいい。そのようなことを考え、『私を助けてください』という意味が含まれる花言葉はないか調べているとき、チグリジアの花にたどり着きました。この物語を最後まで読んでいただけたら、きっと咲真という少年の想いが伝わるだろうと考え、『チグリジアの雨』というタイトルにしました。

デビュー作『ジャッジメント』では復讐、『救いの森』では児童虐待、そして今回の『チグリジアの雨』ではいじめをテーマにされていますが、物語の題材はどのように決められているのでしょうか?

小林> 小学生の頃、「どんな人が好き」と尋ねられたクラスメイトの大半が「優しい人」と答えていました。当時、「本当に優しい人」がどういう人物なのかわからなかった私は、自分なりの答えにたどり着けるまで、優しい人について考え続けるような面倒な子どもでした。今まで題材にしてきたテーマは、大人になっても答えを導きだせなかった難問です。私にとって小説を書くということは、登場人物の気持ちを理解することです。相手の気持ちが見えたとき、探していた答えに近づける気がして、小説を書きたくなります。

今作でいちばん悩まれたポイントはどこですか?

小林> 今作を書いている途中、咲真の気持ちがわからなくなるときがありました。彼の言動は矛盾だらけで、これまで書いてきた登場人物の中でもいちばん難解でした。悩んでいる最中、編集者さんから「なぜ紫色の雨なの」など、いくつか咲真について質問され、初めて彼の苦悩に気づきました。現実の問題も同じなのかもしれません。ひとりでは理解できないことでも、誰かと一緒に考えれば、相手の抱えている問題に気づき、解決策が見えてくることもあるでしょう。咲真について悩む中で、この作品を通して仲間の大切さを描きたいと思うようになりました。

小説の主人公となる航基と咲真。一見すると性格が正反対な二人の関係性がとても魅力的で、物語を深くしていると思いますが、小林さんがこの二人を描くに際し、込められた想いを教えて下さい。

小林> 健康な人間には、生と死の間に無数の選択肢が存在しています。一方で、重篤な病に冒された人間の選択肢はとても少ない。残酷ですが、その現実から目をそらさずに物語を書き上げようと考えたとき、航基と咲真という対照的な少年たちが浮かび上がってきました。誰かの『栄養素』になりたくないと思っていた咲真が、航基に託した想いは非常に貴重なものだったと思います。哀しい物語ですが、暗闇の世界を描くことでしか、見えない希望があると信じています。

物語の中でもたびたび出てくるSNSは、人間関係を広げる武器にもなれば、人を傷つける凶器にもなる可能性があります。その点について小林さんの考えをお聞かせ下さい。

小林> とても難しい問題ですが、理不尽な書き込みをされた場合、画像を保存して証拠を残し、戦うのもひとつの手段なのかもしれません。けれど、当事者でない人間が、誰かを批判するときは慎重になったほうがいいと思っています。真実は、関係者全員の視点に立たなければ見えてこないからです。間違ってしまった人を許せないと思う当事者がいてもいい。対照的に、許せるという人たちがいてもいい。けれど、ネット上に暴言を書き込む必要はない。そう思える世の中になることを望んでいます。

物語のテーマは「いじめ」という重厚なものですが、カバーイラストからは「青春小説」という印象も受けました。出来上がったカバーを見た小林さんの感想を教えて下さい。

小林> 夕焼け空、ふたりの少年―。絵の魅力は文章とは違い、見る者の胸にダイレクトに飛び込んでくるところです。カバーイラストのふたりの姿を目にした瞬間、胸が熱くなるのと同時に強い責任を感じました。原稿の中には彼らの魂があり、生きているんだと思うと、物語に真摯に向き合わなくてはいけないと改めて考えさせられました。自転車で走っているとき、きっと彼らは楽しかったんだろうな―。

この本はどのような方に読んでもらいたいですか? またこの物語を通して、読者に伝えたい(訴えたい)ことはなんですか?

小林> 個人的には、小説で人の命は救えないと思っています。けれど、心に小さな変化を生じさせる力はあると信じています。実際に救いの手を差し伸べられるのは、苦しんでいる人の身近にいる方々だけです。そのような人々に、この物語が届くことを強く願っています。

次に描きたい、チャレンジしてみたいと思うテーマを可能な範囲で結構ですので教えて下さい。

小林> 「もしも心を矯正できる病院が存在したら、人は幸せになれるのか」、「加害者と被害者のロードノベル」など、描きたい作品がたくさんあります。どれも難しい題材ですが、焦らずに登場人物の気持ちに寄り添いながら描いていきたいです。

著者の持ち味が存分に発揮された
「社会派青春ミステリ」

青木千恵

本書は、「いじめ」を題材にした青春ミステリだ。東京の進学校に通っていた成瀬航基は、母の再婚で田舎町に越し、一年生の二学期から町の高校に転入する。学校生活は順調だったが、ある日突然、いじめのターゲットにされてしまう。男子四人に服を脱がされて動画を撮られ、「変態ごっこ」と称してクラスメイトの前で全裸を強要される。エスカレートするいじめに追いつめられた航基は自殺を考え、地元で『ゴーストリバー』と呼ばれている河に行く。その時、ほとんど学校に登校せず、特異な存在だったクラスメイトの月島咲真に声をかけられる―。

社会問題として「いじめ」がクローズアップされるようになってから、もうどれくらい経つだろうか。世間を揺るがした「大津市中二いじめ自殺事件」の男子生徒が自殺したのは、十年前の二〇一一年十月十一日である。社会を映すようにして、「いじめ」を題材にした小説はいくつも書かれてきた。新たに生まれた本書は、著者の「社会派」の持ち味が存分に発揮されつつ、青春と友情、生と死といった多彩な要素が盛り込まれた青春ミステリである。

本書の特色を挙げると、まずはいじめ被害者である十代の少年、航基の視点で描かれた青春小説である点だ。著者は『救いの森』(二〇一九年)でもいじめや児童虐待、子どもの自殺問題を題材にしたが、“児童救命士”の奮闘を描いた『救いの森』と本書は手法もテイストも大きく違う。本書は青春小説の風味が強く、切なさを覚える味わいだ。

“希望ある未来へ! 一人ひとりが輝ける学校。”という横断幕を掲げる高校で、航基はいじめられ、「今」が苦しくてたまらない。〈小学生の頃は戦隊モノが好きだった。けれど、今は大嫌いだ。この世界にヒーローなんて存在しないから。それなのに夢を持たせるような安っぽい物語を創る大人は、みんな偽善者だ〉。東京の進学校で落ちこぼれ、むしろ喜んで越した田舎町でも「蔑み」の対象にされてしまった。まだ十代で打開策がなく、継父と暮らし始めたばかりの『家族』に打ち明けられない。〈虐めをしている側は、何ひとつ傷つかず、やられた側の環境はどんどん腐っていく。弱い者は、もっと弱い者へと攻撃対象を変えていくのだ〉といじめの構造を見据え、揺れ動く十代の心理描写がリアルで、読みどころである。

いじめに苦しむ主人公の心理ばかりだと重くなるが、本書には“ヒーロー”が登場する。ミステリアスな少年、月島咲真の存在により、独特の魅力があるエンターテインメント・ミステリとなっている点も特色だ。

『ゴーストリバー』で航基と「出会う」咲真は、色白で儚げで、幼い女の子が好むようなクマのぬいぐるみを抱えた少年である。咲真は街に連れ出した航基にとあるミッションを課し、その後、「いちばん恨んでいるクラスメイト」を尋ね、「これから、一緒に復讐しない?」と持ちかける。どんな復讐をしようというのか? 咲真との出会いから物語は大きく展開して、航基も読者も「どうなるの?」と引き込まれる。咲真の正体、継父のセクハラ疑惑、娘を虐待する女性の殺害事件など、謎と事件が絡み合うミステリである。クラスでは「幽霊」のようなのに、咲真のキャラクターは強烈だ。〈咲真は性格がきついし、よく暴言も吐く。けれど、誰かの色に染まることはないから、近くにいても安心できるのだ。彼が隣にいてくれるだけで心のバランスが整っていくのを感じていた〉。ヒエラルキーに支配され、敵に狙われないために新たな敵を作る人々の負のループに航基はうんざりし、絶望感を覚えた。どこにも属さない咲真は、この社会で稀有な人物なのだ。ただし航基の視点で描かれているから、航基の記憶に残る咲真の言動が“ヒーロー”のすべて。物語をどう読むか、謎と世界の解決策はやがて読者に委ねられる。

もう一つの特色は、「社会派」小説の醍醐味である。〈もしも、お前が神なら、どんな世界を創った?〉。次々繰り出される咲真の問いと、その都度揺れる航基の心理が共振して、今の社会が浮き彫りになる。

〈お前が死んでも、クラスメイトたちは泣きながら『命を大切にし、成瀬くんの分まで輝いて、これからもがんばって生きていきたいです』って、思いを新たにするだけだ〉。今助けが必要な人がいても見えないふりをし、誰かが死んだら場当たり的に思いを新たにする「鈍感」な人々が作る世界が、素晴らしくなるんだろうか。〈この世界が嫌だと嘆くのは簡単だ。けれど、素晴らしい世界を創造することは思いのほか難しいと気づいた〉。田舎町から、物語はスケール豊かに開かれていく。示唆に富み、社会に一石を投じる作品だ。

それにしても、〈事件が相次いでも、決して嫌がらせはなくならないし、この世界はなにひとつ変わらない〉のはなぜだろう。十月十三日に文部科学省が公表した調査によると、二〇二〇年度のいじめの総認知件数と、生命、心身または財産に重大な被害が生じた疑いがあると認める「重大事態」は、過去最多だった前年度より減っている。だが、パソコンや携帯電話を使ったいじめは増えている。二〇年度に自殺した児童・生徒は四百人を超え、小学生が七人、中学生が百三人、高校生が三百五人だった。子どもの自殺は、小中学生の不登校の人数とともに過去最多となっている。

〈苦しんでいる人間が増えるたび、世界中に紫色の雨が降るんだ〉〈そのとき人間は、ようやく気づくんだ。『今は苦しんでいる人が多い時代だ』って〉

〈俺が神なら、雨に色をつける〉。月島咲真は、成瀬航基にそう言った。

今苦しんでいる人の心と「真実」を見つめ、「いのち」を描く。いろんな世代に読んでもらいたい、優れた青春ミステリだ。

この物語そのものが、まさに「チグリジアの雨」なのだと思う。

●新刊紹介

『チグリジアの雨』 小林由香
東京の進学校に通っていた、高校一年の成瀬航基は、母の再婚をきっかけに、ある田舎町に引っ越すことになった。転入して間もない学校生活は順調に進んでいたが、そんな状況が一変し、突然いじめのターゲットになってしまう。いじめは次第にエスカレートしていき、航基は身も心も耐えられなくなっていく。不条理な目に遭うたびに心は削られ、誰にも相談できずに、我慢の限界を迎えた航基が出した結論は「死」。地元で『ゴーストリバー』と呼ばれる河を自殺の場所に選ぶが、その河でほとんど学校にも登校せず、真面目に授業も受けない、クラスメイトの月島咲真と出会う。そんな咲真が航基に対し、「報復ゲームに参加しないか」という衝撃的な一言を放つ―。
定価1760円(税込)
小林由香(こばやし・ゆか)
1976年長野県生まれ。2006年伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞で審査員奨励賞、スタッフ賞を受賞。08年第1回富士山・河口湖映画祭シナリオコンクールで審査委員長賞を受賞。11年「ジャッジメント」で第33回小説推理新人賞を受賞。16年「サイレン」が第69回日本推理作家協会賞短編部門の候補作に選ばれ、連作短編集『ジャッジメント』でデビュー。他の著書に『救いの森』『罪人が祈るとき』『イノセンス』『まだ人を殺していません』などがある。
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