特集:天童荒太の世界
『昭和(レトロ)探偵物語 平和村殺人事件』
インタビュー
天童荒太さんの新作『昭和探偵物語 平和村殺人事件』は、なんと自身初の探偵小説だ。昭和四十一年、山間にある村を舞台におぞましい殺人事件が起きるのだが、これまで『永遠の仔』や『悼む人』を書いてきた天童作品だけに、ただの殺人事件ではすまない。そこには壮大な悲劇が潜んでいる。新たに探偵小説に挑戦したのはなぜか、作品に託したものとは。さらには作家自身の現在位置についてもうかがった。
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――事件が起こる尽忠村は、人々の鑑となる忠義の村という意味ですが、そもそもは飢饉の際の雨乞いや、戦争に差し出された「人柱」に由来しています。ところが村名が「平和村」と変更されようとしていて、それに合わせて村出身の女優が主演した映画の宣伝をする企画が持ち上がると、「帰ってくるな」という手紙が届きます。村に向かう列車では変事が発生し、村に着くと殺人事件が起きて―と、横溝正史ばりの因習と怨念の物語が幕を開けます。
天童荒太(以下、天童)> 角川春樹社長と仕事をさせていただくならば、探偵小説だろうというのが最初のコンセプトでした。僕は十六歳の時に、春樹社長が作った角川映画の第一作『犬神家の一族』を観たんです。これは日本映画の中の一つのメルクマールだと思います。テレビや映画で金田一シリーズがブームになった真っただ中にいて、横溝先生の『犬神家の一族』はじめ『悪魔の手毬唄』『獄門島』など夢中になって読みました。それに二十代の頃、春樹社長時代の角川書店からデビューしています。そこでエンターテインメントにぐっと振って、探偵ものをやろうと。もちろん横溝先生にオマージュを捧げたいと思いました。
――そうだったんですね。探偵役は、流しをしながら尋ね人も探す鯨庭行也という飄々とした人物です。語り手となる相棒に警視庁広報部の警部補、国生良夫を配しています。
天童> 鯨庭は、金田一耕助を意識して創っています。「金田一」と聞いた時、最初は変な名字と感じたと思うんです。でも慣れてくると聞いただけですぐ分かる。だから普通の名前ではなく、何その読み方と思うけれど、定着していくと意外に忘れられないのではないかと思って「鯨庭」にしました。鯨の庭と書いて大海原を意味し、そこを行く也というイメージです。この探偵はシリーズものとして愛されるのかというところをすごく意識しました。
――えっ、シリーズものになるんですね?
天童> もちろんです。僕はもともと脚本を書いていて映画界出身なので、映画やドラマになった時に、一五秒とか三〇秒のスポット映像があるじゃないですか。その時に金田一だったらぼさぼさ頭をかきむしるとか、特徴的なシーンがありますね。そういう場面を作った方がいいだろうと考えて、「これでアヤがつきました」という決めゼリフを考えました(笑)。
――難癖をつけるという意味の「アヤをつける」はわかりますが、「アヤがつく」は聞いたことがなかった。筋道をつける意味ですが、映画界では聞かれる言葉なんですか。
天童> 映画や演劇のシナリオ作りではよくあります。誰と誰がどういうつながりがあるか、「しっかりとアヤがついていないとドラマにはならない」という言い方をします。でも今使うのはベテランの人たちだけでしょうね。
――鯨庭は流しという今や懐かしい職業になっています。背景をビートルズや昭和歌謡が彩り、情緒を醸し出しています。
天童> 昭和歌謡ってすごく素敵ですよね。それを生かすことで『昭和探偵物語』は特徴的になると思ったんです。ならば歌にかかわる人間にしよう。映画の『ギターを持った渡り鳥』じゃないけど、小道具があった方がいい。そこで流しを選びました。おどろおどろしい連続殺人事件の一方で、ふっと抜けている人好きのする探偵がいいなと。で、知的に考えを巡らせて見抜くというよりは、観察して事件の矛盾や犯人の言っていることの欠点に気づくことにしたんです。ただ、人の心はすべて見抜けるんですが、女心だけは見抜けない(笑)。
――愛敬があって、ヒロインとの関係性も見逃せません。昭和四十一年、一九六六年という時代にしたのは?
天童> 金田一シリーズは戦後間もなくの設定です。現代にすると携帯電話やネットがあって、ロマンチシズムが失われる。今の日本をかたちづくったのは戦争と敗戦直後にあると思われがちですが、僕はむしろそこから成長し始めた六〇年代から七〇年代にポイントがあると考えています。経済優先になって、倫理や道徳をないがしろにし、今の孤立主義、経済優先主義というこの国の悪しきかたちの根本があると仮説を立て、そこを舞台にして探偵小説というエンターテインメントを通して昭和という時代を表現できないかと考えました。
――本編に入ると時々[ ]が現れて、時代背景を説明していきますね。
天童> なぜ天童が敢えて探偵小説を書くのかという、他とは違う差異を意識したのが一つと、読者にこの時代を把握しながら読んでもらいたいというのが一つ。今年は昭和百年でもありますし、このところ昭和がブームですね。でも、この時代はいいことばかりではない。性暴力や性表現に対しても緩かったし、戦争を知っている世代だからこその男尊女卑や権威主義もあった。テレビでは伝えられなくても、本だからこそ伝えられることがあります。今後のシリーズの中で昭和という時代やそこで生きた人をとらえ、現代にどうつながっているかまで俯瞰しながら伝えられたらという意図があります。今回は昭和四十一年、一九六六年ですが、できれば七〇年の万博、七二年のあさま山荘事件まで行きたいですね。公害問題とか高齢者の認知症の問題も、この時代に始まっています。そこが見えてくることによって、今起きていることに光が当てられるのではないかと思います。我々はどこから来たのか、あるいはどこで間違ったのか、どこから修正されてきたのかも含めて。
――物語の冒頭でいきなり「被害者の数は、公表された数字よりも、はるかに多かった」と出てきます。最初は意図が分からないままに読み始めるのですが、米軍のスパイが絡む尽忠村の事件が終わってみれば、詳しくは言えませんがこの意味が痛切に迫ってきます。
天童> エンターテインメントでこれをやっていいのかという迷いは自分の中であったけれど、エンタメとして成立させたうえで何を入れるかは、チャレンジングな仕事ではありました。今回の設定である昭和四十一年は、実は戦争が終わってから二十年ほどしか経っていないんです。その間に、政府は所得倍増をうたい、オリンピックを開催しましたが、戦争の被害者や被害者遺族を置き去りにしたまま進んでいく時代はやはりおかしかったと思います。それを取り立ててテーマとするというよりは、あの時代に起きた事件を表現すると、戦争が人々や社会に落とした影は物語や時代の上に自然と覆いかぶさってくるんじゃないのかなという気がしていました。
――現代のウクライナとロシア、パレスチナとイスラエルの戦争も照射されます。
天童> エンタメだからそこまで踏み込めたと思います。今後も探偵小説としての面白さを一番に考えて書いていきたいですね。時代を表現すれば自ずとその時代の矛盾や哀しみをみつめざるをえない。事件は人間の哀しみとか怒りがバックにあってこそ起きるもの。そこを考えていけば、時代の大きな問題に踏み込むことになる予感はあります。
――これまで、心の傷をみつめ、悼むということを突き詰めた『永遠の仔』(一九九九年)や『悼む人』(二〇〇八年)、「痛み」を通して思考実験した『ペインレス』(一八年)などを世に送り出してきました。エンタメに振って、フェーズが変わったのでしょうか。
天童> そうですね。『ペインレス』で本当に詰めて書いたというところはありますかね。ストレスでアトピーになり、体質が変わって本当にきつかった。終わった後、ひとまずここまできたから、これからは今までやってきたことをエンタメで生かしたいと思ったんです。扱った問題がジェンダーなので、完全に振り切るわけにはいかなかったんですが、『ジェンダー・クライム』(二四年)から、バディものの警察小説を書くことでどれだけやれるかのチャレンジが始まっていたんです。幕末を舞台にした『青嵐の旅人』(同年)と、今回の『昭和探偵物語』を終えて、アトピーもよくなりました。体質的にはもうこっちだなと思います。『昭和探偵物語』はすぐ次作をと担当からは言われています。今は『青嵐の旅人』の続編を連載中で、ファンタジーや『ジェンダー・クライム2』の連載も始まります。
――ええっ! 今まで寡作だった天童さんが、すごい変わりようです(笑)。
天童> 多作に行こうと思っています。デビューして小説を書いていくと決めた時に、自分の師を石川淳に決めたんです。石川の精神を真似て、いつかすっと書いたら、それがある高みの文章や物語になっている境地まで到達したいと思い続けています。自然体で書いたらエンターテインメント性も高く、思想としても今までにないものを打ち出していけるところに行きたい。それには多作も必要なんです。作家として野心的にやりたいですね。
●新刊紹介
- 『昭和探偵物語 平和村殺人事件』 天童荒太
- ビートルズが日本を訪れてコンサートを開いた1966年。昭和41年──流しのギター弾き鯨庭行也は、ある事件を契機に警視庁の国生警部補と知り合う。彼に頼まれて出席した新人女優・華井乃愛のパーティーの場で、乃愛の出身村・尽忠村の名称変更のイベントに同行することになった。まさかその地でおぞましき連続殺人事件が起きるとは知らずに……。一大エンターテインメント・シリーズ開幕!
定価1980円(税込)
- 天童荒太(てんどう・あらた)
- 1960年愛媛県生まれ。1986年「白の家族」で野性時代新人文学賞を受賞。映画原作、脚本などを手掛けたのち、1993年『孤独の歌声』が日本推理サスペンス大賞優秀作となる。1996年『家族狩り』で山本周五郎賞、2000年『永遠の仔』で日本推理作家協会賞、2009年『悼む人』で直木賞、2013年『歓喜の仔』で毎日出版文化賞をそれぞれ受賞。他の著書に『あふれた愛』『包帯クラブ』『静人日記』『ムーンナイト・ダイバー』『ペインレス』『巡礼の家』『迷子のままで』『ジェンダー・クライム』『青嵐の旅人』などがある。
- 聞き手紹介:内藤麻里子(ないとう・まりこ)
- 文芸ジャーナリスト、書評家。毎日新聞の記者として書評をはじめさまざまな記事を手掛け、退職後はフリーで活躍。
特集:遠坂八重の世界
『廃集落のY家』刊行記念
特別対談 遠坂八重×けんご
デビュー三作目として今年二月に上梓した『死んだら永遠に休めます』が話題沸騰中の遠坂八重さん。新人作家として大きな注目を集める中、最新作として刊行されたのが『廃集落のY家』だ。前作とは異なる怖さを描くホラーで、自身が挑戦と語る作品である。その刊行を記念して、小説紹介クリエイターのけんごさんとの対談が行われた。『死んだら永遠に休めます』を激推しするけんごさんは本作をどう読み解いたのか。遠坂さんが描く作品の魅力を探る。
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――『死んだら永遠に休めます』が大変な話題になっています。会社員として働きながらの執筆活動ですから、忙しさにも拍車が掛かっているのではないですか。
遠坂八重(以下、遠坂)> そうですね。この状況に頭が追い付かず、ちょっとパニックになっているというのが正直なところです。とはいえ、けんごさんにはとても感謝しています。動画でご紹介くださってから、本を手に取ってくださる方がさらにドンと。
けんご> 良かったです(笑)。でも、もっと話題になってほしい、もっともっと多くの人に読んで欲しいと思っています。それぐらい小説が持つ力、エンターテインメントが持つ力というものを再認識させてもらった作品でした。読み始めてすぐに、これ絶対に面白いじゃんって。それなりに本を読んできたつもりなので、一ページ目を開いて最初の文章を読んだタイミングでこの作品が自分に合うかどうかは大体分かるようになってきたんです。それがガツンと来て、その後は怒濤の展開が待っていて。すっかり心を掴まれました。
遠坂> ありがとうございます。あの作品はブラック企業を舞台にしたミステリーを、とお話をいただいたところから始まっています。私自身が長時間労働で主人公の青瀬と同じような状態になったことがあったので、書いている時は自分の中に溜まっていたどす黒い感情を吐き出すような感じでした。書くことが治療みたいなものだった気がします。
――限界会社員のリアルが青瀬から伝わってきました。それだけに読者の共感も呼んで「最悪の展開」や「救いがない」などの声に?がっているのかもしれないですね。
遠坂> そうしたお声はすごく面白かったです。受け手によってこんなにも解釈が違うんだと。私としては救いがあると思って書いたんですね。それが結末の部分でもあり、ネタバレになるので曖昧な言い方になってしまいますが、ああいうことはあり得るよね、みたいな。そこは伝えたかったです。
けんご> 僕も組織のようなものに属していたことがあるので、青瀬のように思われていた可能性もゼロじゃないなという思いがよぎりました。僕だったら最初に言ってもらえる方がいいです、後から突き付けられるよりも(笑)。ただそれを結末にもってくることでミステリーとしての面白さになっている。クライマックスに向けて二転三転する展開が見事でした。
遠坂> 私は言いたいことが百あっても一つも言えないようなところがあるので小説を書いていると思っています。そういう意味でも、思いの丈をぶつけられた作品だったと思います。
――では改めて、『廃集落のY家』について伺います。怪異好きな女子大生が主人公のこの作品は、どのような経緯で書かれたのですか。
遠坂> 今回は私からもいくつかプロットを出させてもらったのですが、その一つがホラーでした。元々ホラーが大好きなんです。ホラー小説家の方のように知識や見識もない私のアイデアがどこまで通用するのかと躊躇いもあったのですが、面白いと言ってくださって。それで書かせていただくことになりました。
けんご> 僕もホラー大好きなんですよ。読み手としてはミステリーやホラーが専門ではないかと思うぐらいです。その経験からホラーならではの結末の迎え方に、なんとなくの決まりがあると思っているんです。助かったように見せかけて、最後ズドンと落としてくるような展開とか。読者としてもそこを期待して読むわけです、どうやって怖がらせてくるのかなと。一番ゾクっとするところなので。これ、その期待を上回ってきたと思います。最初から最後まで怖くて、読む手が止まらなかったです。
遠坂> ほっとしました。新刊を出す時は、どんな反応になるのかがすごく怖くて。特に今回は初めて挑戦するホラーだったので、ちゃんと怖がってもらえるのかとすごく不安だったんです。一番聞きたかった言葉です。
――この作品はタイトルにあるように廃集落での怪異現象に呪いや習俗的な信仰なども巧みに取り入れていますが、興味がある分野だったのですか。
遠坂> 村や集落を舞台にしたホラーは好きで映画はよく見ますが、廃集落がどういった変遷を経て生まれるのかなどの勉強をしたことはありません。でも、そういう作者だからこそ、書けるものがあるかもしれない。ホラー小説の入門編というか、手始めの一冊として読んでいただけたらと思っています。
けんご> 十分なり得ると思います。というか、それ以上ですよ。この作品は過去にあったかもしれない事件を匂わせるところから始まっていますよね。それがどう展開して現代に繋がっていくんだろうと。まずそこに引っ張られて読み進めていける。一家心中のこととか、ちょっとやばそうな兄弟の存在がいい謎になっているんですよね。で、最後があれでしょう? いきなり最後の話をするのはどうかと思いますが、やっぱり最後が怖かったんですよ。あの結末は最初から思い描いていたんですか?
遠坂> 先ほどプロットの話をしましたが、きちんとしたプロットではないんです。これまでの作品も中盤あたりまで書き進めると、こうしたほうが面白いかも、いや、こっちのほうがとかぐるぐるしてしまって。あの展開も最後に思いついたものです。私は矢印が異常に向いている状態が怖いなと思っているんです。危害を加えるわけではないけれど、おし潰してしまいそうなほどの矢印、執着心と言えばいいのかもしれませんが、そうしたものを相手に向けているのがすごく怖い。でも、なんかいいなとも思っていて(笑)。それでああいう形になりました。
けんご> なるほど。執着心かぁ。この作品の一番の肝かもしれないですね。その怖さだけでなく、面白さもこの作品にはある。キャラクターが魅力的だからだと思います。小佐野菜乃という主人公にはいろんな要素がありますよね。強さだったり、突拍子がなかったり。でも、行き当たりばったりで行動しているように見えて実は考えているところとか。その人物を好きになる、感情移入できるポイントを持ったキャラクターになっていますよね。
遠坂> 漫画も大好きなので、ちょっとキャラクター要素が強めかもしれません。あまり本を読まない人たちにも読んでほしいと思っているので、キャッチーなキャラクターにできたらいいなと思いながら書いています。菜乃は活発で好奇心も旺盛でという人物ですが、私の憧れみたいな思いも込めて作っています。大学で「怪異研究会」に所属し、好きなことにのめり込んでいる姿も、学生時代にできなかったことを託しているようなところがあります。
――その「怪異研究会」のメンバーである蓬萊倫也が音信不通になり物語が加速していきますが、ここで登場するのが民俗学者である藤石教授です。ちょっとくせ者と言いますか、気になるキャラクターです。
遠坂> 実は読んでときめいてくださる方がいるといいなと思いながら書いたんです。かっこいいというタイプではないけれど、気になると言っていただけるキャラクターになっていたのなら嬉しいです。
けんご> 面白いキャラクターですよね。初出はやばい人とか、呪いの鍵を握っている側の人間なんじゃないかなと思わせて、お菓子好きの一面を見せたり。ギャップの作り方がうまいなと思う。それに、藤石教授はこの物語における指揮者みたいな存在でもある気がします。うまくリードしてくれるんですよ。
遠坂> そんな素敵な言葉で例えてもらえるなんて、嬉しいです。
けんご> 最初の謎に、時系列が前後しながら妖しい事象も絡んでくる展開ですけど、どんどん読み進めていける。それは藤石教授の言動が物語をスムーズに導く役割を果たしているからだと思います。菜乃も同じで、ここでは探偵役になっているなと思っているんですが、場面場面で読者の手を引くようにしながら物語の中へと誘ってくれる。しかも、最初から最後までその手を放さない。それが読みやすさになっているし、遠坂さんの作品が持つ大きな魅力でもあると感じます。
――ご自身でも読みやすさは意識して書かれているのですか。
遠坂> 私の文章は一般文芸の中ではライトタッチと言うか、重厚さがないと思っていて、直したほうがいいんじゃないかと思っていました。ただ、デビュー作の『ドールハウスの惨劇』を出した後、「読みやすい」という感想を多くいただいて、むしろ、長所として捉えればいいんだと思えるようになったんですね。今はそれを生かしていこうと思っています。
けんご> 読み慣れていない人にとっての読書って、結構な重労働だと思うんです。遠坂さんの書かれるものは、そんな人たちに読む力、読む筋肉を付けさせてくれるような文章でもあると思います。読書ってこういうものなんだよと、その楽しさを教えてくれる文章と言ってもいいのかな。もちろん、展開の面白さがあるからこそなんですけど。
遠坂> ありがとうございます。そうありたいと思っていることをすべて言葉にしていただいた気がします。自分が書いたものを世に発表するというのは、こんなにも怖いことなんだという思いは今もあります。それでも、読んでいただけることの喜びがその何倍も大きいことを知りました。今回も素敵な装丁にしていただき、ほかにも多くの方の協力があって一冊の本になっています。小説家にならなければ知り得なかったことがたくさんあって、小説家になれて本当に良かったと思います。
けんご> だからこそ、これからどんな小説を書かれるのかがすごく楽しみなんです。きっと今は、大ヒット作を再びという出版社側の思いが加味された依頼が多いんじゃないかと思うんですね(笑)。でも、遠坂さんの本心はどうなんだろうと。
遠坂> おっしゃるとおりで、読んでしんどい系のものをとか、イヤミスのジャンルでなどとお話をいただいています。まずは、その需要に応えていきたいと思っています。その上で、新たなものを書いてみたい。そういう気持ちも強く持っています。将来的にはミステリーでもなく、嫌な要素もなく、人の心を温かくできるような小説が書けたらいいなと思います。
●原作紹介
- 『廃集落のY家』 遠坂八重
- 大学一年生の小佐野菜乃は、新歓合宿で同学年の蓬萊倫也、泉秋久と出会う。三人ともホラー好きという共通点で意気投合し、『怪異研究会』を立ち上げることになった。しかし、その後蓬萊が音信不通になってしまう。泉がXで見つけた動画には、夜の草叢に首を微妙に傾けて立つ、蓬萊によく似た男性が映っていた。動画が撮影されたと思われる場所へ蓬萊を捜しに行った二人は、禍々しい黒い靄をまとった無機物のような彼の姿を目撃する……。
定価:1870円(税込)
- 遠坂八重(とおさか・やえ)
- 神奈川県生まれ。2022年、『ドールハウスの惨劇』で第25回ボイルドエッグズ新人賞を受賞。その他の著書に、『怪物のゆりかご』、『死んだら永遠に休めます』がある。
- けんご
- 小説紹介クリエイター。TikTokやYouTube、Instagramなどで小説の読みどころを紹介する動画を投稿。作品の的確な説明と魅力的なアピールに、SNS世代の10〜20代から絶大な支持を得ている。
特集:北方謙三の世界
北方謙三初期作品
復刊記念インタビュー
一九七〇年、「明るい街へ」が文芸誌「新潮」に掲載されデビューしてから、今年で作家生活五十五周年を迎える北方謙三氏。エンターテインメント第一作である『弔鐘はるかなり』をはじめ、『逃がれの街』、『眠りなき夜』、『檻』など、北方ハードボイルドが読者の熱狂的な支持を得続けていることは言わずもがなだろう。節目の年、北方氏の初期傑作『友よ、静かに瞑れ』、『過去 リメンバー』、『黒いドレスの女』、『二人だけの勲章』、『逆光の女』が復刊される。四十年の時を経て甦った作品への想い、これまでの作家生活について、文芸評論家の小梛治宣氏によるインタビューで北方氏に伺った。
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――今回、初期のハードボイルド小説が四十年ぶりに復刊されるということですが、まずはその経緯を伺えますか?
北方謙三(以下、北方)> もともと『友よ、静かに瞑れ』は角川書店で刊行した作品で、当時、この作品の映画を角川春樹さんが撮ってくれたんですよ。だから、原作『友よ、静かに瞑れ』を角川春樹事務所で再刊いただければと思ったんです。それで、KADOKAWAにまだあった他の作品も一緒に、五作品復刊することになった。
――そういった経緯だったんですね。再び刊行されることで、今の若い世代にも読んでほしいですか?
北方> 世代に関係なく読んでほしいですよ。昔の作品をね、自分でたまに読み返してみたりするわけですけど、今に無いものがあるんですよ、当然。瑞々しさとかね。そういうものを、どんどん失ってきて、代わりに上手さとかを獲得している。そういう作家の変遷はあるんだけど、それよりも、やっぱりその瑞々しさをね、自分がかつて持っていた瑞々しさを感じられるっていうのは、ちょっと心が痛いけど新鮮だね。
――羨ましくなりませんか? 昔のそういう自分の瑞々しさが。
北方> ううん。だって羨ましがったってしょうがないでしょう。失くしちゃってるんだもの。その代わり、昔の作品は今より全然下手ですよ。言葉の選び方だって、今の方が堅実に選んでいる。
――昔の作品というと、やはり初めての単行本作品である『弔鐘はるかなり』がまず思い浮かびます。個人的には、すごくいいと思っているんです。今から見たら読みにくいところもあるけれど、ギューッと詰まっているんですよね。そこが、すごく、いいんですよ。
北方> 『弔鐘はるかなり』は、「小説を書こう」っていう意識じゃなくて、「エンターテインメントを書こう」としました。エンターテインメントに転向したから。「エンターテインメントらしいエンターテインメントを書こう」と。そうすると、これは再生産をいくらでもしなきゃいけないだろうから、手垢のついた題材で書いてみようと思ったんですよ。それは先に『ふたりだけの冬』(後に『逃がれの街』に改題して刊行)を書いていたからですよ。それを直して編集者に渡したら、そこから更に編集者のチェックが入るので、その間に「もう一本ぐらい書けるな」っていう気で書いたんですよ。
――『弔鐘はるかなり』は、今回復刊する『友よ、静かに瞑れ』とも雰囲気が違いますよね。
北方> 『友よ、静かに瞑れ』を書いた時には、まだ純文学の残滓みたいなものを持ってたから。
――ああ。なるほど。
北方> 純文学の残滓をいまだに持ってるんですよ。『友よ、静かに瞑れ』の冒頭だけど、遠くからね、人がこう近づいてくる。人が近づいてくると、それが何か大きく見える。 最初はなんだか分からないんだけど、近づいてきたら、死んだ犬を引き摺って泣きながら歩いている少年だった。こういう冒頭っていうのは、ちょっとエンターテインメントの冒頭じゃないんですよ。
「小説」というのが何かっていうことを考えると、「イメージの芸術」だと思うんですよ。そうすると、最初の冒頭のイメージをどうするかって考えるんだけど、『友よ、静かに瞑れ』の冒頭は、イメージの喚起力はあると思って書いてるよね。そこからだったら物語は始めやすいだろうというのがあって。
そういうことをやりながら、作中に書いてあることは、「ちょっと傷ついてどっか行ってた奴が戻ってきた」という、ありきたりのストーリー。ありきたりのストーリーなんだけど、やっぱり読み返してみると瑞々しさがあったな。あそこに出てくるあの宿屋の女将とか、なんか一人一人を一生懸命描いていた感じがある。
――『友よ、静かに瞑れ』に比べると、『過去 リメンバー』はストーリーが凝っていますよね。
北方> もうね、『過去 リメンバー』を書いてるときは、量産体制に入ってる時だから、それぞれストーリーを複雑にしないと。単純化されるとね、安直な作品になっちゃうのよ。
ちょっとストーリーを複雑にしたり、心情的な部分で、ちょっと変わったものを入れたり。『過去 リメンバー』でいうと、女の子の心情とかね。一方的に、一面的に筆の速さに任せて書いてしまわないで、どこかで止めて、ちょっとぐにゃっと曲げて、さらにぐにゃっと曲げて書くっていう感じにしておくと、多分、小説としてはメリハリが出るだろうと思うんです。『二人だけの勲章』だって、読んでいたら「結構上手いな」と思ったもの。
――『二人だけの勲章』も素晴らしいと思います。
北方> 「上手いなあ」と思う自分がいる。いるんだけど、そういう自分がいるのは恥ずかしいよ(笑)。
――ところで、作品のことももちろんですが、今回の復刊で新しく先生の読者になった若い人は、先生が小説家を目指した切っ掛けを知りたいんじゃないかと思うんです。
北方> 切っ掛けっていうよりも、書いてたんですよ。気がつくと書いていた。高校生の頃は生徒会が出している雑誌なんかに書いていたな。でも、やっぱり一番大きかったのは、高校三年の時に肺結核になったことですね。大学に入ったけど、四年生になったところで、就職できないと思うわけ。普通だったら企業は健康な人を採るでしょう。俺は病気で死ぬかもしれないですから。しょうがないから一応勉強はしてたけど、俺は柔道しかやってこなかったから、一つ表現みたいなものがないな、と思った時に、文章ですよ。堅っ苦しい文章でね。今思い出したけど、「死とは何か?」「私はどう思った」と、思念を書き綴っていったんですよ。思念を書き綴るとね、どんどん内側に入ってくる。深くなるけど狭くなる。これはどうしようもないんですよ。どう書いても、 どんなテーマでやってきても。書いたノートを見て、「こんなもん書いてどうするんだろう?」と思ってさ。「私はこの女のことをこう思った」とか書いてある。「私は」っていうのが悪いのかなと思って、「彼は」にしたんですよ。「彼は」にした瞬間、小説が広がった。物語になった。広がったら面白くなっちゃって、それが小説で。だから切っ掛けというよりも「なんか思わず小説を書いてしまった」ってところです。なんでそこからこんなにも継続したのかは分からないけど。
小説ってね。すべて自己表現なんだよね。要するに、小説に出てくるどの人物も「私」なんです。その「私」っていうのは無数にある。卑怯なことをして逃げるような奴もいてさ。「こいつみっともなく逃げてるな」と思っても、俺も確か前にみっともなく逃げたことがあるなって。それだけじゃなくて心情的にもね。『三国志』をはじめ『水滸伝』だって『楊令伝』だって、何千人と出てくるけど全部自分だよ。やっぱり表現って自分だと思いますね。
――なるほど。
北方> 俺は最初やったのは純文学だからね。 純文学でさ、結核がどうしたっていうのが一番のテーマだったから。結核=死です。死に隣接している所の何か透明な情感みたいなのがあったら、それを表現したいと思って書いていて、大学生の頃に、「新潮」に発表したんですよ。二本ぐらい続けざまに載ったんだよね。でもそれから延々と載らないっていう時間があってさ。毎月毎月書いて持っていくんだけど、 載らない。そんな二十代前半の時の「ボツ仲間」が、中上健次と立松和平と俺ですよ。新宿のゴールデン街でよく飲んでた。だけど、二十八歳になった時、中上が『岬』で芥川賞を獲った。その頃から俺はね、中上にあって、俺に無いものが明確にあると思った。これは文学の才能ですよ。何かって言うと、中上健次っていう人は「汚濁」を書く人なんです。俺が書いたら「汚濁」は「汚濁」のままなんだけど、不思議なことにね、中上は「汚濁」から真珠を一粒摘み出すんだよ。それがあいつの文学なんだよ。それで、俺にあって中上に無いものは何だろう?って考えた。そしたら、三十近くなってから「物語」っていうのが見えたんですよ。「物語を書こう」って。それで物語を書き始めて本が出て、しばらくすると売れ始めた。そしたら、中上に会ったらね、「どちら様でした?」とか言うわけ。
――(笑)。
北方> 「あ、あの文章をお売りになってる方ですね?」って言われて、「てめえ、この野郎! 表出ろ!」って返したら「事実じゃないか!」とか言うんだよ(笑)。中上はその憎らしい言い方で俺を認めていたんだ。立松はね、「お前さ、昔書いた小説は身体に合わないシャツを無理やり着ようとしてさ、それでタコ踊りになってたよ。今着てるそのシャツはさ、身体にぴったり合って、かっこいいなー」って、立松はそう認めてくれた。中上が病気で元気なくなって酒も飲めなくなった時に、「ちょっと飲もうよ」って言ったら、薄ーい水割りを飲んでて、俺が濃い水割りを飲んでて、その時、「何をやったんだろう、俺らは」ってぼそりと呟いた。「山登ったよな。お前はあっち側から登って、俺はこっちから登って」って。「じゃあ上で会っちゃうじゃないかよ(笑)」って。
――じゃあ、結核という勲章と中上健次がいなかったら、別の北方謙三だったかもしれないですね。
北方> 別の北方謙三として、もっと純文学を続けていたでしょうね。純文学をやる資格のある人間、もっと言うと文学をやる資格のある人間。これはね、生まれながらにいる。中上健次はそういう生まれながらに持っているものがあった。それは彼自身の素質とかじゃなくて「血」が持ってるんだよね。で、なんとかこいつが持ってないものを探そうって気になった。俺は「物語」っていうのを見つけた時、自由になったよ。小説を書くのが自由になった。だって中上が書いてるようなものを俺が書いてみたって暗い物語なだけなんだもの。真珠が一つも無いんだ。まるで違う次元で小説を書いていて、自由に泳いでるって感じがあったよ。中上に、「どちら様でした?」とか、「文章をお売りになっている方ですね?」って言われたのはムカついたけどね(笑)。
- 北方謙三(きたかた・けんぞう)
- 1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大学法学部卒業。70年、同人誌に発表した「明るい街へ」が雑誌「新潮」に掲載され、デビュー。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。83年『眠りなき夜』で日本冒険小説協会大賞、吉川英治文学新人賞受賞。85年『渇きの街』で日本推理作家協会賞長編部門、91年『破軍の星』で柴田錬三郎賞を受賞。2004年『楊家将』で吉川英治文学賞、05年『水滸伝』全19巻で司馬?太郎賞、07年『独り群せず』で舟橋聖一文学賞を受賞。10年に日本ミステリー文学大賞、11年『楊令伝』全15巻で毎日出版文化賞特別賞を受賞。13年紫綬褒章を受章。16年菊池寛賞を受賞。20年旭日小綬章を受章。24年毎日芸術賞を受賞。著書に「三国志」「史記」「岳飛伝」「チンギス紀」「ブラディ・ドール」シリーズなど多数。
- 聞き手紹介:小梛治宣(おなぎ・はるのぶ)
- 千葉県出身。文芸評論家。日本大学名誉教。授現在は目黒日本大学学園の理事長も務める。北方謙三「約束の街」シリーズ(角川文庫)など、評論、文庫解説を多数手懸ける。