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特集:坂井希久子の世界

二〇〇八年のデビュー以来、恋愛小説、官能小説、人情小説にスポーツ小説と、作品の幅を果敢に広げ、常に次作を期待されてきた坂井希久子が、今回挑んだのはなんと初の時代小説!
貧乏旗本の次男坊・林只次郎と、亡き夫が残した居酒屋を切り盛りする美人女将・お妙を中心に、美味しい料理と人々の絆を描いた物語は、初のシリーズ化も決定。
新たな挑戦の背景を訊いた。

聞き手・藤田香織

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初めての時代小説は初めてのシリーズもの!

藤田香織(以下、藤田) まずは、坂井さんが時代小説を書かれたということに、一読者として大変驚きました。御自身では、いつかは、という思いがおありになったのでしょうか。

坂井希久子(以下、坂井) そうですね、漠然とですが四十代後半ぐらいになったら書いてみたいな、という気持ちはありました。人間としてもう少しこなれてから、と思っていたので、正直まだ手探りな部分もあるのですが、こんなに早く機会を頂けたのは、すごく有り難いな、と感じています。

藤田> 以前、『ヒーローインタビュー』は、角川春樹社長の「阪神タイガースの代打選手の話を」というオーダーだったと伺いました。それから女子マラソン選手を主人公にした『ウィメンズマラソン』と続いて、春樹事務所ではスポーツを題材に書いていかれるのかな、と予想していたのですが……。

坂井> それが、時代もの+ご飯もの、というオーダーだったんですよ(笑)。ケレン味はいらないから、とにかく人情もので、癒しを! と。そのつもりで準備を始めていたわけではないし、他社の編集さんに「今度、時代ものを書くことになった」と言ったら、やはりすごく驚かれたりもしたのですが、いい機会だし挑戦し甲斐もあると覚悟を決めました。

藤田> 初めての時代小説ということで、まずはどんな下準備から始められたのでしょう。

坂井> 打ち合わせの段階で、居酒屋というキーワードが出ていたので、江戸時代の料理本の復刻版を読んだり、居酒屋の変遷について調べたり。江戸市井の町人の暮らしの資料からあたりました。あと、作中に出てくる料理を考えるのに、お寺のお坊さんが出してる精進料理の本がすごく役に立ちましたね。時代小説はやっぱりあの、先輩方がたくさんいらっしゃいますし、読者の方も時代考証にお詳しいじゃないですか。だからもう、実際書き始める前から、緊張して、どうしよう! って思いながら、いろいろ調べて。

藤田> 時代小説は基礎知識が必要ですし、現代小説とは文体も違いますよね。

坂井> 書いていくうちに、文体自体はそれほど凝らなくても大丈夫かな、会話が多めのほうが読みやすいし、と分かってきたのですが、言葉使いそのものにわりと苦労しました。江戸時代にはまだ使われてなかった、明治以降にできた熟語とか意外に多いんですよ。用例に文献の成立年が記してある日本国語大辞典でその都度調べたりして、最初のうちは一所懸命にやっていたんですけど、あんまり気にしてると全然話が先に進まなくて。そのうち会話文だけはちょっと気をつけて、擬音擬態語なんかは諦めることにしました(笑)。

藤田> でも、だからこそ手にとりやすい、という一面もあると思います。肩肘張らず、馴染みのない言葉に眉を顰めることもなく、自然に江戸の世界に入っていける。そこから時代小説というジャンルの魅力にはまっていく人も多いかと。坂井さんのような現代小説を書いてこられた方の時代小説には、そうした力があるように思います。

坂井> ああ、確かに私自身も、親しみのある時代小説、という意味では宮部みゆきさん以降の作品を思い浮かべるので、このシリーズもそうなれたら嬉しいですね。

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書いてみて分かった時代小説の魅力!

藤田> 本書の主な舞台となっている、お妙さんが営む居酒屋「ぜんや」は神田花房町(現在の外神田一丁目)にあって、主要人物になる只次郎は現在でいう上野の仲御徒町から通っていますし、常連の御隠居さんたちの家は、日本橋付近ですよね。現代の感覚では「遠いなぁ」と感じますが、当然、みんないそいそ歩いて行く。そうした「江戸の地図」が、頭のなかに描けるようになるのも、一朝一夕では難しいのでは?

坂井> そこは実際に歩いてみました(笑)。深川の江戸資料館に行ったとき、ふと思いついて、清澄白河から門前仲町まで歩いて、日本橋を通って、「ぜんや」がある神田から、只次郎の屋敷がある秋葉原のほうまでずっと。意外と近いなと感じたし、自分の足で歩いてみたら、すごく楽しくて、いろいろ発見もありましたね。当時の人は今より足腰も強くて、歩くスピードも速かったでしょうし。

藤田> もっとも距離を負担に感じさせないだけの魅力が「ぜんや」にはあります。小松菜、春菊、三つ葉をサッと茹で、生姜汁と柚子皮の風味でまとめた「青菜のおひたし」、鮪と葱を炭火で軽く炙ってから出汁で煮た「ねぎま」。皮に脂の爆ぜたあとを残し、ほくほくと湯気を上げる「一夜干しの鯖」。一話目から、どの料理もたまらなく美味しそうでした。

坂井> 「ぜんや」の献立を考えるのはすごく楽しくて、最初にあれこれ書き出してみたら、とても一冊に収まらず、削ったものも結構あるんです。当時の人たちにとって、「ぜんや」のようにたくさんのおかずが食べられる店は贅沢だっただろうな、とは思いますが。

藤田> 料理と共に、店を切り盛りする美人女将のお妙さんに、客の只次郎たちは魅了されていきます。物語の序盤では、お妙さんがそうした客たちが持ち込んだり、店の周囲で起きた謎や事件を解決に導く探偵役になるのかと想像したのですが。

坂井> お妙さんは癒しの存在なので、なんかパパパパって謎解きをして、問題をズバッと解決する、といったタイプではないんです。なので、一歩引いて話を聞きながら、ちょっと質問をはさんだりすることで、当人の思考に働きかけて物事が解決する、みたいな感じにしたくて。みんなが、なんか知らんけど、あそこに行くと頭の回転が良くなるんだよとか、いつの間にか問題が勝手に解決するんだよなって、不思議に思うような感じに。

藤田> そのニュアンスが絶妙だと感じました。それから、物語的に良人を亡くしたお妙さんと、彼女を射止めようとする只次郎、中心となる人物がふたりいることで、話がどんどん広がっていきますよね。既にシリーズ化が決定していると伺っていますが、これから先の展開は、どれくらい考えていらっしゃいますか?

坂井> 春樹社長からは一応、五年で十冊、と言われているのですが、先のことはあまり分かりません(笑)。まだまだ勉強不足な部分はたくさんありますし、特に只次郎の家の話に通じる武士の仕事やしきたりなんかは、下調べが足りていない、と自覚していて。でも、書きたいこともたくさんあるんですよ。手探り状態で書いていた一話目からは想像もしてなかったほど、今、全ての登場人物を好きだなあ、って思っていて。

藤田> それは現代小説を書いているときにはなかった思いですか?

坂井> そうですね。現代小説だと、価値観の置き方がバラバラじゃないですか。だから、「なんだコイツ」と思いながら書いていることもあるんです(笑)。でも、時代小説は身分がはっきりしていて、それぞれの立場で制約があるので、そうした土台の上に個性を乗せていく感じで人物造形が?みやすい気がします。それぞれに性格的に甘い部分も、ダメなところもあるけど、それを含めて好きだと思えるのは、書く楽しみに?がりますね。

藤田> もっとその人となりを知りたい、と思わせる登場人物が多々いるうえに、お妙さんの周囲に忍び寄る影、良人・善助の死の真相、只次郎の将来、そしてお妙さんへの思いは成就するのかなどなど、先の展開への興味もつきません。

坂井> 美味しい料理とお妙さんの笑顔、というベースは大事にしていくつもりですが、癒しだけでは十冊もたないので、ちょっとした陰謀的な物事を入れていきたい、という願望はあります。あと、今の段階で林家(只次郎の家)の家計を支えている鶯のルリオがいつまで生きられるかという心配もあって。鶯の寿命って六、七年らしいので、早々に後継者を育てなくちゃいかんな、と。

藤田> 今のところ、只次郎の気持ちがお妙さんに受け入れられそうな気配はまったくありませんが(笑)。

坂井> それも問題ですよねぇ。でも年上の、なかなかすぐ落とせなそうなお姉さんと、ちょっと子供っぽさが残ってる男の人の組み合わせっていいじゃないですか。だって、男は成長するしかないんですもん(笑)。だからぜひ、只次郎には頑張ってほしい。というか、時代小説かつ、初めてのシリーズものという挑戦を続けていくなかで、私自身も成長していけるように頑張ります。

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第二巻は十一月に刊行予定。ご期待下さい!

坂井希久子(さかい・きくこ)
1977年和歌山県生まれ。
同志社女子大学学芸学部日本語日本文学科卒業。
2008年「虫のいどころ」で第88回オール讀物新人賞を受賞。
2013年『泣いたらアカンで通天閣』が「読売テレビ開局55年記念ドラマ」として映像化。
2015年『ヒーローインタビュー』が「本の雑誌増刊 おすすめ文庫王国2016」のエンターテインメント部門第1位に選ばれる。
他の著書に『ウィメンズマラソン』『ハーレーじじいの背中』『虹猫喫茶店』『ただいまが、聞こえない』など。
人情小説で、いま大注目の新鋭である。
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