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今月の特集

堂場瞬一 の世界

堂場瞬一VS角川春樹対談

二〇二一年は堂場瞬一氏にとってデビュー二十周年に当たる。記念企画として実現した三大警察シリーズのコラボは話題を集めているが、さらなる力作として登場するのが『沈黙の終わり』である。節目となる年のこの作品に込めた思い、また、これまでの作品を通して見る変遷など、角川春樹とのスペシャル対談でお届けする。


―まず、この二十年を振り返り、作品へのお考えやご自身について変化を感じておられるのか。また角川社長はその間の堂場作品をどう見られているのか伺います。

堂場瞬一(以下、堂場)> 僕自身はあんまり変わってないつもりなんですが……。

角川春樹(以下、角川)> 小説は随分変わったなと思いますね。まず聞きたいのは、初めてお目に掛かったときのこと。「スポーツ小説を書くときは純文学に向き合うつもりで書いている」とおっしゃったんですが、覚えていますか?

堂場> 覚えています。二十年やってきても変わらない部分ですね。

角川> そうだろうと思います。でも、警察小説は違うんじゃないですか?

堂場> そうかもしれません。もともと僕は私立探偵が出てくるハードボイルドが書きたかったんです。ですから鳴沢了(刑事・鳴沢了シリーズの主人公)は一匹狼の雰囲気でやったわけですが、書いていくうちに幅の広さがあることに気づき、コンビを組んでやらせてみるのもあるなと。それで誕生したのが「警視庁追跡捜査係」でした。

角川> キャラクターの違う二人がうまく絡んで、第一巻のタイトルでもある“交錯”がシリーズを通してのスタンダードになっていますね。

堂場> バディものとして性格の異なる二人をどう絡ませるのか。しかもこのシリーズは、二人が追う別々の事件が一つになるか、あるいは一つの事件がばらけるかという面倒臭いことも毎回やらなければいけないので、変なミステリー頭を使います。一番大変なんですよ(笑)。でもそのおかげで、他で変則的なことができる。僕のベースになっているシリーズです。

角川> 未解決事件にスポットを当てる着眼点も面白い。

堂場> そもそもなぜ未解決になってしまうのか。そこには理由があるはずです。それをはっきりさせて、ちゃんと解決する人がいますよ、ということです。現実の日本社会では事件に限らず、曖昧なままで終わることが多いですから、せめて小説の中ではきちんと答えを出したいと思っています。

角川> そうした文庫書き下ろしがある一方で、『焦土の刑事』(講談社)などの昭和の刑事を描いた作品群もある。これは大河ドラマを思わせるような小説で、明らかな変化を感じました。

堂場> 転機がありました。二〇一二年に出した『解』(集英社)は、平成という時代を生きてきた人間をまるまる描きたいと思って執筆しましたが、長い時間の流れを掴んで小説に落とし込むというのは大事な作業なんだと実感することができました。

角川> どっしりと書かれているなと思いました。その良さが『沈黙の終わり』にも表れている。この作品は警察ものであるとともに、メディアものでもありますが、二つがうまくドッキングした話になっているなと。

堂場> これまでの全ての小説は僕にとっては“習作”だと思っているんです。そうおっしゃっていただけるのなら、二十年掛けて習作してきたことが、ここで一つの形となったのかなと思います。

角川> 読み応えがありました。『警察回りの夏』(集英社)から始まる三部作も面白く読みましたが、メディアものとして見ても、今回の小説はそれ以上に良く出来ている。

堂場> ありがとうございます。でもこれ、急場の作品といいますか……。本当は去年イタリア取材をして、一冊書く予定だったんですよね。

角川> コロナで行けなくなってしまったわけだ。それで、これをすぐ思いついたの?

堂場> 以前から温めてはいましたが、まとまらないままずっと頭の中で転がしていました。テーマも大きいですから、出すなら何かの記念のときだろうとも思っていたので、このタイミングしかないなと。かなり慌てて準備しました。

角川> そんなことはまったく感じさせないですよ。それで改めて感じたのが、堂場さんは文庫本として書くものと、単行本でじっくり読ませるものとでは、スタンスも変えているんじゃないかということでした。

堂場> ええ。文庫書き下ろしは、駅構内の書店で買い、通勤電車や出張時の新幹線の中で読むといった読者の姿を意識していますので、ストーリー重視で、読みにくいところは極力排除して書いています。一方、単行本では好きなこと、試したいことをやらせてもらおうかと。もちろん、読者の期待を裏切らないとか外せない部分はあるので、その中でどう冒険していくかではありますけど。

角川> 入り方がまったく違うわけだ。読後感にも表れていますよ。

堂場> それだけに、今作は読んだ方がどう捉えるかの興味がありますね。新聞記者が主人公の作品だと、正義感に燃えて、隠れたネタを自分の力で掘り起こして特ダネを書いて、「やった!」と終わるのが読者の望むパターンかもしれません。しかしこの作品は、ほぼ偶然で終わっている(笑)。エンタメだったら、やってはいけない手法ですよ。でも、リアルだとたまたま運が巡ってきて、うまくやれたということがよくある。今回は単行本なので、あえてリアルの世界に寄せています。その分、すっきりしない終わり方だと感じる方がいるかもしれません。

角川> 主人公が定年間近という設定で私は非常に身近に感じたんですが、そのベテラン記者たちの老練なこと。事件隠蔽の理由を探る中で浮き彫りになる社会部と政治部の軋轢や駆け引きなども絡まって、新聞社という組織の奥行の深さを感じました。

堂場> 僕自身も年をとりましたから、定年間際の人の心理がなんとなくわかるようになってきました。とはいえ、それだけだと物語が動かないので、若いやつもバランスを考えて登場させていますが、有象無象が背後にいるというのを感じ取っていただけたのなら嬉しいですね。それが今回の狙いでもありますので。

角川> さまざまな要素がうまくはまって、小説に力感がある。特に上巻の引っ張っていく力というのは凄かったですよ。

堂場> すみません、昔から力業に頼るところはあります。自分で読むのも、そういう話が好きなので……好きなタイプの小説を書きたいがために、こういう風になるんでしょうね。胸ぐらを掴んで引っ張っていくような小説が好きなんです。

―それが堂場作品らしい熱量にもなり、この小説からは記者への思いを強く感じました。その一方で、以前から新聞社の未来を憂えてもおられますね。

堂場> 新聞記者を主人公にした小説を書く際には、記者はこうであってほしいという理想や願望が入ってしまいますね。それだけ気掛かりでもある。インターネットの登場によっていずれ新聞社は潰れると言われてきました。今、一応生き残っていますが、これから先は本当にわからないですよ。

角川> 出版社の立ち位置というのもそう変わるものではないですね。紙がどこまで残るのか。この作品は電子版も同時発売ですが、私はやっぱり紙にこだわりたい。

堂場> まったく賛成ですね。僕も電子書籍は利用していますが、必要な情報を吸い取る資料としては便利だと思います。ただ、小説はあまり読めません。紙で読んでいるときの味わいみたいなものが感じられないんですよね。

角川> 読書力、つまり思考を巡らす力は、電子書籍で培われるのだろうかということは私も危惧しているんです。

堂場> 書いてあることは紙も電子も同じなのに、なぜなんでしょうね。

角川> 作家はA?Iにとって代わられると言われていますが、私に言わせれば、それはありえない。AIが書いた小説はあるけれど、過去のデータに基づくものでしかなく、そのデータは人間が書いたものです。

堂場> 機械が勝手に物語を紡ぐわけではない。創造性という一番大きなところですよね。

角川> クリエイティブは人間の仕事ですよ。だから、今回堂場さんの小説を読み返して驚きましたよ。私は読んだ本をランクづけしているんですけどね。

堂場> 怖いことをおっしゃる。

角川> 堂場さんの作品はまさに人の創造性に満ちていて、いずれも私が求める基準点を超えている。これは凄いことですよ。

堂場> ここは強調して!(笑)

角川> 私もそうありたいものです。編集者の仕事というのは結果が数字に表れるが、その数字が落ちたら編集者を辞めるべきだとすら思っている。

堂場> だったら私は、角川さんの数字を落とさないようにもっと頑張っていかなければいけないですね。

角川> ええ。お願いします(笑)。

構成=石井美由貴

●新刊紹介

『沈黙の終わり  
七歳の女の子が遺体で発見された―。その痛ましい事件から、30年間隠されてきたおぞましい連続殺人の疑惑が浮かび上がった。定年間近の松島と若手のホープ古山、二人の記者が権力の汚穢を暴くため、奔走する。堂場瞬一作家デビュー20周年を飾る記念碑的上下巻書き下ろし!
サイズ:四六判上製
価格1870円(税込)
搬入発売予定日:4月中旬
堂場瞬一(どうば・しゅんいち)
1963年茨城県生まれ。2000年、『8年』で第13回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。著書に、「警視庁追跡捜査係」「ラストライン」「警視庁犯罪被害者支援課」「刑事・鳴沢了」「警視庁失踪課・高城賢吾」「アナザーフェイス」「捜査一課・澤村慶司」「刑事の挑戦・一之瀬拓真」の各シリーズの他、『刑事の枷』『コーチ』『ホーム』『ダブル・トライ』『空の声』など多数。

特集:坂井希久子の世界

『居酒屋ぜんや』シリーズ 完結記念エッセイ

坂井希久子

このシリーズの第一巻目『ほかほか蕗ご飯』が刊行されたのは、奥付によると二〇一六年六月のこと。原稿が手から離れた直後に、全身が蕁麻疹で腫れ上がって寝込んだことを覚えている。角川春樹社長直々に「次は時代物のシリーズを書かないか」と打診され、勢いで「やります!」と答えたものの、不安でたまらなかったのだ。

なにせそれまでは現代を舞台にした物語ばかり書いていたので、時代物の知識がまるでない。しかもシリーズ自体がはじめてで、「全十巻で!」というオーダーが果てしなく遠く感じられた。真っ暗で道があるかどうかも分からない未踏の地に、一歩足を踏み出す感じ。それでも締め切りは否応なくやってくるので怖気づいている暇はなく、無我夢中で駆け抜けてきた。

振り返ってみると、約五年。あっという間であった。「えっ、もう十巻?」と、自分でも驚いている。時に躓きそうになりつつも、どうにか走り抜けてこられたのは、読者の皆さんの応援のお蔭はもちろんのこと、林只次郎という登場人物の役割によるところが大きい。

実は「美人女将がいる居酒屋」という舞台設定までが、角川社長のご依頼だった。ではそれを、どう面白おかしく動かしてゆくか。頭を悩ませながら、武士でも登場させてみようかと考えた。

調べてみると、武家の次男以下の子弟は厄介と呼ばれる不遇の存在だったようだ。そういう報われない立場って好みだから、旗本の次男坊としようか。さて名前は―、ただの次男坊だから、只次郎! と思いついた瞬間に彼が「はい、呼びました?」と、飄々とした有様で振り返ったのである。

ああ、君が出てきてくれたのなら、書けそうだ。私は彼の襟首をむんずと掴み、主役の座に座らせた。かくして美人女将お妙とのダブル主人公という流れができ上がったのである。

シリーズ初期の読書サイトのレビューを見ると、頼りないだのお子ちゃまだのと只次郎の評価は散々だが、彼がはじめから頼りになる男だったらおそらく五巻までに話は終わっている。只次郎が悩んだり痛い目を見たりしつつ少しずつ成長してくれたからこそ、どうにかこうにか十巻まで書き終えることができた。

いやぁ、成長したね、只次郎。でも実はなにも変わってないんじゃ? と不安にさせてくれるところも彼らしい。お妙さんも己の呪縛を破ることができたようだが、どうだろうか。ともあれおめでとうと、二人には作者から祝福の言葉を贈っておこう。

さて、シリーズ完結! などとうたってこうしたエッセイまで書いておきながら、読者の皆様はすぐにまた、「ぜんや」の面々と再会することになると思う。お妙と只次郎には主役の座を下りてもらって、次は別の人物が―。

「え、なんだい。アタシかい?」と、今振り返ったのはお勝さんか。いや、あなたではない(それはそれで面白そうだが)。十巻目にして初登場の人物を主役にして、初夏から「ランティエ」誌上にて、居酒屋ぜんやシリーズ新章スタートですよ。乞うご期待!

●新刊紹介

『さらさら鰹茶漬け 居酒屋ぜんや』
夏の暑い盛り、往来を歩いていた只次郎は、いきなり倒れた少女を介抱した。少女の名は、お花。痩せた体と歳に似あわず足りぬ知恵に、只次郎は虐待を疑うが……。少女を救うため、奔走する只次郎。一方、結ばれたはずのお妙との仲は、どこかぎこちなくて? やがて、ついにお妙の両親と元良人を殺した黒幕と対峙することに……! 只次郎とお妙は過去と今の苦難を乗り越え、幸せを掴むことはできるのか。温かい林檎煮、納豆、赤?の刺身に、心温まる鰹茶漬け。彩り豊かな料理が心を救う、傑作人情時代小説、最終巻!
定価660円(税込)
坂井希久子(さかい・きくこ)
1977年和歌山県生まれ。同志社女子大学学芸学部日本語日本文学科卒業。2008年「虫のいどころ」で第88回オール讀物新人賞を受賞。2015年『ヒーローインタビュー』が「本の雑誌増刊 おすすめ文庫王国2016」のエンターテインメント部門第1位に選ばれる。2017年『ほかほか蕗ご飯 居酒屋ぜんや』で第6回歴史時代作家クラブ賞新人賞を受賞。著書に『小説 品川心中』『花は散っても』『妻の終活』『ウィメンズマラソン』などがある。

小特集:櫻部由美子『くら姫 出直し神社たね銭貸し』刊行記念エッセイ

刊行によせて

櫻部由美子

大阪市の北西部に、「やりなおし神社」と呼ばれる社がある。本当の名は姫嶋神社。その縁起は古く雄略天皇の時代までさかのぼる。ご祭神の阿迦留姫命は、思い切りのよい女性だったらしい。新羅王子である夫に愛想をつかし、逃亡先の日本で、女たちに機織りや裁縫などの技術を教えた。離婚までして人生を果敢にやり直した阿迦留姫の姿は、古代の女たちの目に眩しいものとして映ったのではなかろうか。

令和の世になっても、人生をやり直したいと願う女性が姫嶋神社を訪れる。可愛い御朱印はもちろん、ここには風のお供えという珍しい作法もある。献風台の前で扇子の風を送り、風車を回すことで神さまから良き風を授かることができる。新しくことを起こそう、あるいは成し遂げようと思うとき、背中を押してくれる良き風は有難いものだ。

今回刊行の運びとなった『くら姫』では、貧乏神を祀る神社が物語の出発点となっている。主人公のおけいは、不運な遍歴の果てに辿り着いた「出直し神社」で働き始める。この神社では、たね銭貸しをしている。たね銭とは商売などの元手となる縁起の良い金のことで、借りたたね銭は倍にして返さなくてはならない。出直し神社には、様々な事情を抱える者が、たね銭を求めてやってくる。うしろ戸の婆と名乗る不思議な老婆が、彼らの生い立ちや願望を聞き出し、壊れた琵琶の中からたね銭を振り出す。たね銭の額は求める者によって違う。通常はお守り代わりに一文、二文を授かるだけだが、貧乏神が見込んだ者には、小判が貸し出されることもある。おけいは大金を借りた美女の相談相手として出向き、茶屋に改装された古い蔵の秘密を解き明かすことになる。

おけいは生まれたときから不運を背負って生きてきた、いわゆる薄幸の少女だ。しかも美少女ではない。目が左右に大きく離れ、口は大きく、十六歳にしては背も低すぎる。跳ねるように走り回る姿がアマガエルそっくりだと評されることもあるが、おけいはめげない。奉公先のお店が次々と倒れ、寺の軒先を借りて寝ることになっても、誰かを恨んだり己を嘆いたりはしない。常に真っ直ぐ前を向き、自分の役目を果たそうとする。そして出会った人々の手助けをし、出直し神社へと帰ってゆく。物語を書き進めながら、私の頭の中に懐かしい邦画が浮かんだ。若い方はご存知ないかもしれないが、なぜかフーテンの寅さんが、おけいと重なって見えたのだ。その理由については、是非『くら姫』を読んでご推察いただければ嬉しい。おけいも寅さんのように、これから沢山の人々と出会い、その幸せを見届けてもらいたいと願う。

たね銭貸しがいつどこで生まれた風習なのかは定かでない。おそらく凶作の年に種籾まで食い尽してしまった農民へ、金銭を貸し与えたことが始まりではないかと思われる。井原西鶴の『日本永代蔵』に、泉州水間寺でたね銭一貫文(約二万円)を借りた男の話が出てくるので、少なくとも元禄期には一般に知られた風習だったのだろう。残念ながら現代日本に気前良くたね銭を貸してくださる神さまはいないようだが、各地にその名残は見られる。例えば住吉大社境内の種貸社では、商売繁盛や子宝のお守りを授かることができるので、興味のある方は訪ねてみられるのもよい。

おけいの物語が多くの方に読んでいただけることを、そして、この一文を読んでくださっている方に良き風が吹くことを祈って―。

●新刊紹介

『くら姫 出直し神社たね銭貸し』
下谷の一角にある〈出直し神社〉には、人生を仕切り直したいと願う人々がひっそりと訪れる。縁起の良い〈たね銭〉を授かりに来るのだ。神社を守るのは、うしろ戸の婆と呼ばれる老女。その手伝いをすることになったばかりの十六歳の娘おけいは、幼く見えるがよく気の利く働き者だ。ある日、神社にお妙と名乗る美女が現れる。蔵茶屋の商いに失敗し、今度こそはと望むお妙に、神の差配で授けられたのは大金八両。さらに、婆はお妙に相談役としておけいを連れていくように言い、おけいには「蔵に閉じ込められたものをすべて解き放ってくるように」と耳打ちする。お妙の商いの行方は、蔵から解き放つべきものとは!? 定価748円(税込)
櫻部由美子(さくらべ・ゆみこ)
大阪府大阪市生まれ。銀行員、鍼灸師などを経て、2015年に『シンデレラの告白』で第7回角川春樹小説賞を受賞。その他の著書に、『フェルメールの街』『ひゃくめ はり医者安眠 夢草紙』。

小特集:太田忠司『名古屋駅西 喫茶ユトリロ 龍くんは食べながら謎を解く』刊行によせて

太田忠司

二〇一六年から刊行が始まった「喫茶ユトリロ」シリーズも今回の『名古屋駅西 喫茶ユトリロ 龍くんは食べながら謎を解く』で三巻目となります。当初は一冊だけで終わるつもりで書いたものが、このように続けて書けるようになるのは本当に嬉しいことです。それだけ支持してくださる方がいらっしゃるということですから。

ただ、前もってシリーズ化を予定していなかったがために、いろいろと苦労もあります。第一作『名古屋駅西 喫茶ユトリロ』では最新の名古屋駅西事情を描くため、執筆している時期と作中の時期を同じにしました。しかし、いざ続刊をと書きはじめてみると、それが少々裏目に出ました。常に「今」を書いているため、舞台となる名古屋がこの先どうなるのか、まったく見えないのです。

事実、この三作目の執筆中に新型コロナウイルス感染拡大という思わぬ出来事が名古屋どころか世界中の様相を一気に変えてしまいました。その結果、当初考えていたストーリーが使えなくなってしまったのです。

これには正直、頭を抱えました。なにしろ登場人物たちをあまり自由に動かすことができない。あちこちに出かけて名古屋めしを食べさせることもできないのです。この状態がいつまで続くのかもわからない。こうなると物語をどのように進めていけばいいのか見当もつきません。これは最悪、W?e?bランティエでの連載を中断しなければならないのかとさえ考えました。

しかし、ふと思ったのです。リアルタイムの名古屋を描くつもりのシリーズなら、この混乱こそを描くべきではないのかと。

喫茶店に限らず、飲食業界は今とても大変な状況に陥っています。明日がどうなるかもわかりません。その中でできることをしなければならない。僕は、そういうひとたちのことを書こう。

そして僕は、あらためてこのシリーズに向き合うことにしました。何事もなく物語が進む第一話から次第にウイルスの影が及んでマスク姿のひとたちが多くなり、テレワークでリモート会議をせざるを得なくなり、外食することも少しばかり遠慮を感じてしまうようになる。そんな日本、そんな名古屋駅西を、主人公である龍くんの眼を通して描いてみました。もちろん今までどおり美味しいもの満載の楽しい作品に仕上げたつもりですが、それでもこれは、私たちの「今」を描いた作品です。

楽しんでいただけたら、幸いです。

●新刊紹介

『名古屋駅西 喫茶ユトリロ 龍くんは食べながら謎を解く』
名古屋めし×ミステリー! 小倉トースト、味噌煮込み、名古屋コーチン……老舗喫茶の店主の孫、医大生・龍が出会う個性的な常連と、グルメにまつわる不思議な謎。名古屋めしはもちろん、観光名所や方言、人柄まで、名古屋愛に満ちた謎が満載の大人気シリーズ第三弾!
定価726円(税込)
太田忠司(おおた・ただし)
1959年愛知県生まれ。81年、「帰郷」が「星新一ショートショート・コンテスト」で優秀作に選ばれ、90年、長編ミステリ『僕の殺人』で作家デビュー。「狩野俊介」「霞田兄妹」など人気シリーズを多数執筆。『新宿少年探偵団』は映画化された。2004年、『黄金蝶ひとり』でうつのみやこども賞受賞。17年、『名古屋駅西 喫茶ユトリロ』で日本ど真ん中書店大賞小説部門3位。『遺品博物館』『猿神』『和菓子迷宮をぐるぐると』など著作多数。

小特集:『罪人に手向ける花』刊行に寄せて

大門剛明

イメージというのはいいかげんなものだ。怖そうに思えた人が優しかったり、その逆もあったりする。かくいう私も最近、法廷ものを多く描いているせいか、いつの間にか堅いイメージがついてしまっているようだ。そのためかサインをするとき、イメージと違うと驚かれる。私がいつも書いているサインは、名前とともに二匹の猫の絵が入っている。なんともゆるいサインだ。書くのに時間がかかってしまうという難点があるものの、そんなに書く機会もないのでまあいいやと思って気にしていない。

新刊『罪人に手向ける花』の主人公は黒木二千花という若い女性検事だ。イメージと言えば、女性検事にも一定のイメージがあるように思う。凜として正義感あふれる断罪の女神。ひとことで言えば強い女性だ。以前、取材で会った東京地検の女性検事さんは優しげな普通の女性だったのだが、不要に男性に恐れられて婚活に苦労しているという。主人公である二千花を描くにあたって、最初はそういう女性検事のイメージを壊したいと意気込んでいた。だがそもそも私のイメージなどいいかげんなものかもしれない。イメージを壊すことにとらわれず、彼女の言動を元に自由にイメージを膨らませることができるようにしたいと思い直した。そこで二千花自身の視点をなくし、物語は検察事務官や検事、被疑者に弁護士といった男性の目を通じて進行するようにしてみた。

物語は二十三年前から始まる。殺人事件で一人の男が逮捕されたが、確実な証拠がなく結局不起訴になる。取調べにあたった警察も検察も無念のほぞをかんだ。

そこから時が流れ、舞台は現在へ。二十三年前に不起訴になった男が再び殺人容疑で逮捕される。検察事務官・立原はこの男の取調べに過去と現在の二度も立ち会うことになるのだが、その相方の検事が主人公の二千花だ。ただ立原は人知れず頭痛の卵を抱えていた。二千花は立原が理想とする検事像からほど遠く、いつものほほんとしていて、ゆるふわ系。花や緑を愛で、検事室がまるで植物園のようになっている。定時が過ぎると早く帰ってしまい、引き留めようとする立原に向かって私は頑張りませんと宣言をする始末。だが二千花とともに仕事をこなしていくうちに、彼女に対するイメージが大きく変わっていく。そして最終的に立原がたどり着いた二千花の真の姿は、最初に感じたイメージとはかけ離れたものだった……。過去と現在の事件の真相を追うとともに、二千花というゆるふわ女性検事のイメージが徐々に塗り替えられていくことも物語の核になっている。二千花の発する植物小ネタとともに気軽に楽しんでいただけると嬉しい。それと同時に私のイメージも堅いものを描くというものから、面白いものを描くというものへと変わってくれたらいいなと思う今日この頃である。

●新刊紹介

『罪人に手向ける花』
女性検事・黒木二千花。ゆったりめのワンピースに、ふわふわと波打つ長い髪。笑顔を絶やさない彼女には、絶対に悪を赦さない強い信念があった。その彼女が担当する殺人事件の被疑者は、かつて二千花の父が起訴を見送った男だった……。法廷ミステリーの旗手として注目を集める著者による新たなる検事小説。
定価792円(税込)
大門剛明(だいもん・たけあき)
三重県生まれ。2009年『雪冤』で第29回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞しデビュー。他著に『罪火』『完全無罪』『死刑評決』『正義の天秤』など。法廷ミステリーの書き手として注目を集めている。
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