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特集: 佐伯泰英の世界

特別対談

佐伯泰英×角川春樹

「鎌倉河岸捕物控」三十巻刊行記念

佐伯泰英×角川春樹

このたび刊行の『嫁入り』で「鎌倉河岸捕物控」シリーズも遂に三十巻を迎える。二〇〇一年の第一作『橘花の仇』発表から十六年。長きにわたって愛される本シリーズについて語るのは、佐伯泰英と角川春樹。作品誕生時の秘話からシリーズの今後、ときに作家論や時代小説の魅力も交えながら、存分に語り尽くす。

剣豪ものであり、
捕物帖であり、しかも舞台が金座裏

佐伯泰英(以下、佐伯)> 今回の『嫁入り』は、豊島屋の中でひっそりと地道に商売を守ってきた当代の十右衛門にスポットを当てた読物になっています。「鎌倉河岸捕物控」シリーズは、この豊島屋さんがあったからここまで続いたと思っています。

角川春樹(以下、角川)> 江戸の後年、居酒屋が隆盛になるけれど、豊島屋はそんな居酒屋の始まりといえるところですよね。

佐伯> 豊島屋さんの家訓は「不易流行」だそうです。その意味を僕流に解釈すると“商売の根本の形は簡単に変えるな。同時に新風には敏感であれ”。創業から四百年以上経って、今なお続いている理由もここにあるのでしょうね。それにしても、こうして豊島屋さんが商いを続けておられる以上、このシリーズもやめるわけにはいかないのかなと思ったりします。時節時節にお酒もいただいていることですし(笑)。

角川> 初めて「鎌倉河岸」を読んだとき、あ、この手で来たかと思ったものです。つまり、この作品は剣豪ものであり、捕物帖でもある。しかも舞台が金座裏。江戸だとどうしても浅草などが出てきがちなところに後藤家直轄の、お城が目の前の場所を選んだ。その金座裏というのがとにかく目新しかった。加えて、豊島屋ですからね。このシリーズは長生きすると思いました。

佐伯> 実はずっと気になっていたことがあって。第一作『橘花の仇』が出たのは二〇〇一年ですが、春樹さんはいつどこで読んでくださったのかと。

角川> 最初からちゃんと読んでますよ(笑)。

佐伯> 春樹さんとの付き合いは古く、角川書店の「野性時代」からになりますね。ただ、その頃は雲の上の存在でお目に掛かる機会もなかったですが。当時私は書いても売れずという状況で、それからいろいろあって時代小説に行きつくわけですが、時を同じくして春樹さんが時代小説をやり始めた。そして、ある時期、お互いのあうんの呼吸みたいなものでシリーズをという話になって。

角川> 時代小説をうちの柱にしたいという思いがありました。どこと競っても負けないというものにしていきたかった。そうしたら、佐伯さんが時代小説を書いているという。だから、お願いしますと。私はこれからいなくなりますが、とね。

佐伯> その時言われたのは陰陽師の安倍晴明について書け、でしたね。困ったなと思っていたら、そのすぐ後に“官営の療養所”にお入りになった(笑)。

角川> 拘置所ではね、仕事もできないし、やることないから本がたくさん読めるんです。拘留されている間に五百七十冊くらいは読みましたよ。この作家はこんなのも書くんだとか知ることができていい機会だった。いやね、手元に置ける本は三冊だけなんです。うち一冊は獄書といって内部の図書館の本だけど、一週間に一冊しか借りられない。だからなるべく厚い本を借りるんです、時間を持て余さないようにね。あと二冊は差し入れ。新刊が出るたびに差し入れしてもらってました。

佐伯> そうした環境の中で読んでくださったわけですか。光栄ですね(笑)。僕も、迷って回り道をしながらも「鎌倉河岸」に辿りつき、時代小説を書く覚悟もできました。

◆ ◆ ◆

角川> 刑務所を出てきたら、佐伯さんは大スターになっていた。以降、佐伯さんと同じモチーフ、同心ものや捕物帖をいろんな作家が書き、各社が扱い出したわけだから、時代小説を復活させたのは佐伯さんだと思う。捕物帖などは一時期、少なくなっていましたからね。同時に、「鎌倉河岸」などのヒットは文庫の書下ろしも定着させた。角川書店時代に書下ろし文庫を手掛けたときにも手ごたえがあったけれど、やはり佐伯さんが先駆者だといっていい。

佐伯> すでに文庫書下ろしという形態はありましたから、先駆者とは言い難いです。一九九〇年末までは基本的にハードカバーで売れた作品を文庫にするというのが流れでした。そんななかで始まったのが、文庫書下ろし時代小説でした。ノベルスが売れない時代にあって、手堅いジャンルなんだと思います。一度読者がつくと、必ずとは言えないまでも、高い確率で次も本屋さんに足を運んでくれますからね。

角川> 自由に書けるのは時代小説しかないんです。現代は制約が多く、例えば拳銃をぶっ放すみたいなことはあり得ない。でもそれが平然とできるのが時代小説です。そして、作家の人生論が出てくるのも大きな特徴でしょう。読者はね、その作家の人生観を楽しみながら読み、学んでいる。フィクションだけど、ノンフィクションとして読んでいるんだと思いますね。

佐伯> 安心感もあるんでしょう。日本の歴史の中で、徳川の時代ほど安定していたときはない。大きな革命もテロもありませんから。そんな背景の中に時代小説はスポッとはまっていて、日々の生計を地道に稼いで暮している人々の姿を描いています。翻って、現代は先の見えない不安な時代じゃないですか。となると、安心して読める時代小説の存在はかえって大きくなると思います。

角川> 同感ですね。

佐伯> 僕は日本の作家の小説は読まなくて、翻訳ものが多いんです。特にスウェーデンのヘニング・マンケルの作品が大好きなんですが、彼が描くような現実に根差した警官小説では警官が置かれた状況は、難民問題、麻薬、テロとものすごく厳しい。その厳しさを作家が書いていくのは辛い。読者が読むのも辛い。だったら、時代小説のような虚構の世界があってもいいんじゃないかと思います。藤沢周平さんや池波正太郎さんなど、大先達みなそれぞれに深い視点があり、描き方がありますが、僕は僕なりの視点でそう時代小説を捉えています。

「鎌倉河岸」は常に
新鮮な気持ちで書ける

佐伯> 先ほど、時代小説には人生経験が反映されるとおっしゃったけど、そのとおり。僕は売れない作家だったからこそ書けたんだと思いますね。

角川> エネルギーも含めてね。精神的ユーモアがありながら、ハングリーでもあったと思う。

佐伯> 三十歳で捕物帖が書けたら天才だと思う。僕なんて六十過ぎてからですよ。僕の本って、この「鎌倉河岸」もそうですが、奇妙な現象が起きるんです。一冊出ると出版社に「いつ次が出るの?」と電話がかかってくる。時代小説でなければ、こういう反応はないんじゃないかな。そして今でも政次の成長が見たい、亮吉の能天気ぶりが見たいと読んでくださる読者がいる。有り難いことです。以前、春樹さんにお会いしたとき、“どんな旬な作家も盛りは十年だよね”なんておっしゃった。僕としてはなんてこと言うんだと思ったけど、正しい。十年持つ作家はなかなかいないですね。

角川> 生き残る作家の条件を問われても、一人ひとりバックグラウンドが違うから一概に言えることではない。だけど、一つだけ言えるとすれば、若くしてベストセラーを出した作家は不幸だなと。だんだんネタがなくなっていくんです。作家にはスタートダッシュ型と晩成型があるけど、晩成型であればあるほど芳醇な世界が描けるものです。

佐伯> 本当に作家それぞれなんでしょう。僕の場合は、東京から熱海へと距離をおいたこと。孤独に耐えられたこと。作家の資質はなんだと問われれば、そう答えますね。

◆ ◆ ◆

角川> “パクス・ロマーナ”じゃないけれど、“パクス・江戸”も少しずつ変化している。その中で政次や彦四郎、亮吉といった登場人物たちがどうなっていくのかという読者の思いはいまだ尽きない。相変わらずの亮吉だっていずれは誰かと一緒になるんだろうけど。いや、それは作家にしかわからないことか。

佐伯> 私にもわかりません。書く前はなんの計算もないというか、イメージもないんです。すべてパソコンの前に座ってからです。昨日の分を読み返してこんなことを書いていたのかと自分で驚くこともあります。また、多くのシリーズを手掛けさせてもらっていますが、中でもこの「鎌倉河岸」は常に新鮮な気持ちで書き続けることのできる稀有なシリーズでもあります。ただ、三十巻まで来ると、深刻な問題も出てくる。新たな読者が入りづらいのではないかと。

角川> そこは作家と話をしないとね。同じ主人公でも舞台を変えるとか、何か考えないととは思いますよ。しかし、この「鎌倉河岸」は文字を大きくするなどの新装版という形でもずいぶんと版を重ねてきていますが、そのたびに新たな読者が生まれています。

佐伯> あらゆるジャンルの中で、市場は広くないけど、潜在読者層というか固定の読者が一番多いのは時代小説分野なのではないですか。

角川> そう思います。シリーズの時代小説の良さというのは、たいていが各巻で完結していますから、どの巻から読んでも構わないというのがある。それが新たな読者をひきつけることにもなる。

佐伯> 若い女性読者も増えていますしね。

角川> そう。だから、シリーズの長さだけが問題なのではない。そのうえで、編集者としてはやはり、このシリーズは何巻までにしておこうとか、ここで終わりだとか、全体のグランドデザインを考えなければならないわけです。

佐伯> それは春樹さんだからできること。私より若い編集者はなかなかそういうことは言ってくれないですよ。

角川> まぁ僕も七十五だし。現役の編集者として五十一年やってるわけで、俺くらいのポジションの人はいないでしょ(笑)。いずれにしろ、どこかで政次の息子に代がわりさせたいとは思っているけど、五十巻までは政次が主人公で行こうか。

佐伯> えっ、ちょっと待ってください。

角川> いや、それぐらいこれは良いシリーズだということですよ、息の長いね。

佐伯> あの春樹さん、お互い七十五歳なんですよ。そのことをお忘れなく(笑)。

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【新刊紹介】

『嫁入り 鎌倉河岸捕物控〈三十の巻〉』

当代の豊島屋十右衛門の祝言が近づき、京からの花嫁ご一行を鎌倉河岸の皆々は首を長くして待っていた。そんな折、政次は同心の寺坂より、女剣術家の永塚小夜どのが政次に会いたがっているらしいと聞かされる―。平成の大ベストセラー、記念碑的な第三十弾。
本体690円+税

佐伯泰英(さえき・やすひで)
1942年北九州市生まれ。日本大学藝術学部映画学科卒業。闘牛カメラマンとして活躍後、ノンフィクションや小説などを発表。99年、初の時代小説『密命』以降、次々と作品を刊行。「鎌倉河岸捕物控」「居眠り磐音江戸双紙」などの各シリーズで幅広い支持を得る。東京生まれ。1987年「草之丞の話」で小さな童話大賞、92年『きらきらひかる』で紫式部文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、12年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞。他の著書に『ウエハースの椅子』『ちょうちんそで』『はだかんぼうたち』など多数。
角川春樹(かどかわ・はるき)
1942年富山県生まれ。國學院大學文学部卒業後、75年に角川書店社長に就任。翌年から映画製作に乗り出し、映像と活字のメディアミックス戦略で話題をさらう。95年に角川春樹事務所を設立、「ハルキ文庫」、雑誌「Popteen」など幅広く展開。俳誌「河」主宰。
株式会社 角川春樹事務所
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