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巻頭エッセイ

『笑う警官』に始まった、大ベストセラー「北海道警察」シリーズ。その大事な舞台の一つが、主人公である警察官たちが集うジャズバーだ。音楽とお酒に心地よく浸れる場所……佐々木譲さんが、ある夜の出会いをエッセイに綴って下さいました。


夜のジャズ・ライブ

佐々木 譲

案内されたのは、ピアノを囲むカウンターの、左端からふたつ目の席だった。

目の前左手側が小さなステージで、この夜はジャズコンボのライブがあるのだった。まだライブハウスで新型コロナのクラスターが発生した、というニュースは出ていない時期だ。

その日は、行った店がけっこう混んでいて、カウンターの左端には若い男の客が。ひとつ空いて右側には、年配のご婦人客がひとり、目の前にバーボン・ウィスキーのボトルを置いて飲んでいる。わたしはそのふたりのあいだの椅子に腰を下ろし、バーボンとつまみを一皿、ウエイトレスに注文した。

出てきたバーボンをひと口飲んだところで、左隣りの青年がいきなり声をかけてきた。

「はじめまして」

ジャズのライブがある店で、そのようにていねいに隣席の客からあいさつされたのは初めてだ。少し戸惑いつつ、あいさつを返した。

「あ、はじめまして」

青年は、二十代なかばという年齢だろうか。少しカジュアルなジャケットを着ているが、堅気の勤め人だろう。髪は額を隠す長さ。カクテルを飲んでいるように見えたけれど、ソフトドリンクだったかもしれない。つまみは注文していない。

彼は続けた。

「ぼく、ジャズを聴くの、初めてなんです」

おお、そういうことか。少し緊張しているのかな。

わたしは言った。

「初めてがこんな席だなんて、素晴らしい初体験になるね」

「いい席なんですね?」

「ほかのお客に申し訳ないぐらいに」それから気になってわたしは訊いた。「ふだんはどんな音楽を聴いているの?」

「ヒップホップ、ラップとかです」

「ジャズは全然聴いていなかったの?」

「ときどき耳にして、前からきちんと聴いてみたいなとは思っていたんです。でもなかなか機会がなくて。きょうは思い切ってこの店に来てみたんです」

わたしはつまみの皿を彼のほうに押しやった。よかったら、と。それから少しジャズとその店をめぐっての話題。ジャズ俗物に見えぬように注意しながら。

ライブが始まってからは、曲の合間でもあまり話すことはできなかった。なにせ演奏者たちのすぐ目の前なのだ。

ライブが終わると、わたしの右隣りの婦人が青年に訊いた。

「どうだった?」

わたしが着く前に、ふたりはもう会話を交わしていたようだ。

青年は少し上気した顔で婦人に答えた。

「最高でした! 素晴らしかったです」

「はまりそう?」

「ええ、もうはまりました」

わたしにとっても、いつも以上にいい気分になれたライブの夜となった。

ちなみにこの日の演奏は。

塩田哲嗣(b) 吉岡秀晃(p) 大坂昌彦(ds) 中路英明(tb) 中島あきは(as)だった。

佐々木功 の世界

『家康の猛き者たち 三方ヶ原合戦録』刊行記念インタビュー

聞き手:内田剛

『乱世をゆけ 織田の徒花、滝川一益』で第九回角川春樹小説賞を受賞した佐々木功さん。受賞作では織田信長の家臣・滝川一益、二作目となる『慶次郎、北へ 新会津陣物語』では前田慶次郎を描いた。そして今作『家康の猛き者たち 三方ヶ原合戦録』で取り上げた武将は、本多平八郎忠勝。「武の象徴」として有名な武将だが、著者はどのような想いを込めて作品を書いたのか。元書店員で現在はブックジャーナリストとして本の素晴らしさを広めるため活動をしている内田剛さんが著者に尋ねた。


内田剛(以下、内田)> 本日は、ハルキ時代小説文庫の書き下ろし新刊『家康の猛き者たち 三方ヶ原合戦録』について、著者の佐々木功さんに大いに語っていただきます。まずはこの作品の執筆に至る経緯をお聞きしたいのですが、少年時代に遡ってどんな本を読まれていましたか。

佐々木功(以下、佐々木)> 父が歴史小説が好きで家の中にもたくさん本があったのですが、吉川英治とか新田次郎とか、漫画では横山光輝『三国志』などを読んでいました。

内田> 王道ですね。では小説家になるきっかけは?

佐々木> 小学生くらいから書くのは好きで作文も得意でした。成長するにしたがって赤川次郎などライトミステリーにも親しんでいくうちに、自分でも物語を書きたいという欲求が芽生えました。そこに拍車をかけたのが司馬遼太郎、池波正太郎作品との出会いですね。歴史小説に対する自分の創作意欲が膨らみました。社会人となって一度は小説から離れた空白期があったのですが、三十歳の時に転機があったのです。

内田> 興味深いですね。それは何ですか?

佐々木> 仕事に対して迷いを感じて自分は本当は何をやりたいんだろう、何が出来るのかと問い直したのです。そこで出した結論はとにかく書くことに戻ろうと。

内田> 少年時代からの夢の実現。原点回帰ですね。

佐々木> その時に思いついたのがデビュー作『乱世をゆけ 織田の徒花、滝川一益』のアイディアだったのです。滝川一益という浪人から織田信長の重臣にのし上がった人物の話なのですが、何をやっていいかわからない幽霊のような人間、滝川一益こそがまさに自分だったのです。これなら書けると。

内田> 転機の一作で角川春樹小説賞を受賞ですね。

佐々木> 文学賞には数本しか応募していなかったので受賞はラッキーでした。でも自分で言うのもなんですがこの賞にふさわしい作品ではないかと思っています。

内田> この賞はいろんなジャンルの作品が受賞してきましたが、佐々木さんの作品は、ど真ん中の歴史小説ですので書店でも売りやすいんですよね。なぜこの賞に応募されたのですか?

佐々木> 子供の頃から「戦国自衛隊」のような角川映画で育ち、自分自身の下地になっていました。その角川春樹社長の会社が主催する小説賞にと思ったのが応募のきっかけになったんです。この賞に見出されたのも運命を感じていて。

内田> ジャストフィット。相思相愛ですね。受賞後の変化はありましたか?

佐々木> 劇的に生活が変わったわけではありませんが、自分が書いてきたことが間違っていなかったんだと感じました。前田慶次郎が主人公の次の作品『慶次郎、北へ 新会津陣物語』も角川社長から「書きなさい」とリクエストをいただいて出来ました。『乱世をゆけ』にも登場している慶次郎一本で行けと。隆慶一郎の名作『一夢庵風流記』などもあって不安もありましたが書きはじめたら一気でした。自分の中でも大きな扉が開かれたような気がします。

内田> いよいよ新作についてお伺いします。読ませていただきましたが本当に面白かったです。僕は長い間書店にいましたので作品の読みどころをPOPに書いてきました。

佐々木> ありがとうございます。嬉しいです。

内田> まず設定が見事で唸りましたが、この題材を選ばれたきっかけを教えてください。

佐々木> これも実は角川社長からのアドバイスで本多平八郎ありきでした。『乱世をゆけ』の脇役で登場していて、活躍の場面は短いながらも強烈なインパクトを放った存在でした。武の象徴として、決定力を持った武人としてもっと強く描き切りたいとの思いで、三方ヶ原の戦いを選びました。複雑な徳川家の成り立ちを伝えられればと。

内田> 徳川家は本当に一筋縄ではいかないんですよね。

佐々木> そうなんです。主君が若死したり家康自身も人質だったり、独立した後も古株中心の家臣団の中で若き家康の苦悩は物凄かったと思うのです。いかにしがらみを排除して組織を形成していくかという奮闘劇が間違いなくあったはずです。その中で信じられる者たちとの結束が重要で。これはいまの会社組織にも当てはまりますよね。

内田> そうですね。ビジネス書としても読めますよ!

佐々木> ありがとうございます。中小のベンチャー企業の経営者にも読んでもらいたいです。三方ヶ原という派手な負け戦に後の大成長の原点があったというように。

内田> 燃えさかる大坂城を見る天下人・家康。冒頭のシーンが非常に印象的で大好きなのですが、どんな思いが込められているのでしょうか?

佐々木> あれは後から思いつきました。実はラストシーンだったんですよ。最初の構想では三方ヶ原の評定からだったのですが、インパクト重視で追加しました。

内田> 映像が明確に浮かんでくる名場面です。声に出して読みました。

佐々木> 歴史小説ファン垂涎。戦国終焉の象徴的なシーンですね。関ヶ原以降の家康は狸親父で意地悪な人物と思われてしまいがちですが、そのベースには何があったのか、そこを深掘りしたかったのです。

内田> 冒頭だけでなく映像が浮かぶ迫真のシーンが多いですね。物語を書くにあたって重視する点はなんでしょうか?

佐々木> 作品によって違うのですが、今回に限って言えば映像ですね。合戦シーンを書きたいと。もともと映像が大好きで、アクションシーンは動画やアニメなどには勝てないと思っていたので、意図的に前作ではカットしていました。本作ではどこまで出来るかチャレンジしてみました。

内田> 大成功です。息づかいまで聞こえてくるようで完璧に引き込まれました。ある意味、映像や音楽以上に見事な文章表現です。

佐々木> その分、ページ量が増えてしまって。編集で随分カットしたんですよ。

内田> ボリュームがあっても厚さを感じさせないのは佐々木さんの持って生まれた才能ですよ。タイトルについては?

佐々木> いつも大いに悩むんですよね。全然センスがなくて。今回も「平八郎が行く」とかタイトルを考えましたが、本多忠勝だけでなく服部半蔵をはじめとした家康家臣団のキャラクターがうごめいた群像劇でしたから、「家康の○○」としたかったのです。「家康、三方ヶ原に立つ」も候補にありました。いいかなと思ったら『家康、江戸を建てる』に似ていて遠慮しました(笑)。

内田> それで『家康の猛き者たち』に落ち着いたんですね。潔いタイトルです。

佐々木> 人名を絡めた方がタイトルは際立ちますよね。わかりやすいですし。

内田> 作品を書いていて一番苦労した点はどこでしょうか?

佐々木> 物語の構成ですね。実はもっと群像劇だったんです。あまり多いと分かりにくくなるので思い切って削りました。主君・家康を支えるのは、本多忠勝の武と服部半蔵の忍び。この関係性を軸にラストへとつなげるストーリーとしました。

内田> 忍びの存在が効いていて光と陰の対比が鮮やかです。

佐々木> 服部半蔵がいなかったらこの作品は成立しなかったです。正統派の猛将・本多忠勝の存在を際立たせるためにも貴重な役回りでした。

内田> 女の忍びの活躍もありましたね。これだけで一冊書けそうな。

佐々木> 忍びは個人的にも好きでして。『乱世をゆけ』でも滝川一益が忍者という設定ですし。なぜ最近は忍びの物語が低調なのか不思議に思っていました。観光地などで忍者自体は人気なのに。嘘っぽすぎて現代社会では小説として読まれにくくなってしまったのかもしれません。時代に取り残されたというか。でも忍者集団は実際に存在して殿様の陰で役に立っていたのです。この作品でも徳川家のライバル・武田家を追いつめる鍵となる役割を担っています。

内田> 映像的な臨場感に驚かされましたが、取材はされましたか?

佐々木> 文献資料も調べますがやはり実際に現地に行ってイメージを膨らませますね。文献は頭に入っていますが、行ってみないとわかりません。今回も浜松に出向きました。一言坂、三方ヶ原の合戦シーンの描写に活かされています。

内田> 家康もそうですが屈強なイメージの武田信玄の人間性も伝わってきて興味深かったです。人間臭い弱みがあるなんて。

佐々木> 書いていて思いついた部分もありました。どんなに強い男にも性があり、それも含めて宿命なのです。

内田> この物語を包み込む大きな運命を感じますね。三方ヶ原で負けたのは徳川なのに武田も完全勝利ではないところが深すぎます。

佐々木> そこが余韻です。勝利の場面に衰亡が始まっていたというくだりなど、馬場信房の語りは史実にはないオリジナル。信玄自身は語れないですからね。読ませどころです。

内田> 忠勝を「家康に過ぎたるもの」と評価した小杉左近は、「甲陽軍鑑」で本多忠勝を有名にするためだけに登場している、という記述は史実なんですか?

佐々木> 史実です。歴史の皮肉ですね。本多忠勝の存在を際立たせるために歴史に名を残したなんて。小杉左近のキャラクターもより強調して濃い目に描きました。家康の身代わりで死んだ夏目次郎左衛門も思い入れの深い人物です。一向一揆で一度背きながら再び家康に従った者の死にざまが鮮烈で。こういう思いにさせる家康はやはり名君だったと思うのです。

内田> 確かに一人一人の登場人物が意味をもっていて魅力的ですね。本当に一行一文たりとも無駄がないです。何か秘訣があるのでしょうか?

佐々木> いまは時間さえあれば頭の中でキャラクターを動かして妄想を膨らませています。限られた時間ですが、集中して執筆に専念して。

内田> 終盤の合戦からの退却シーン。その熱量は鳥肌ものです。

佐々木> この怒濤のクライマックスのために作品があるのです。すべては徳川家のために。天下を獲るために。異様なまでの一体感と高揚感は理屈じゃないです。書いていてまさに何かに取り憑かれたような感覚でした。起承転結のない面白さを体験できると思います。

内田> 一人として無駄死にはないですね。すべての者が報われています。ラストの場面も素晴らしくて漲りを感じました。ずっとこの物語の話を続けたいところですが今後のご予定をお聞かせください。

佐々木> 一冊、戦国もので書いている作品があります。とにかく戦国時代が好きですから。誰が登場するかぜひ楽しみにしていてください。こういう人物もいたのかという発掘をしていきたいですね。

内田> 本日はお忙しい中、楽しく密度の濃いお話をありがとうございました。これからのご活躍も大いに期待しております。ありがとうございました。

佐々木功 (ささき・こう)
大分県大分市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、一般企業に勤務。歴史小説好きが高じて、自ら執筆するに至る。2017年『乱世をゆけ 織田の徒花、滝川一益』で、第9回角川春樹小説賞を受賞しデビュー。
聞き手:内田剛 (うちだ・たけし)
1969年東京都生まれ。ブックジャーナリスト。NPO本屋大賞実行委員会理事。30年近い書店勤務を経て2020年2月よりフリーランスに。「本の雑誌」や「Bundan TV」などで文芸書を中心としたレビューを行うほか、各出版社と連携した販売促進アドバイス、学校や図書館でのPOP講習会を行っている。著書に『POP王の本!』がある。
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