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今月の特集

貴志祐介 の世界

『我々は、みな孤独である』刊行記念
貴志祐介インタビュー

ホラー・SF・ミステリーとジャンルを超えて多くの読者を魅了し続ける、ベストセラー作家・貴志祐介。このたび七年ぶりの長篇小説が刊行された。最新作『我々は、みな孤独である』は、特にいま、人との接触が難しくなった時代に、孤独とは、生きること死ぬこととは?を考えさせられる、傑作エンターテインメント。主人公に探偵を据え、依頼者の”前世”を探っていくという冒頭から、一気に引き込まれる展開を見せる本作品はどのように創られたのだろうか。


貴志さんは『黒い家』で日本ホラー小説大賞(一九九七年)、『硝子のハンマー』で日本推理作家協会賞(二〇〇五年)、『新世界より』で日本SF大賞(〇八年)、圧倒的な犯罪小説である『悪の教典』で山田風太郎賞(一〇年)を受賞するなど様々なジャンルに挑戦している。ジャンルへの挑戦というよりも、ジャンルを熟知した上での新たな方向というか、誰もなしえなかったところに向かおうとしているのが、貴志文学の凄さかと思うのですが、最新作『我々は、みな孤独である』には驚きました。私立探偵茶畑徹朗が主人公なので、今度は私立探偵小説かなと思ったら、全く違っていた。一代で優良企業を作り上げた会社の会長から、「前世で自分を殺した犯人を捜してほしい」という不可思議な依頼を受ける。この発想はどこから生まれたのでしょう?

貴志祐介(以下、貴志)> 角川春樹事務所の新作、ということでオカルト風味というのを入れたいなと思っていました。ただプロットを作るにつれて、どんどん複雑化していった感じですね。前世を発展させようというのはありましたので、色々な前世のシーンをちりばめたくなった。

前世の記憶がかなり古いものだから、時代小説の作家に依頼して、前世の記憶とおぼしきものを小説仕立てに作り上げて、事件や方言から推理をしていく。小説内小説というか、様々なテキストが出てくる。とくに時代小説ですね。

貴志> 時代小説も書いてみたいと思っていたことがあったんです。ただ余りにもハードルが高いというか、一本丸々時代小説というのは無理かなと。やるからにはスーパーリアルにやりたいなというのがありまして、ですから昔の言葉や方言を厳密に使った。そういうものを多用して書きたいというのがあった。でも、あの長さが精一杯だった。

なかなか堂にいっていて感心しました。時代小説にちょっと色気が出たのでは?

貴志> 実はですね、松永弾正を書きたかったのですが、先に書かれてしまいました。天海僧正と金地院崇伝の話も書きたいなと思っていたんですが、それも書かれていますしね。本職の方と張り合うのは難しい(笑) 。

でも、本職のミステリー作家としては見事です。前世をテーマにしていますが、そればかりではない。ネタがぎっしりとつまっている。前世の犯人捜しからはじまり、部下の失踪、元恋人の震災における謎の行動と死、会社のM&Aの機密漏洩と盛り沢山。

貴志> てんこ盛りにしたという感じはありますね。ただもうこれ以上入れると、収拾がつかないと思い、本誌連載のときは辻褄を合わせて最後まで書き切ったのですが、今回本にするにあたって読み返したら何かが足りないと思った。茶畑のラブストーリーの部分がほとんど欠落していたんですね。

え? 元恋人のくだりは雑誌連載時にはなかったのですか?

貴志> ありませんでした。本当に感情に訴える部分がなくて、ズシンとくるような読後感が得られないんじゃないかと思った。でも、茶畑に東日本大震災で亡くした恋人がいるという過去をもたせることで、最終的には上手く嵌ったのかなと思いました。

元恋人の話もいいのですが、主人公の探偵が関係者を訪ねて調べていくうちに、感化されてしまい、彼自身も前世の夢を見てしまう過程がわくわくしますね。依頼人の前世と関係している人間ではないのかと推理する。茶畑は、安楽椅子探偵ならぬ「うたた寝探偵」と自嘲しますね。昼寝をすれば自動的に手がかりが夢に現れて少しは謎が解けるので、うたた寝探偵。夢の細部をひとつひとつ検証して、真相に迫っていくのが実に面白い。

貴志> 実際の夢というのは時系列では見ない。いきなり核心に入ったり前後したり。ところがこれは前世の記憶なので、最初から順番に。自分の記憶とはいえ他人の行動の記憶でもあるから推理していくことになる。

それが歴史上の有名な戦いや第二次世界大戦へと繋がるのもいい。

貴志> 昔の人は色々な場面で厳しいことに直面していた。今我々が大変だと言うのとは桁が違うし、質も違う。それを蘇らせ、少しでも何かを現代の人たちに感じさせたいという願望があった。とくに太平洋戦争におけるニューギニアの餓死に至る過程はひどすぎて、資料を読んで本当に怒りがこみ上げてきた。昔から日本軍は、下士官は優秀で真ん中はそこそこで上は大馬鹿だと言われていましたが、本当にそうだなと思いました。兵站のことを全く考えていないし、兵士を消耗品というか、将棋の駒としか思っていない。

「人が人に対してふるう暴力や残虐行為は、宇宙で最悪の愚行です」という言葉を何度か出して、戦争体験をはじめとして暴力や残虐行為を告発している。一方で、むごたらしい暴力をスラップスティックに捉えてもいる。日本に上陸したメキシコの麻薬カルテルのマフィアの一人を拷問にかける場面が出てきて、これが何とも残酷で怖いのですが、どこかにふっきれた笑いがある。またかなり楽しんで書いている気配がある。

貴志> 楽しかったです(笑)。私は昔からよく答えているんですが、変人を書いてるのが一番楽しい。奇人ではなくて変人。ヤクザ社会でも多分生きてはいけないほど歪んでいてぶっ飛んでいる。拷問の場面はリアルに思い浮かべると気持ち悪くなってしまうので、半分ギャグですね。相手がメキシカンだからというわけでもないですが、鱧の骨切りに見立てた和風の拷問で。和風は和風で結構昔から酷いことやっていますのでね。『悪の教典』がそうでしたが、変人を書いている時と同じぐらい悪人を書く愉しさがある。悪人というのは自由。我々は本当に日々不自由な生活をしていることがわかる。悪人を描くと彼らは非常に軽やかで何も心配せずに生きていますよね。

そういう悪の魅力も本書にはありますね。着想もそうですが、展開も予想外の所にぐいぐいとひっぱっていく。ジャンルも横断する。貴志さんは本当に色んなジャンルを知っている。あらゆるものを非常にうまくミックスしてなおかつ新しい作品を生み出している。それは読書量が豊富だから、違う方向に行こうとする意識も相当あるのではないですか。

貴志> 昔読んだ作家の作品が、面白くて忘れられないというのがあります。最近ああいうのがないなと思うと、真似することはできないんですけれども、自分なりに書きたくなる。週刊文春で連載の始まった『辻占の女』も、ストーリーは違うけれど、頭の中にあったのはカトリーヌ・アルレーの『わらの女』。全然違うシチュエーションですが、女性が主人公で追い詰められていく設定で、もっと複雑にしている。昔と比べると今の小説は総合格闘技になっていて、昔は投げ技だけ、パンチだけでもできたんですけど、今はなんでもできないといけない。そのぶん難しくなっていて勉強が必要ですね。

小説内小説もそうですが、本書で特徴的なのは、ストックトン『女か虎か』、フレドリック・ブラウン『さあ、気ちがいになりなさい』など様々な小説を引用して注釈をつけている点ですね。とくに金子光晴の詩句の引用が効果的です。「そらのふかさをみつめてはいけない。その眼はひかりでやきつぶされる」。これは本書のテーマと直結しますね。

貴志> あれはちょっとSF的というか、昔から使いたかったんですね。別のところで「凝視してはならない」とも書きましたが、真実というのはひょっとしたら人間には耐えられないものなのかもしれないということです。真っ正直に探求すればいいというものでもない。目を逸らした方が生きやすいし、気が狂わなくて済むんだからという話でもある。

孤独というテーマと繋がりますね。死よりも恐ろしいものとは何かという問いに対し、「孤独よ。もっと本質的、絶対的な、宇宙的と言ってもいい孤独」という言葉が出てきます。コロナ禍のいま、閉じこもっている人たちに響く言葉ですね。

貴志> 私は孤独には強いタイプだと自負してきたんです。でもやっぱり真の孤独には人間は耐えられないと最近は思うようになった。新型コロナ程度の孤独でも、つまり友達も家に呼べなくなったし、人に会いに行くこともなかなかできない。このぐらいで結構コロナ鬱みたいな状態になって、ちょっと前まで暴飲暴食でぶくぶく太ってしまい、最近運動して、大分元に戻したのですが(笑) 。小説の中に「我々は、みな孤独なのです。この冷たい宇宙の中で正気を保ち続けるのは、神にとってすら至難の業なのです」という言葉も出しましたが、書いているうちに頭にあったのは、広大な宇宙の中で生きることの意味ですね。昔、理系の人と話した時に、彼は「宇宙の真理を知ることができたら、一時間後に死んでもいい」とか言っていたけれど、私はちょっとそこまでは思えない。でも、天寿を全うするにしても、知ってしまったら普通に余生を送れないのではないかという気もします。

「人生も、宇宙も、わたしたちが見ている夢にすぎないのよ」という台詞も出てきますね。夢、前世、宇宙、そして孤独。そういうものの一つの答というものが最後の最後に出てきます。ある種のラブストーリーとともに。ひじょうに壮大で神秘的な結末ですね。ジャンルを知り尽くした作家の、「総合格闘技」ともいうべき現代エンターテインメントの秀作ではないかと思います。

貴志> ちょっと読者によっては怒る人もいるかもしれませんが、こんな小説があってもいいんじゃないかなと思います。SFが好きで、ミステリー好きの私の感覚ですがね。

●新刊紹介

『我々は、みな孤独である』
探偵・茶畑徹朗の元にもたらされた、「前世で自分を殺した犯人を捜してほしい」という不可思議な依頼。前世など存在しないと考える茶畑と助手の毬子だったが、調査を進めるにつれ、次第に自分たちの前世が鮮明な記憶として蘇るようになる。果たして犯人の正体を暴くことはできるのか?
本体1700円+税
貴志祐介(きし・ゆうすけ)
1959年大阪府生まれ。京都大学経済学部卒。96年「ISOLA」で日本ホラー小説大賞長編部門の佳作となり、『十三番目の人格ISOLA』と改題して刊行される。その後、様々な文学賞を受賞し、映像化された作品も多数。近著に『罪人の選択』。

あさのあつこ の世界

『えにし屋春秋』刊行記念
あさのあつこインタビュー

児童文学、一般文芸、時代小説と多様なジャンルで活躍を続ける、あさのあつこさんの新刊『えにし屋春秋』は、縁を結ぶ・切ることを商いとするひとびとを描いた、心ふるえる時代ミステリーです。縁という形のないものを扱う謎めいた主人公たちを鮮やかに描き切ったあさのさんに、その創作秘話を伺いました。


人と人の縁≠書く

あさのさんは幅広いジャンルで書かれてらっしゃいますが、意識して書き分けをされていますか?

あさのあつこ(以下、あさの)> 意識はしていなくて、書くべき人によって舞台が定まってくるという感じです。実は『えにし屋春秋』の話も、人と人との縁を結ぶだけでなく、切るとか絶つとかも含めて人との濃厚な縁というのを考えました。その時に、現代を舞台にして書くと自分の力量では書き切れないなという気がして。舞台を江戸に持ってくることで、人と人にどのような結びつきができるか、あるいは断ち切ることができるか、ということをより鮮明に書けると思ったのです。

時代小説では、刺激を受けた作家さんや好きな作家さんはいますか?

あさの> 藤沢周平さんの短編が好きでしたね。作中に登場する若いお侍さんとか、若い少年の生き方というのが素敵で、衝撃を受けました。それから藤沢さんの短編集をたくさん読みましたね。後は、乙川優三郎さんの時代小説も好きですね、品があって。あんな女性になりたいと思うこともありましたが、諦めました(笑)。

中学高校の頃は海外ミステリーが好きで、古典と呼ばれている『モルグ街の殺人』から『シャーロック・ホームズ』シリーズに始まり、エラリー・クイーンやアガサ・クリスティを夢中で読みました。物語の面白さというのは、海外ミステリーから教わったような気がします。物語を書きたい、というのはそこから始まったのかもしれません。

「えにし屋」のはじまり

『えにし屋春秋』ご執筆のきっかけをお聞かせください。

あさの> 編集の方から「江戸時代の結婚事情が興味深いです」とお話をいただいて。その時はまだ漠然とした形だったんですけど、武士と町人の結婚式の違いや仲人の成り立ちなどについて、資料を読んだり自分で考えたりして、「人の濃密な縁」を書きたいなと思った時に「縁を取り持つ」、それを生業とする女性の姿が浮かんできたんです。でも、いよいよ一話を書き始めようとした時に、少し違和感があって。自分が書きたい人間、初という名前は最初から決めていたんですけど、なかなかうまく出てこなくて。悩んだ末に「そうか、彼女ではなく彼なんだ」というのが分かったんです。そうしたら話が進み出したんですね。

その主人公の初というキャラクターが、秘密めいた人物として登場します。まず男なのか女なのか、という部分と、実は見た目ほど飄々としていない、人間らしい部分がありますよね。

あさの> 初がどんな生い立ちで性格で、どういう雰囲気を醸し出しているかは、書きながら次第に浮かんできました。なので、一話目では初という人間にまだ踏み込んではいないんです。二話目でやっと踏み込めたという。書き進めながら、少しずつ手探りをしていったというのはあると思います。

その中で、初の人物像として、特にここは拘ったという部分などはありますか?

あさの> やはり、男でもなく女でもないところ。だから美しい、とは書いてないんですけど、男には出せない、あるいは女には出せない魅力みたいなものを彼の存在の中に書きたいなというのがありました。もう一つ、初を未熟な人間として書こうというのがあって。若いというのもあるんですが、何もかもできる完璧な人間で、彼が物語をリードしていくというのではなく、過ちとか迷いとか、そういう事も含めて色々つまずきながら進んでいく人間であるように書こうと思っていました。

だからこそ、初と組む「えにし屋」の主・才蔵の存在もすごく生きてきますね。二人の関係があって、「えにし屋」が成り立つという。

あさの> そうです。彼をえにし屋の主人にしようと思ったのは、一話の途中からですが、初が未熟であるということは、彼をサポートする相手が必要だというのがあって。それも完璧なサポートではなく、ある時は寄りかかりながら、支え合いながらやっていく関係です。でも人と人の関係には枠に嵌められないところがありますよね。親友だと思っていたけれど、恋人だったとか。親子でありながらライバルだったとか、そうした見えない関係を探っていくのが私の物語の進め方なんです。

今回収録された二つのお話には、一話では自立する女性、二話では依存する女性という、二人の女性像を描かれているように感じました。

あさの> 一話は、おまいという少女の生き方を中心に据えて書こうと思っていて、最初はハッピーエンドで終わるかと思ったんです。良縁を得て大店のお内儀(妻)になってめでたしめでたしみたいな。だから前半では、親に全否定された少女のような形で書いていたのですが、書いていくうちに「この子は大店のお内儀に収まって、幸せだなと思えるような生き方をしていないな」と考えが変わっていきました。芯の強さは絶対に要るなと思ったんです。はなから自立して自分のために生きていく、みたいな女性を描こうとは思っていなかったです。

二話目に登場する吉野孝子は、最初あんなに弱いとは思ってなかったですね。でも、孝子という人を追いかけていったら、これしかないなって。

ラストは意外な展開が待っています。

あさの> 初が「おれは、とんでもない過ちを犯してしまったのか」みたいなことで悶々とするんですが、一つの縁によって、優しさや思いやりといったものが逆に棘や刃になってしまう、という組み合わせもあるなと。孝子の夫である吉野作之進が持つ、あの優しさとか気遣いというものを欲している人もいると思うし、現代に持ってきても全てを許せる男性というのは、私は貴重だなと思います。ある意味理想的ではあったけれど、それがすごく許せなかった女性がいる。そして許せなかった意味もある程度分かるじゃないですか。自分の一番触れて欲しくない所に触れて、なお許すという。それは、ものすごく不遜なことであったりもするわけで。良い悪いではなくて、人の縁の不思議さ剣呑さも含めて、今回「えにし屋」という作品を書く機会を頂けたことで、生まれた物語かなと思っています。

●新刊紹介

『えにし屋春秋』
浅草の油屋、利根屋の娘・お玉と、本所髄一の大店の主人との縁談が持ち上がったが、見合いの前日にお玉は置手紙を残していなくなってしまう。利根屋の命運を賭けて、身代わりとなったのは奉公人・おまい。当日、Wえにし屋Wを名乗る謎めいた女が現れて……。
本体1600円+税
あさのあつこ
1954年、岡山県生まれ。青山学院大学文学部卒業。91年に『ほたる館物語』でデビュー。96年に発表した『バッテリー』およびその続編で、野間児童文芸賞、日本児童文学者協会賞、小学館児童出版文化賞を受賞。2011年『たまゆら』で島清恋愛文学賞を受賞。近著に、『ハリネズミは月を見上げる』など。

小特集:佐藤青南『ストラングラー 死刑囚の推理』刊行記念エッセイ

善と悪の狭間で

若いころ、僕がアルバイトしていたコンビニにAという新人が入ってきた。

Aは少し抜けたところがあるものの、明るく人当たりのいい性格だった。僕は当時、プロのミュージシャンを目指すバンドマンで、夢を追う者同士というシンパシーもあったせいだろう。すぐに打ち解けて、一緒にご飯を食べに行ったりするようになった。

ところが、コンビニのオーナーは最初からAを目の敵にしていた。小さなミスをしつこく責めたり、Aのいないところで、いかにAが無能か、それによっていかに迷惑をこうむっているかを、僕に力説したりした。

そもそもオーナーはそういう人だった。根は悪い人ではない。機嫌の良いときには、従業員にジュースをご馳走してくれるし、いつもご苦労さまと労ってくれもする。しかしパチンコで負けたときには、出勤した瞬間からそれとわかるほど不機嫌をまき散らした。そういうときはなにをしても無駄だ。負けた憂さ晴らしのように従業員に怒鳴り散らす。そういった理不尽な仕打ちに耐えられず、辞めてしまう従業員が後を絶たなかった。僕が辞めなかったのは、当時住んでいたアパートが店から徒歩五分の近所だったためと、仕事を変えることによって収入が不安定になり、バンド活動に支障が出るのが嫌だったからだ。

ある日、オーナーはAが店の商品を盗んでいると言い出した。そういうことは珍しくない。レジ締めで金額が合わないときには、真っ先に従業員を疑うような人だった。

そんなに他人が信用できないのなら、アルバイトなんか雇わずにぜんぶ一人でやればいい。僕は思ったことをそのまま口にしてしまい、最終的には怒鳴り合いになった。その場で辞めて帰ってやろうかとも考えたが、なんとか思いとどまった。それでも怒りは収まらなかった。腹が立ってしょうがなかった。

その数日後、自宅にいる僕に、オーナーから電話がかかってきた。見せたいものがあるから、すぐに店に来てくれと言う。反発しかけたが、休日に呼び出されるなんてそれまでなかった。僕は勤務先のコンビニに向かった。

レジにはAが立っていた。ほかには誰もいないので、オーナーと二人で勤務しているようだ。またねちねちいびられているのか。

僕はAに同情しつつ、お疲れさまと声をかけ、バックヤードに入った。

オーナーは僕を待ちかまえていた。「これを見てくれ」と従業員用のロッカーを開け、Aのものと思しきリュックの口を躊躇なく開いた。中にはスナック菓子が詰まっていた。バックヤードの在庫を詰めたようだ。

「ほら。言った通りだろう」

勝ち誇ったように言うオーナーを、僕はその瞬間、心から軽蔑した。

かねてから疑っていたのだから、ロッカーを開けたのも私物のリュックの中を見たのもしかたがないと言い訳ができるかもしれない。けれど僕を呼びつけた理由はなんだ。自分が正しいと証明するためか。おまえが声を荒らげて弁護したAは、本当は悪人なんだぞと伝えるためか。それをしてなんになる。意味がわからない。Aが商品を盗んでいたという証拠をつかんだのなら、クビにするなり警察に通報するなりすればいい。休日の僕を呼びつける正当な理由にはならない。

Aは実際に悪事を働いていた。オーナーは警察沙汰にするのを嫌って、その場でAを解雇した。Aはいそいそと荷物をまとめ、店を去って行った。それ以来、Aがなにをしているのか知らない。

結果的に僕はAに騙されていた。けれどAのことを嫌いにはなれなかった。一緒に過ごして楽しかったのは事実だから。Aが盗みを働いたという客観的事実よりも、Aとの楽しい記憶が勝った。オーナーがAをいびったせいじゃないか、だからAは腹いせに商品を盗んだんじゃないかと、Aの行動を正当化しようとすらした。けれどそれはない。いくら不当な扱いを受けたからといって、普通は盗まない。Aにはもともと盗癖があったと考えるべきだろう。

いまでもときどき考える。Aは悪人だったのか。悪人の定義はなんだ。法を犯すことか。それならば法を犯していない人間は善人なのか。僕には自分が善人だと、胸を張って言える自信がない。それならば僕は悪人なのか。善と悪の間がグラデーションになっているのならば、どこまでが善でどこまでが悪なのか。世間的には悪人であったはずのAに好感を抱いてしまうのは、よくないことなのか。いまだに答えは出ていない。

『ストラングラー 死刑囚の推理』は、そういうお話です。

死刑囚・明石陽一郎は本当に冤罪なのか。善なのか、悪なのか。

主人公の刑事・簑島朗と一緒に、あなたも善悪の概念をかき乱されてください。

●新刊紹介

『ストラングラー』
警視庁捜査一課所属の蓑島朗は「ストラングラー」と呼ばれる同一犯によると思われる連続殺人事件の捜査に従事していた。捜査の行き詰まりを感じた蓑島は、東京拘置所に一人の男を訪ねる。男の名は明石陽一郎。14年前の連続殺人事件で逮捕起訴され、極刑が確定した死刑囚だ。しかもその事件で蓑島は恋人を殺されているのだ。しかし「ストラングラー」事件解決のために、どうしても明石の見解が必要だった。なぜなら、「ストラングラー」の手口は明石が起こした事件と極めて共通点が多かったのだ。私情を押し殺して明石と対峙する蓑島。しかし、対話の中で明石は蓑島に恐るべきことを告げる。「14年前の事件は冤罪だ。あんたに、おれの無実を証明する手助けをしてほしい」と。「ストラングラー」と14年前の事件。蓑島は図らずも二つの連続殺人に向き合うことになる……。
本体680円+税
佐藤青南 (さとう・せいなん)
1975年、長崎県生まれ。第9回『このミステリーがすごい!』大賞・優秀賞を受賞し、『ある少女にまつわる殺人の告白』にて2011年デビュー。他の著書に「行動心理捜査官・楯岡絵麻」(宝島社文庫)、「白バイガール」(実業之日本社文庫)「犯罪心理分析班・八木小春」(富士見L文庫)各シリーズ、『たぶん、出会わなければよかった嘘つきな君に』『たとえば、君という裏切り』(ともに祥伝社文庫)がある。
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