生きるとは何か

  1. 茜唄(上)
    茜唄(上)

    直木賞作家の新たなる代表作。
    今村「平家物語」!

    歴史とは、勝者が紡ぐもの――。 では、何故『平家物語』は「敗者」の名が題されているのか? 『平家物語』が如何にして生まれ、何を託されたか、 平清盛最愛の子・知盛の生涯を通じてその謎を感動的に描き切る。 平家全盛から滅亡まで、その最前線で戦い続けた知将が望んだ未来とは。 平清盛、木曽義仲、源頼朝、源義経……時代を創った綺羅星の如き者たち、 善きも悪きもそのままに――そのすべて。 <直木賞作家・今村翔吾が魂をこめて描く、熱き血潮の流れる真「平家物語」!>

  2. 茜唄(下)
    茜唄(下)

    平家、それは最も哀しく、
    最も美しい一族。

    源氏に追われ、京から落ちた平家一門。 しかし彼らは、追い込まれる度に、結束し、強く、美しくなっていく。 一の谷、壇ノ浦、そして――。 平知盛、その妻・希子、精兵強弓・教経、戦の天才・源義経、将の将・源頼朝…… 戦う者の思惑が絡まり、ぶつかり、高まり、向かう結末は。 今村版「平家物語」、驚愕、感涙のラストを見よ! <直木賞作家・今村翔吾が描く、夫婦の絆。新聞連載時より話題沸騰の歴史エンターテインメント!>

『茜唄』刊行記念対談 
今村翔吾×本郷和人

「シン・平家物語」の誕生である。今村翔吾氏の最新刊『茜唄』は平家一門の興亡を描いた『平家物語』に材を取る。源平最後の戦いである壇ノ浦に散り敗者の汚名をかぶることになった平家だが、彼らは本当に敗者だったのか。ここに描かれる平家の姿は、そんな思いを抱かせる。では、歴史学者は独自の解釈で紡いだこの小説をどう見るだろう。本郷和人氏との対談によって、作品の魅力に迫る。

― 『茜唄』は『平家物語』を題材としつつ、今村さんならではの解釈で紡いだ新たな平家の物語になっています。その独自性に、今村ワールドの更なる進化も感じているのですが、この古典の名作に挑まれたのはなぜか。そこからお聞かせください。

今村翔吾(以下、今村) 僕なりに『平家物語』に対して思うところがありました。これ、不思議な物語だと思うんです。多くの人の手によって脚色され、肉付けされていったものを僕らは今、目にしていると思うんですが、その最初の物語を誰が書いたのかはっきりしない。ロマンを感じるんですよね。それで今回の作品にも、作者は誰なんだろうと思ってもらえるような仕掛けをしているんですけど。

本郷和人(以下、本郷) 冒頭から引き付ける形になっていましたね。実際の作者に関しては、国文学では信濃前司行長で動いていないですね。日本史の研究者としては、そこはお任せしているという感じで。『平家物語』は歴史資料としても大変素晴らしいものですが、伝承による物語という性質上、僕らは鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』に重きを置かざるを得ないところがあります。

今村 『平家物語』は大衆のものだったのかもしれないですね。一方で、僕たちが戦国時代のヒーローとして見ている人物が憧れた世代が、この平家だったのかもしれないという思いもありました。例えば、織田信長は「敦盛」を好んで舞ったと言われていますが、この幸若舞は『平家物語』の一場面から取られたものですよね。ということは、戦国武将に影響を与えるようなものが源平合戦にあるんじゃないかなと。

本郷 僕も源平に関しては『平家物語』から得るものが大きい。子どもの頃、夢中になって読んだのを覚えていますし、国文学者の長野甞一さんの著作にも感銘を受けました。ただこの題材は、作家さんは書きたがらないだろうと思っていたんです。

今村 実はこれ、京都新聞などで二〇二〇年から連載していたものなんですが、書き始める前は源平合戦は地味だし、人気もないからやめたほうがいいと言われたんですよ。

本郷 大河ドラマ「平清盛」の視聴率も散々でした。僕はこのドラマの時代考証をさせていただいたのですが、当時見てくださった方から「登場人物がみんな平〇盛で、区別がつかない」と言われましたよ。

今村 面白かったけどなぁ。でも、わかる気はします。この作品にも重盛、忠盛、経盛、頼盛と出てくる人みんな盛ばっかりで(笑)。

本郷 だから、普通は避けるんです。でも、今村先生は見事に書き分けられていた。キャラクターとして立たせるだけでなく、それぞれの人間関係もさりげない描写で伝えている。主人公の平知盛だって、ほとんど知られていないだろうに、とてもうまく書かれていますよね。 

今村 正直、苦労しました。この作品の知盛像はザクッとし過ぎていると研究者の方は思われるかもしれない。それは承知なんです。でも、説明ばかりになると物語から読者が離れてしまう。そのバランスが難しくて。

― 主人公としての魅力をどんなところに感じていたのでしょう?

今村 彼は側室を持たず、結婚したのも幼馴染みたいな女性で。現代的だなと思ったのがまず一つ。それと、武将としての存在感です。源義経の活躍によって知盛は敗戦の将という位置づけになっていくんだけど、どの戦いでもけっこういい線いってるなと思うんですね。武将としての強さは、これまであまり触れられてこなかったように感じたので、しっかり描いてみたいという思いがありました。

本郷 木下順二さんが書かれた『子午線の祀り』は知盛が主人公ですよね。一ノ谷から壇ノ浦に至る戦いを描いた素晴らしい戯曲で、それもあって、平家の中で戦闘的な武将といえば僕は知盛だと思っています。その知盛が今村さんによって磨かれ、主人公度がどんどん上がっていく。だから、いい作品だなと思って。しかも、愚鈍だとか卑怯者だとか言われている宗盛すら救ってくれている(笑)。

今村 もともと平家贔屓だったというのもあります(笑)。その分、平家に対して同情的にも見える部分があるとは思うんですけど、僕がこの時代を書こうと思ったとき、源氏側の視点に立つという考えはなかった。それだけに、平家や源平合戦に馴染みのない人たちにどう読まれるのか。楽しみではあるんですが……。

本郷 でも、「鎌倉殿の13人」があったから。

― まさに、この作品は「鎌倉殿の13人」へと続く物語ですよね。

本郷 本の帯、決まりましたね。「鎌倉殿の13人」はここから始まった。いや、本当に感服しました。僕の初めての今村体験というのは『八本目の槍』でしたが、こんな石田三成像があるのかと度肝を抜かれたんです。抜群のストーリーテラーが登場したなと思って。

今村 書評でも取り上げてくださいましたよね。ありがとうございました。

本郷 今回もまたまたびっくりですよ。何に驚いたかって……。歴史学者の山内昌之先生が楚漢戦争に言及されたことがあるんですね。あれは項羽と劉邦の戦いと考えられているけど、第三の勢力があって、実は北方の騎馬民族・匈奴と三つ巴の戦いなんだと。ハッとしました。イスラムの専門ではあるけれど、歴史の大家は目の付け所が違うと感心した。で、これでしょう。やっぱり今村先生は源平の戦いもそんな簡単な内容にするわけないよなぁと。これ以上はやめておきます、読者の興を削いでしまうから(笑)。

今村 物語なんで、いろいろ想像させてもらっています。『三国志』も正史と演義があり、様々な物語が派生したように、僕が書いたこの物語もそうしたものの一つでいいと思っています。とはいえ、数ある中でも固定化されているのが義経の八艘飛びやないかと。なぜそんな動きができたのか。僕なりに思いついたことがあったので、そこは変えたいなと。このシーンを書くために物語を作ったと言うと少し大袈裟ですけど、そういう気持ちもあったのは確かです。

本郷 鵯越も見事に今村流になっていますね。凡庸な書き手だと、実は鵯越はありませんでしたという方向に行ってしまうんです。それをちゃんと生かしつつも、また別の解釈で仕立てあげている。八艘飛びもそう来るかと。すげぇなと思いながら読んでいました。それと、京都(朝廷)からの視点というのがよく見えたような気がしています。目線を変えると、源平合戦がまた違う様相を見せて面白い。

今村 今回は『平家物語』のハイライトともいえる源平合戦を中心に、しかも、平家が窮地に陥っているところから始めています。というのも、『平家物語』は争いの時代を描いているにもかかわらず、根底には美しさがあると思うからなんです。それは平家の美しさでもあって、危機に直面するほどに結束していく。凋落と相反して高まっていく一族としての美しさは描きたかった。ただそれも、始まりの姿に戻ったに過ぎないと思います。隆盛のときも滅びのときも平家は一致団結しているんですよね。

本郷 まったく同感ですね。大河ドラマの時代考証の際、脚本家の藤本有紀さんに平家の特徴は何かと聞かれ、「一蓮托生」という言葉を僕は使ったんですが、それをセリフとして採用してくださった。共にあるというのが平家だと僕も思います。

今村 今回は平家を一つの家族と捉えたんですが、その家族を大切にする姿も現代っぽいなと思います。

本郷 そこが源氏とぜんぜん違うところですよ。彼らは身内で殺し合うわけだから。それにしても、この作品の頼朝のゲスっぷりはすごいですね(笑)。平家に関連する物語を書こうとするとき、義経下げ、頼朝上げというのが全体的な流れとしてあるのですが、今村さんはその反対を行かれた。

今村 小説は誰を視点にするかで登場人物の上げ下げなんていくらでも書きようがあるんですが。平家贔屓と言ったけど、僕は昔から頼朝があんまり好かんかったですねぇ(笑)。

本郷 政治家としては優秀だったと言っておきます(笑)。その頼朝を清盛が助けたことにすべては起因するわけだけど、なぜ助けたのか。また、目の届く四国などではなく、伊豆に流したのはどうしてなんだろうと思っていましたが、この本で示してくれた解釈を読むとなるほどなぁと。

今村 僕もそこは謎だったんです。でも、清盛という人は迂闊なミスをするタイプでもなさそうなので何か意図があったんじゃないかと思い、僕なりの考えを提示させてもらいました。

本郷 歴史研究者としては、当時、関東というのはド田舎で、その関東の入口である伊豆に流すことで、清盛にしてみれば、頼朝をゴミ箱にポイっと捨てたようなものだったと答えています。でも、それよりも遥かに面白い解釈がここには書いてある。見事だなと思います。

― 専門家の立場から、解釈が大胆すぎると思われたりはしませんか?

本郷 あり得ないと片づける研究者は多いでしょうね。歴史の研究に発想力や想像力は要らないと言われていますから。でも僕はそこが面白いんだと。それこそが研究の本質でもあると思っています。だから、今村先生のような面白いアイデアを出してくださるというのは本当に素晴らしいことなんです。今回は平家の愛を語るだけでなく、奇想天外な国家観まで描かれている。そういうところに目を向けて研究者も勉強せいと言いたいわけですよ。

今村 誰かの興味を引き、原典や研究書を手に取るなどのアプローチに繋がるのだとしたら本当に嬉しいです。

本郷 そういうきっかけとなる小説は、今村先生じゃないとできないとすら僕は思っています。

今村 歴史小説家になって思ったのは、この題材は人気がないからと書くのを諦めるようなことはしたくないなと。題材がどうとかではなく、大前提となるのは、何を書いても読んでもらえるだけの実力が僕に必要だということです。だから、自分のやりたいものをやれるような環境を整えて、本当に書きたい物語を書いていきたいと思っています。そういう意味では、『茜唄』はやりたいことをやらせてもらえました。

本郷 なるほど。面白いわけですね。

構成=石井美由貴

祝・直木賞!

40万部突破!

興奮と感動必定。著者の真骨頂 大人気エンターテインメントシリーズ

ーあの世に晦め

今村翔吾/くらまし屋稼業シリーズ

今村翔吾/くらまし屋稼業

人情×決闘×サスペンス

「くらまし屋」とは

「いかなる身分、いかなる事情であっても、銭さえ払えば必ず逃がしてくれる。まるで神隠しのように」と市中で噂される、依頼人に新たな人生を歩ませるべく望むところへ連れ出してくれる裏稼業。ただし、その条件として高額の報酬と「七箇条の掟」があり、これが一つでも守られない場合は「この世からも晦まされる」という。ただでさえ関所などで往来の自由が制限される江戸時代。やくざ者や浪人、果ては御庭番を相手に「くらまし屋」は今日も華麗に人々を晦ませてゆく。

くらまし屋七箇条

今村翔吾
Shogo Imamura

1984年京都府生まれ。滋賀県在住。「狐の城」で第23回九州さが大衆文学賞大賞・笹沢左保賞を受賞。デビュー作『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』(祥伝社文庫)で第7回歴史時代作家クラブ・文庫書き下ろし新人賞を受賞。「羽州ぼろ鳶組」は続々重版中の大人気シリーズ。同年、「童神」で第10回角川春樹小説賞を、選考委員(北方謙三、今野敏、角川春樹)満場一致の大絶賛で受賞。「童神」は『童の神』と改題し、第160回直木三十五賞候補にもなった。『八本目の槍』(新潮社)で第41回吉川英治文学新人賞、及び第8回野村胡堂文学賞を受賞、「週刊朝日」歴史・時代小説ベスト10第一位に選ばれた。『じんかん』が第163回直木賞候補及び第11回山田風太郎賞受賞、「週刊朝日」歴史・時代小説ベスト3第一位に選ばれた。『塞王の楯』(集英社)で第166回直木賞を受賞。他の著書に『幸村を討て』(中央公論新社)『イクサガミ 天』(講談社文庫)『てらこや青義堂 師匠、走る』(小学館)、初の現代小説『ひゃっか! 全国高校生花いけバトル』などがある

今村翔吾 公式サイト > 今村翔吾 公式サイト
今村翔吾

『花唄の頃へ くらまし屋稼業』
発売記念エッセイ

作家・今村翔吾誕生の秘密と
今作のテーマについての著者エッセイ、
「くらまし屋稼業」の世界を紹介する。


 私が作家になりたいと思ったのはいつ頃だったか。中学二年生くらいの時にはすでにぼんやりと考えており、少なくとも高校の卒業アルバムにある将来の夢の欄には小説家と書いていた。
だが十代、二十代は一度も書こうとはしなかった。私は文芸誌を読むような高校生だった。そこには憧れの歴史小説家たちのエッセイ、対談などが掲載されているのだが、どの先生も口を揃えて、
 ――小説の勉強をするよりも、人生経験を積むべき。
 と、仰っていたからである。小説の勉強が無駄という訳ではない。ただそれよりも大切なことがあるといったような内容であった。そして私はまだその時ではないと本気で思っていた。

 転機が来たのは三十歳の時。きっかけは色々ある。このような時は神様がそう導いてくれているのではないかというほど、様々なことが身の回りに起こるものである。いやもしかしたら、すでに作家を目指す気持ちになっており、どんなものでも「きっかけ」に見えたのかもしれない。

 その中でも大きなきっかけは三つ。一つは教え子からの一言。これはよくエッセイに書いたり、インタビューで答えたり、講演で話したりもする。そこで残り二つのうちの一つを今日は書こうと思う。


 ご存じの方もいらっしゃると思うが、私の前身はダンスインストラクターである。父がイベントやダンススクールを運営する会社を経営していた。内勤で企画運営なども行ったが、現場に出て複数の教室でのレッスンも担当していた。教える相手は主に小中高生。そんなに多くはないものの三、四歳の未就学児や、三十、四十代の自分より年上の生徒もいた。月曜から土曜まで日中は事務所で内勤を行い、夕方から各地の教室に出向いて教える。日曜日はイベントなどに出る。従業員なら完全にブラックであるが、長男で跡取りということもあり修業という側面もあるから仕方ない。全部が全部という訳ではないが中小企業ではよくあることである。

 私は朝の八時や九時から、深夜の二、三時まで平気で執筆するので驚かれることがあるが、この修業時代に比べればマシと思ってしまう。昨今はその言葉自体が使われなくなりつつあるが、「根性」が付いたのは明らかにこの時代があったからだと思う。

 家族経営の方は判るかもしれないが、やはり大変なことも多い。仕事と家族の境目がいつしか失われるし、親子といえども歳を取るごとに考え方の違いも顕著になってくる。私と父の場合は、一度喧嘩になろうものならば肉親だけに互いに甘えもあったのか、派手に言い争うことも多々あった。そんな時にふと、

 ――俺は何故、この仕事をしているのだろう。

 と、思うことが増えてきた。

 私は子どもの頃から父を好きだったし尊敬もしていた。家族であることに誇りも持っていた。だから父を助けたいと思って共に仕事をしていたのだと思う。だが一緒に働けば働くほど父を嫌いに、「家族」でなくなっていくように思えたのだ。そのようなことを考えた時、いつも見つめていた父の背の向こうに、初めて広大な景色が見えたような気がした。

 二〇一四年の秋が過ぎ、冬の香りがし始めた頃、私は父に自らの人生を歩みたいことを告げた。父は当初は反対するつもりだったらしい。ただあることを言った時だけは、止めるのは無理だと思っていたという。

「小説家を目指す」

 私の一言はまさしくそれであった。子どもの頃から本の虫であったこと、いつか小説家になりたいとぶれずに言い続けたことを父も知っている。それにもう一つ。

 高校二年生の頃、学園祭で劇をやることになった。演目は「新選組」で、何とも渋いチョイスをしたものだと思う。その脚本を私が担当することになった。当時はパソコンも使えずに手書きでひたすら書く。時間も無かったので何日も夜遅くまで机に向かっていた。しかもテスト期間中である。普段ならば「勉強もせえよ」などという父であったが、その時だけは何も言わなかった。深夜にふらりとコンビニに出かけて戻ってくると、

 ――腹減ってるやろ。食べるか。

 と、カップのにゅう麺に湯を注いでくれた。私はそのことを鮮明に覚えていたが、父もまた同じだったらしい。その時の私は生まれてから最も真剣で、目を輝かせているように見えたという。

「それを言うたら、しゃあないと思ってた」

 父はそう言って苦笑して酒を呷った。

 こうして私は父の下を離れ、小説家を目指すことになった。そこから昼間に仕事をし、夕方から深夜三時まで書くような日々を過ごし、約二年後にデビューすることになった。

 今回、「くらまし屋稼業」シリーズの第六弾にあたる『花唄の頃へ』が刊行される。この作品では、

 ――人は何歳から大人か。


 と、いうのが一つのテーマになっていく。再来年の三月までは成人は二十歳と定まっているが、選挙権は十八歳以上に下げられ、結婚も男性は十八歳、女性は十六歳以上と少々歪になっている。それぞれに法律が作られた時代が異なるとしても、今まで統合されていなかったのは、大人と子どもの境を明確に示せないところに理由があるように思う。私は人間という生き物に敢えてその境を求めるならば、身体ではなく、心の成長ではないかと思う。そしてそれには周囲と人、あるいは家族との関わりが大きく寄与していると思うのだ。本作ではその辺りが事件を生んでいくことになるので、是非とも楽しみにして頂きたい。

 だとするならば私が真の意味で大人と言えるようになったのは、父の下を離れた三十歳の頃か。法律に照らし合わせれば些か歳を食っているが、存外、人における境はそれぐらいなのかもしれない。そして少なくとも、この父の下に生まれなければ、小説家の私はいなかっただろう。

 毎日父といたのが、今では盆暮れに会う程度。十年近く仕事の話しかしてこなかったことが尾を引いているのか、まだ会話はどこかぎこちない。父も、私も、多忙な日々を過ごしているが、温泉でも一緒に行けたらいいなと、こうして筆を執りながらふと考えている。

人物写真=三原久明
データ作成=三木茂

「くらまし屋稼業」登場人物紹介

くらまし屋

  1. 堤平九郎……凄腕の剣士。失踪した妻子を探すため、この道に。表稼業は飴細工屋。
  2. 赤也……元役者。老若男女、どんな姿にもなれる変装の名人。博打好き。
  3. 七瀬……「波積屋」で働く頭脳明晰な二十歳の女性。軍師的な役割を果たす。

波積屋(くらまし屋の拠点)

  1. 茂吉……主人・料理の薀蓄を語るのが好き。

炙り屋

  1. 万木迅十郎……どんなものでも「炙り」出す裏稼業の男。

  1. 初谷男吏……伝馬町牢問役人。拷問が得意。
  2. 榊惣一郎……無邪気で残酷な天才剣士。
  3. 阿久多……女言葉を使う、鎌鑓の遣い手。

幕府

  1. 篠崎瀬兵衛……宿場などで取り締まりを行う道中同心。
  2. 曽和一鉄……徳川吉宗によって創設された御庭番の頭

シリーズ既刊本一覧

  1. くらまし屋稼業
    くらまし屋稼業
    今の暮らしを捨てたい。
    新しく人生をやり直したい方へ。
    私が命を賭して晦ませます!
    万次と喜八は、浅草界隈を牛耳っている香具師・丑蔵の子分。親分の信頼も篤いふたりが、理由あって、やくざ稼業から足抜けをすべく、集金した銭を持って江戸から逃げることに。だが、丑蔵が放った刺客たちに追い詰められふたりは高輪の大親分・禄兵衛の元に決死の思いで逃げ込んだ。禄兵衛は、銭さえ払えば必ず逃がしてくれる男を紹介すると言うが──涙あり、笑いあり、手に汗を握るシーンあり、大きく深い感動ありのノンストップエンターテインメント時代小説、ここに開幕!

  1. 春はまだか
    春はまだか
    母に一目会いたい──
    「くらまし屋」は、
    少女の切なる願いを叶えるため、
    鬼となる!
    日本橋「菖蒲屋」に奉公しているお春は、お店の土蔵にひとり閉じ込められていた。武州多摩にいる重篤の母に一目会いたいとお店を飛び出したのだが、飯田町で男たちに捕まり、連れ戻されたのだ。逃げている途中で風太という飛脚に出会い、追手に捕まる前に「田安稲荷」に、この紙を埋めれば必ず逃がしてくれる、と告げられるが……ニューヒーロー・くらまし屋が依頼人のために命を懸ける、疾風怒濤のエンターテインメント時代小説、第二弾!

  1. 夏の戻り船
    夏の戻り船
    人生の忘れものを取り戻すために。
    「皐月十五日に、船で陸奥に晦ましていただきたい」──かつて採薬使の役目に就いていた阿部将翁は、幕府の監視下に置かれていた。しかし、己の余命が僅かだと悟っている彼には、最後にどうしても果たしたい遠い日の約束があった。平九郎に仕事を依頼した将翁だが、幕府の隠し薬園がある高尾山へ秘密裏に連れて行かれる。山に集結した薬園奉行、道中奉行、御庭番、謎の者……平九郎たち「くらまし屋」は、将翁の切なる想いを叶えられるのか!? 大人気時代エンターテインメント、堂々のシリーズ第三弾。

  1. 秋暮の五人
    秋暮の五人
    掟を破る者は、容赦せぬ。
    八朔の日、亥の刻。芝湊町の土蔵に、見知らぬ者の文で呼び出された男たちが、密かに集まってきた。骨董商の仁吉、役者の銀蔵、寄木細工職人の和太郎、浪人の右近、板前の壱助。文の差出人は果たして誰なのか? 五人が呼び出された真の理由とは? 一方、虚の一味、初谷男吏と榊惣一郎は仕事をしくじり、高尾山から江戸市中に戻ってきた。めくるめく展開に一瞬も目が離せない。まさかのラストに、驚愕すること間違いなし。最強の決闘あり、ミステリーあり、人情あり……無敵のエンターテインメント時代小説、熱望の書き下ろし第四弾。

  1. 冬晴れの花嫁
    冬晴れの花嫁
    もう一つの人生を夢見た男。
    その命をかけた依頼にくらまし屋は──
    「一日だけ、儂を晦まして欲しい」──飴売りの仕事を終え、日本橋の波積屋で鮃の昆布締めと肝を肴に一杯やっていた平九郎の元に、口入れ屋の坊次郎が訪ねてきた。幕府御庭番の曽和一鉄という男が、くらまし屋に仕事を依頼したいと話を持ちこんできたという。なんと依頼主は、老中松平武元──。虚、御庭番、道中奉行……次々とすご腕の遣い手が現れる中、くらまし屋は、殿さまの命をかけた想いをかなえることができるのか!? 大人気シリーズ第五弾、益々絶好調。

  1. 花唄の頃へ
    花唄の頃へ
    人は過ちを悔い、戒め、
    己の掟として心に刻む。
    三郎太、蘭次郎、幸四郎、林右衛門の四人は大旗本の次男、三男。いわゆる部屋住みの身分で、半分無頼の悪仲間であった。ある晩、酒場で盛り上がった帰り道、三郎太が何者かに腹部を深々と刺され、首を掻き切られて殺された。彼は、一刀流の皆伝で剣の達人。いったい誰が、何の目的で!? 自らも狙われるかもしれないと怯えた蘭次郎たちは、各々身を守るために、裏の道を頼るが……。裏稼業の必殺仕事人たちが、己の掟に従い、命を賭けて戦う。大人気シリーズ、熱望の第六弾。

  1. 立つ鳥の舞
    立つ鳥の舞
    人生をやり直す大舞台だ!
    くらまし屋の仲間・赤也の
    秘められた過去とは?
    心優しき必殺仕事人 VS 暗黒街最強の刺客 VS 凄腕の道中同心
    「葉月十二日、巳の刻。湯島天神内宮地芝居の舞台に、瀬川菊之丞を連れてきて欲しいのです」──濱村屋の年若い主人・吉次からこう切り出された平九郎は、驚きのあまり絶句した。希代の女形であった菊之丞は、吉次の義父で、五年前すでに亡くなっていた。そして実は、吉次は赤也の義弟であったのだ……。赤也の隠されたもうひとつの人生に渦まく陰謀。平九郎たちが仲間のため命を賭して闘う天下無敵の時代エンターテインメント。書き下ろし大人気シリーズ、第七弾。

  1. 風待ちの四傑
    風待ちの四傑
    平九郎、迅十郎、惣一郎、そして今一人……
    空前絶後の戦いが江戸と夢の国で、始まる!
    霙ふる師走のころ、夜討ちの陣吾と呼ばれ、裏の世界で畏れられている男が、平九郎の露店にやって来た。呉服屋の大店「越後屋」に勤める比奈という女性を晦まして欲しいという。一方、極寒の「夢の国」に送られた「虚」の一員・惣一郎は、敵の襲来を待ちわびていた――。江戸と「夢の国」で繰り広げられる平九郎・迅十郎・惣一郎、そして今一人……、暗黒街の凄腕たちの人智を超えた壮絶な戦い。興奮と感動必至。直木賞作家の本領、天下無敵の大人気エンターテインメントシリーズ。

童の神

●第160回直木賞候補作

童の神

「候補中、娯楽性はナンバーワンだ。」
東野圭吾(オール讀物2019年3・4合併号「直木賞選評」より)

「世を、人の心を変えるのだ」「人をあきらめない。それが我々の戦いだ」――平安時代「童」と呼ばれる者たちがいた。彼らは鬼、土蜘蛛……などの恐ろしげな名で呼ばれ、京人(みやこびと)から蔑まれていた。一方、安倍晴明が空前絶後の凶事と断じた日食の最中に、越後で生まれた桜暁丸は、父と故郷を奪った京人に復讐を誓っていた。そして遂に桜暁丸は、童たちと共に朝廷軍に決死の戦いを挑むが――。差別なき世を熱望し、散っていった者たちへの、祈りの詩。
第10回角川春樹小説賞(選考委員 北方謙三、今野敏、角川春樹 大激賞)受賞作にして、第160回直木賞候補作。