北方謙三インタビュー
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- これまで中国古典を題材に書かれ、今回は『史記』を選ばれた理由は何でしょう?
- 「やはり『三国志』を書き終えることが出来た、ということが大きかったですね。中国の資料の当たり方、全般的な中国史に関して頭に入ってきて、『楊家将』、『水滸伝』を書きましたが、もう少し史実に基づいたものを書きたいという思いがあって、『史記』なんです。もうひとつ、高校生の時に一番影響を受けた作家が中島敦なんですよ。『李陵』、これは日本の名作と言われている。漢代の武帝の時代に〈李陵の禍〉というのがあった。李陵が降服してしまって、それが裏切りである、と武帝が判断して家族全員を殺したという悲劇。これが裏切りだったかどうかは別として、李陵の禍は、『史記』そのものを生んだと言ってもいい。なぜかと言うと、李陵を弁護した司馬遷が武帝に宮刑を受けている。タマを抜かれてしまった。その時に司馬遷はここで死ぬべきか、生き残るべきか自問自答して『史記』を書き上げるまでは死ねないと決意した。そういうことを含めて、高校の時に読んだ『李陵』を再現したい。中島敦は漢文の素養で、日本的な簡潔さを持った短篇小説として仕上げている。現代に小説を書いている自分としては、そこに何かを生み出そうとするならば、長篇で書いてみよう、武帝の時代をすべて書いてみようと」
- これはまた大長篇になりそうですね。
- 「と言っても武帝紀ということで書いてますから、10巻程度でしょう。『史記』は古代から武帝まで記されてあるので遡って書いてゆくわけですが、次は劉邦の物語、さらにその前は始皇帝、戦国春秋……。まだどこを書くかは明確に決めていません。武帝という存在は、日本では始皇帝ほど知られていない。漢代というのは、中国史の中で大きな役割を示している。その中で武帝の時代は漢代で最長の期間を持っていたわけですから、始皇帝以後、一番大きな時代だった。それが三国時代につながるわけですから、武帝を書く意義はあると思います。しかも日本の作家が李陵と蘇武を書く、ということですよ」
- 『三国志』が帝論、『水滸伝』が革命戦記という位置づけが出来ると思うのですが、『史記』はどんな切り口になるのでしょう?
- 「『三国志』は皇国史観に移し替えられる、というのは書くことのきっかけに過ぎないんです。戦国春秋時代の思想家で孟子が国家には王道と覇道がある、と説いた。王道というのは連綿と続く、万世一系ですよ。日本の皇国史観、というより孟子の考えが残っているのが日本。中国では、始皇帝の強引な力が王道と覇道を一緒にしてしまった。帝の役割と意思が、民のための祭祀を司る神と民の間にいる存在と、覇者である帝という存在とで一緒になっている、それを体現したのが武帝なんですよ。武帝の時代は輝かしかったけれど、闇もある。最初に犠牲となったのは陳という皇后。大長公主(帝のおば)の娘から皇后になったわけですが、もとは皇太子妃からです。(武帝にしてみれば)帝にしてもらったということで非常に頭が上がらないわけです。それをどう駆逐するか。巫蠱、呪いですよ。北宮(後宮)で何百人と首断して陳皇后を廃して、その頃から武帝は権力を集中させます。言わば、万能の人間になってしまう。そうすると、問題は外敵だけである、という認識を持つわけだけれども、戦争を何回もすれば国庫は痩せ細ってきて空っぽになってしまう。それで税を高くして民を苦しめた。それも武帝の時代の闇ですよ」
- 『史記』の冒頭、縄を打たれた衛青が仲間に助け出されるエピソードが『三国志』における劉備や関羽たちの出会いに通じる、そんな予感が実によかったのですが……。
- 「ところがなかなかそうもいかなくてね(苦笑)。公孫敖が助けるんだけど、後に衛青が将軍になって出来るだけ引っ張ろうとするんだけど、戦で全部やられてね。なかなか右腕という形には成り得ないんですよ。右腕としては、霍去病です。本来はライヴァルなんでしょうけれどね。衛青とはおじ、甥の仲。これがまた天才的な軍人なんです。18歳くらいから戦に出て、24歳で病死するまで戦った。武帝の意思を実現するという形の戦というのは、霍去病が戦ったんです。衛青の場合は匈奴を追い払い、河南(オルドス)の肥沃な土地を得ようという明確な目標があった。衛青が匈奴を追い払った後、霍去病は西方へ向かう。武帝もよほど愛着を持っていたようで、霍去病が死ぬと自分の茂陵のそばの山に葬っています」
- 北方文学の魅力は男たちの生き様ですが、今回の『史記』ではいかがでしょう?
- 「李陵と蘇武でしょう。武帝後期、闇の時代に出てきたのが李陵です。李陵は5000人で何万という匈奴と戦って、700兵ぐらいまで減って、そこで一旦降服したわけです。漢の軍人はいろいろなノウハウを持っているから、匈奴に連れてゆかれる。そういう経緯の中で、(裏切り者にされて)李陵の家族は皆殺しにされてしまう。それで李陵は帰れなくなるわけです。それから蘇武という男、凄い生命力の持ち主でね。これは最終的にバイカル湖、シベリアですね、北に追いやられる。渡されたのが雄の羊3頭で「その羊が子供を産んだら帰してやる」と言われる。そこで十数年。匈奴の王、単于に帰順することなく、突っ張り通した。漠北にひとり生きる、その凄まじさ。何が蘇武を頑張らせたのか? 漢に対する忠誠心なのか、男の意地なのか。漢に帰れるのは、武帝が死んだ時です。徹底的に自分を貫いて、やがて漢に帰ることになる男と、心ならずも一家眷族皆殺しにされて匈奴に留まってしまう男、この別れを中島敦が書いた。その男の生き方。両方とも自分を貫いたのだろうけれど、結果として対照的にならざるを得なかった。武帝の持っている権力の波に洗われた。それを書いてみようと思います」
- 北方ハードボイルドの世界ですね。
- 「いや、私の場合はすぐ戦うからね(笑)」
- 『三国志』もそうですが、オリジナルのキャラクターが実に魅力的ですよね。今回の『史記』も期待が高まります。
- 「漢側の人間、武帝や衛青、酷吏(厳しい役人)などに対しては人物像が定まっているので、想像力を働かせようと思うのは、やはり少数民族。匈奴に何があったとかよく解明されてないですからね。匈奴と漢は始終戦をしている。そうすると、霍去病が中心になる。そこで同年代のライヴァルとして創ったのが、頭屠です。あとは女ですね。匈奴は略奪の民ですから、戦をやったら女たちも連れ去って性の慰み物にする。そういう中で頭屠が恋愛感情を持ってしまう、そういう苦悩を与えようと。私好みに書いていますよ」
- (「ランティエ」2008年10月号/特集「北方謙三の世界」より再録)